Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【太平洋戦争】ローズヴェルトは知っていた(何を?)【真珠湾攻撃の真実?】

前回、陰謀論…というか陰謀史観についての記事を書きました。

oplern.hatenablog.com

今回は、そのおまけというか、書きそこねた真珠湾陰謀説について少し書いてみようと思います。

なお、当ブログでは、情報技術者試験を中心とするIT関係の記事が多いのですが、たまにITと全く関係ない記事を書くと、とてもアクセス数が少ないです。
(まあ、そもそものアクセス数も少ないのですが、それに輪をかけて少ないです。)
こないだの春期試験を受け損なったし、次に受けるつもりの試験は来年になるので情報処理技術者試験なんざクソ喰らえ、最近、ITと関係ない趣味的な記事が多く、アクセス数の激減が予想されています。
趣味なので、アクセスされようがされなかろうがどうでもいいともいえますが、割と寂しいことではあります。

さて、どうでもいい愚痴はさておき、本日の主題ローズヴェルトさんは真珠湾攻撃を知っていた」説について。

わー、ローズヴェルトさん、すごーい。

の一行で終わらせるというのも一瞬考えたのですが、「何が凄いのか」くらいは書いた方が良いと思い直したので、だらだら適当に書いていきます。

本題の前に

本題に入る前に、真珠湾陰謀説の背景となる知識を知っておかないと、わかりにくいというか、不明瞭な話になってしまうかと思いますので、すこし整理しておくことにしましょう。
なお、本記事では、外国人名のカタカナ表記について、現在ポピュラーな表記に合わせております。どうでもいいかと思いますがあしからずご了承ください。
ルーズベルトローズヴェルト、スチムソン→スティムソンなど)

真珠湾攻撃】その名はZ作戦(中二病にあらず)

まず、真珠湾攻撃について簡単に。

よく知られている通り、太平洋戦争の開戦劈頭に、日本海軍が行ったハワイ真珠湾への攻撃です。
もう少し具体的に書くと、ハワイ準州オアフ島真珠湾の艦艇(米太平洋艦隊)、飛行場、軍事施設に対しての攻撃、となります。

空母6隻を中心とした機動部隊*1の航空機による攻撃が行われた他、特殊潜航艇(甲標的)による攻撃も実施されました。
1941年12月8日、ハワイ現地時間では12月7日の朝方に攻撃が実行され、米太平洋艦隊に壊滅的被害を与えています。
戦艦5隻沈没(大破〜中破による着底含む)、同3隻中破、他艦艇多数にも損害を与え、また航空機188機を完全に破壊しました(各数字には異説あり)。

在泊していなかった空母を撃ち漏らした、という誤算はあったものの、大戦果を挙げたのは間違いありません。
この真珠湾攻撃の成功は、航空機の戦艦に対する優位を各国海軍に強く印象づけたと言われています。

当作戦は、連合艦隊司令長官山本五十六大将によるものとして有名ですが、真珠湾空襲の着想自体は珍しいものではなく、昭和10年頃には海軍大学校の学生の研究として存在していたようです*2
ちなみに、この真珠湾攻撃作戦の具体化は、大西瀧治郎少将*3や源田実中佐*4に託され、後に「Z」作戦の名で呼ばれるようになりました。
(ついでに戦史叢書*5ではハワイ作戦です。)

よく知られていることですが、山本五十六は、米国の国力の巨大さを知悉しており、米英との戦争には反対していました。
いざ開戦となった際、米国がその巨大な国力を戦争努力に傾注する前に、大打撃を与えてアメリカ国民の戦意を喪失させ、早期講話に持ち込むための作戦である、と言われています。
(ただし、この話には確たる根拠がありません。戦史叢書「大本営海軍部・連合艦隊1」でそれっぽい話も出てくるのですが、昭和16年2月の小沢治三郎第三戦隊司令官との会話では、長期戦を想定したような発言に同意してたりもするし。)

さておき、大戦果の一方で、南雲司令長官が戦果拡大の第二次攻撃を行わず帰還し、燃料貯蔵施設や船舶修理施設を攻撃しなかったことに対して、後に多くの批判がなされています。
しかしながら、Z作戦自体がかなり投機性の強い作戦であり、また米空母の所在不明などの状況を鑑みると、安全策を取って帰還することも一理あると言えます。一方的に南雲批判を行うことは的外れでしょう。

真珠湾攻撃の影響

さて、大戦果を挙げた真珠湾攻撃ですが、これによってどのような影響がもたらされたか概観してみましょう。

まず、米太平洋艦隊は、壊滅に近い状態に追いやられました。
しかし、真珠湾攻撃後の米太平洋艦隊司令長官に就任したチェスター・W・ニミッツは、後に、真珠湾攻撃の影響は軽微だったと述べています。
これは、前節で述べた通り、米空母部隊が在泊しておらず被害を免れたこと、燃料貯蔵施設や船舶修理施設を攻撃しなかったことが理由です。
(実際、攻撃を受けた戦艦のうち「アリゾナ」「オクラホマ」以外は後に修復され戦闘に参加しています。)

そしてもう一つ。
最も重大な影響は、山本の思惑通りに「アメリカ国民の戦意を喪失させ」ることは実現できず、それどころか、アメリカ世論と国民を糾合させ、かえって戦意高揚させてしまったことです。

このことは、日本およびドイツとの開戦を決意しながらも、国民世論と自身の公約から、どう開戦に持ち込むか頭を痛めていたローズヴェルトにとっては、得難い好機となりました。
(ただ、損害が大きすぎたことと、奇襲を許してしまった責任を問われることになるため、素直に喜べるような話ではありません。チャーチルなんかは、これでアメリカが参戦することになるので手放しで喜んでましたが。)

さて、一般に真珠湾攻撃は宣戦布告無しのだまし討ちであったとされています。
しかし、真珠湾攻撃は奇襲作戦ではありますが、当初の計画では、一応、宣戦布告の30分後に攻撃を開始する予定でした。
ただし、最後通牒(事実上の宣戦布告)の手交が遅れ、攻撃開始後の通告となってしまいました。結果として、真珠湾攻撃は無通告急襲となってしまったわけです。

この通告遅れについては、在米日本大使館の不手際によるものである、と言われています。いわくブラジルへの転任が決まった寺崎英成*6一等書記官の送別会を、前日夜遅くまでやってて、当日、全員の出勤が遅かったとか…。
ただし、外務省と在米大使館との連携の問題点も指摘されており、単純に在米日本大使館の職員の怠慢である、とは言えません。
(14通目の電報なんかは現地到達自体が遅かったなんて指摘もあります。)

ちなみに、この通告遅れについてはろくに調査されることなく、「なんとなく不問」で終わった模様です。
戦後、東京裁判に向けて、アメリカ検事団が東條英機元首相に対して行なった尋問調書に「野村吉三郎米大使が帰国した際に、通告が遅れたらしいと聞いたが、確認はしてない」旨の記述があります。

ただ、「宣戦布告が遅れたせいでフェアプレーを旨とする米国を怒らせた」なんて言われていますが、奇襲は奇襲であり、仮に攻撃前に宣戦布告できても、やっぱり怒らせたような気がします。
「宣戦布告してきたからフェアだね、正々堂々戦おう」なんて話にはならないわけで、ローズヴェルトさんも、普通に宣伝戦略に利用したでしょう。宣戦布告タイミングでどれほど怒りレベルに差が出たか、って話ではありますが、個人的には大差ないんじゃないかなあ、という気がします。

なお、真珠湾攻撃の前には、英領マレー半島への上陸を行っていますが、イギリスに対しては宣戦布告していません。
対するイギリス側も、宣戦布告の有無をことさら問題としておらず、チャーチルが対日宣戦布告を出した際に嫌味*7を付け加えただけにとどまっています。
まあ、ローズヴェルトチャーチルの立場というか状況の違いによるものでしょうね。

真珠湾陰謀説

さて、ちょちょいと前提知識を書くつもりが長くなりすぎました。
専門家でもない私が、これ以上つらつら書いてると、ボロがわんさか出てくると思いますので、とっとと本題に入りましょう。

真珠湾陰謀説の骨子は、以下の通り。

  1. ローズヴェルトは、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に介入してイギリスを助けたかったが、アメリカ世論がそれを許さないと知っていた。
  2. ローズヴェルトは、ドイツと開戦するために、日本を利用して国民世論を誘導することにした。
  3. ローズヴェルトは、日本に経済的圧迫を加えて挑発し、日本に武力発動をさせた。それが真珠湾攻撃である。
  4. ローズヴェルトは、日本の真珠湾攻撃を知っていたにも関わらず、現地に攻撃を通知せず、ハワイの米太平洋艦隊をオトリに使った。
  5. 真珠湾攻撃により国民世論は一変、開戦一色となった。ローズヴェルトの目論見通りである。

まあ、平たく言うと、ドイツと戦争したかったから、ドイツの(半端な)同盟国である日本を挑発して、米太平洋艦隊をオトリに攻撃させて、国民世論を誘導した、と。
既に後世の後知恵臭がプンプンしますが、一応、検討してみましょう。

そこだけ合ってる。

前節、箇条書部分ですが、全面的に怪文書おかしいわけではなく、一部は正しいことが書いてあると思われます。

具体的には、項番1は表現が微妙ながら一応OK、項番5は後半が怪しいですが、前半は事実です。

項番1について。
当時のアメリカは、従来イギリス海軍によって維持されていた「西半球」の安全が、ドイツによって脅かされたことから、何らかの対応を迫られていました。
1941年1月には、西半球の防護とイギリスへの軍事的援助を、戦略方針に定めており、また、アメリカが参戦する場合の最優先目標として、ドイツ打倒が掲げられています。

項番5。「真珠湾攻撃により国民世論は一変、開戦一色となった。」のは事実です。
後半の、「ローズヴェルトの目論見通り」だったかは、この陰謀説の総体的結論といえますので、ひとまず置きます。

残る問題となる項番は2、3、4です。一つ一つ、検証したいところですが、いちいち取り上げてると、細かい話ばかりでキリがありません。
真珠湾陰謀説は、古くから色んな人が提唱しては、色んな人に批判されてます。
かなり細かな点まで、取り上げられ検証されてますので、それらについては当記事末尾に記載した参考資料に譲り、当記事では、「陰謀説を肯定した場合、ローズヴェルトさんがどれほど偉大な人物となるか」を列挙するという、変化球(ビーンボール?)的な手法で、検証に変えさせていただきます。
半端な記事でごめんなさい。

それでは、ローズヴェルトさんを褒め殺してみましょう。

ローズヴェルトさんのここが凄い!

以下、ローズヴェルトさんの凄さにおののきます。

海軍暗号を解読できてないのに、真珠湾攻撃を予知していたのが凄い!

よく誤解してる人がいるのですが、開戦当時、アメリカは日本の外務省暗号は解読できてたのですが、海軍暗号(戦略暗号)は解読できてませんでした。

ステフェン・ブディアンスキーが「米海軍協会雑誌」1999年12月号に寄稿した論文において、

国立公文書館での解読作業に関する文書調査の結果) 41年12月1日の時点では、JN-25b(当時の日本海軍戦略暗号の米側呼称)の、ほんのわずかしか暗号を解明出来ず、ただの一通も解読できなかった

 と述べています。

ちなみに、海軍通信の傍受だけはしてたのですが、それを解読したんだと勘違いしている人もいるようです。

色んな人を共謀させたのに、誰にも秘密を洩らさせなかったのが凄い!

真珠湾陰謀説が成立するためには、各所にローズヴェルトさんの共謀者が必要となります。
ワシントンの関係閣僚はもちろん、軍関係者、それもお偉いさんばかりではなくかなり末端の方まで共謀しなければなりません。
日本機動部隊が早期発見されようものなら、待ちぶせして迎撃されてしまうので、レーダーサイトやら何やらの情報は、全て握りつぶす必要があるからです。

数多い共謀者の中から、ローズヴェルトさんを告発(「真相」が明るみに出れば、当然ローズヴェルトさんは国家反逆罪です。)する人がいつ出るか、普通なら気が気じゃないはずですが、ローズヴェルトさんは平気なようです。
どうコントロールしているのか、戦後70年を経過しても「実は…」とか言い出す人が出てきません。

あれほどの損害・犠牲者を出しても、なんとも思わないところが凄い!

真珠湾攻撃で生じた損害について、艦艇・航空機については既に述べましたので、ここでは犠牲者数を取り上げてみましょう。
陸・海軍の軍人と民間人合わせて、計2403名が戦死、1178名が負傷しています(各数字には異説あり)。
これほど自国民の犠牲者を出しておきながら、一切顔にも出さないのですから、まさに悪魔的陰謀家です。
あと、バレたらただじゃ済みません。人生終わります。バレないとしても、責任問題に発展する可能性があります。凡人が聞くと、無謀な企みにしか思えませんが、相当な自信があったということでしょう。
それから、知ってたんならこれほどの損害・犠牲者を出さず、もっと少なくできたんじゃないかと思うのですが、陰謀説支持者によれば、「ある程度犠牲が出ないと世論が興奮しない」そうです。まさに外道
というか、この犠牲者って、フィクションじゃありませんからね。もうちょっとちゃんと考えてみてはいかがか。

最後に

わー、ローズヴェルトさん、すごーい。

ちなみに、真珠湾陰謀説は置いといて、一応ローズヴェルトさんの陰謀らしき記録も残ってます。

1941年12月2日の、フィリピン、マニラのアジア艦隊司令長官トーマス・ハート大将への電報がそれです。以下に大まかな内容を示します。

「3隻の小型船舶をチャーターし、アメリカ海軍籍と分かるようにした上で、それぞれ、海南島と順化の間、インドシナ沿岸、カマウ岬沖に配置し、日本の動きを監視・報告せよ。可能であれば2日以内に実行すること。」

ちなみに、「3隻中、1隻はイサベル号でもいいよ」となぜか1隻だけ名指しされてます。

これを、日本から攻撃させるためのオトリ作戦である、と指摘する人もいますが、真相は明らかになっていません。

指令による実施結果ですが、イサベル号が実際の任務に就き、日本軍航空機により発見されたものの、そのまま相手にされず飛び去られています。
なお、他2隻は出港しませんでした。

仮に、これがローズヴェルトさんの陰謀であるならば、彼が想定した犠牲はこの程度のもので、さらに日本の軍事行動を南方と想定していたことになります*8
…なのですが、真珠湾陰謀説支持者がこの話を大喜びで語ることも多く、どういった理屈なのかよくわかりません。
まことに陰謀論は複雑怪奇ですね。

参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を参考にさせて頂きました。

検証・真珠湾の謎と真実

日米開戦と情報戦

決定版 太平洋戦争2 開戦と快進撃

図説日本海軍入門

昭和史の論点

陰謀史観

 

 

*1:第一航空艦隊。司令長官は南雲忠一中将。

*2:余談ですが、米海軍士官の間でも、真珠湾の航空兵力に対する脆弱性は早くに指摘されていました。

*3:後の神風特別攻撃隊創始者

*4:戦闘機パイロット、航空参謀。後、自衛隊初代航空総隊司令、第3代航空幕僚長航空自衛隊の育ての親であり、ブルーインパルス創設者でもある。さらに後、参議院議員

*5:防衛研修所戦史室により編纂され、朝雲新聞社より刊行された公刊戦史。

*6:余談ですが、後に、彼の遺品から昭和天皇独白録が見つかります。

*7:いわく「ある人の中には、儀式的形式を好まぬものもいる。しかし、人を殺さねばならぬ場合に当り、礼儀正しくあることは一向に損にはならぬ」だそうです。

*8:スティムソン日記によれば、日本軍の動向について、フィリピンやタイ、シンガポール等への攻撃を示唆したところ、ローズヴェルトが同意し、一か所以上への攻撃だろう、と述べたことが記されています。また、クラ地峡から侵攻し、ビルマルートを遮断する可能性にも言及していました。