Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれを記録していくブログです。情報処理技術者試験の話題多し。高度試験の攻略なども。最近はやや歴史づいてます…。

【パープル暗号】にっぽんのあんごう【マジック】

前回記事にて、映画「イミテーションゲーム」に触発されてエニグマの記事を書きました。
で、その際ついでに、第二次大戦当時の日本の暗号についても少し触れています。

oplern.hatenablog.com

今回はその日本の暗号について、外務省暗号(パープル暗号)を中心に書いてみたいと思います。

 外務省暗号と海軍暗号、陸軍暗号

一口に「第二次大戦当時の日本の暗号」と言いましたが、複数の暗号を使用しており、単一の暗号方式をみんな仲良く使っていたわけではありません。
例えば、外務省、海軍、陸軍では、それぞれの組織で異なる暗号を使用しています。
さらには、一つの組織内でも、使用目的等に応じて、別種の暗号を使用していました。海軍を例に挙げると、戦略常務用の甲暗号やD暗号、戦術用の乙暗号、戊暗号、F暗号、情報用のJ暗号などなど…。

ちなみに、戦略常務用のD暗号は、海軍における暗号通信の約半分で使用された主用暗号であり、米側からは「JN-25」と呼称されていました。
(この「JN-25」の解読がミッドウェー海戦に大きな影響を与えるわけですが、その点については、いつか機会があれば書きたいと思います。)

なお、前回記事でも書きましたが、陸軍は海軍よりも高い暗号技術水準にあったと考えられています。
陸軍の暗号技術は、ポーランドの暗号技術の影響を受けています。ポーランドはドイツ・ロシア(後、ソ連)の二大国に挟まれる位置にあり、そのため暗号を含めた諜報技術が発達していました。
日本陸軍は、大正12年にポーランドのヤン・コワレフスキー大尉を招聘して講習を受けたり、大正末年から昭和初年にかけてポーランドへ人員を留学させるなどして、近代化を推し進めました。
その甲斐あってか、アメリカ陸軍で暗号解読に携わっていたハーバート・オズボーン・ヤードレー*1の著書「ブラックチェンバー」(1931年)に「急に陸軍武官用の暗号が読めなくなった」と記載させるに至ります。

とはいえ、技術水準が高いとされる陸軍暗号も、船舶暗号などが一部解読されたり、また、機密資料の鹵獲(ろかく)が原因で解読されたり、といったことがありました。

日本外務省の暗号

さて、ここから当時の日本外務省暗号について。

外務省暗号は、太平洋戦争開戦前からアメリカに解読されていたことが、よく知られています。

日本の外務省は、1937年に九七式欧文印字機という暗号機を導入し、1939年3月には外交用暗号として主用するにいたります。
従来、A暗号機(九一式欧文印字機)が使用されていましたが、A暗号機は早い段階で英米に解読されていました。九七式欧文印字機は、これらA暗号機を置き換えていくことになります。
(ちなみに、A暗号機は、米陸軍からはコードネーム「レッド」と呼ばれていました。)

九七式欧文印字機は、日本海軍の技術研究所が開発したもので、タイプライター部分と引き出しのような変更部(Coding Box)などで構成されています。
26個のソケットを持つ配電盤(プラグボード)が2個あり(入力側・出力側)、暗号指示書に示されたその日の組み合わせに従って、これらの間を26本のコードで接続します。また、4つの変更輪を有し、こちらも暗号指示書に従って、開始位置を設定します。
これらの設定を終えたうえで、タイプライター部から文章(平文)をタイプすると、暗号文が印字され、また、暗号文を平文に戻す時も同様の使いかたで復号できました。

前回のエニグマ記事で触れましたが、暗号には、暗号の仕組みである「暗号アルゴリズム」と、同じアルゴリズムでも異なる暗号を出力するための「鍵」があります。
九七式欧文印字機では、上記のプラグボードの配線、および変更輪の開始位置が「鍵」となります。

前回記事を読んでいただいた方なら、使いかたはほぼエニグマと同様であることに気づかれたと思います。暗号方式もエニグマ同様「多表換字式暗号」です。
ただし機構的にはエニグマと異なり、九七式欧文印字機では電話交換機の仕組みを取り入れていたようです。

外務省暗号「パープル」の解読

さて、九七式欧文印字機に対し、米陸軍はコードネーム「パープル」と呼称し、1937年時点で早くも傍受と解析に着手します。
パープル暗号の攻略は、ウィリアム・フリードマン中佐を長とするSIS(通信隊情報部)が担当しました。

SISは米陸軍の一部局ではありますが、かって国務省が掌管した暗号解読室(通称ブラックチェンバー*2)の後進とされていたため、他国の陸軍暗号に加えて外交用暗号の解読も担当していました。

SISの長であるフリードマンは天才的な暗号解読者でした。
責任者としての職務に忙殺され、暗号解読の能力を発揮出来ない時期もありましたが、最優先事項となったパープル暗号の解読にあたっては、上司のジョセフ・モーボーン少将の働きかけで、暗号攻略に専念することとなります。

この結果、フリードマンは数学的解析に基づいて、1940年8月に九七式欧文印字機の模造機(以下、パープル暗号機と呼びます)を作り上げます。
約1か月後の9月25日、「鍵」の採集や確定を経て、パープル暗号機による完全な解読文が出力されました。これ以降、日本の外交暗号は、事実上アメリカに筒抜けとなります。
これらの解読された外交暗号により得られた情報は、「マジック」と呼ばれ、アメリカの戦略に大きな影響を与えることになります。
(実のところ、誤訳やインテリジェンスの欠落による問題も多々あったようですが…この辺はいずれまた。)

ちなみに、パープル暗号の解析では、日本側にいくつかの失態があったことが指摘されています。
同じ文書を、パープル暗号と解読済みのA暗号機の双方で発信したり、そのミスを糊塗するために「結線間違い」だったことにして再送することでさらに解読の手がかりを与えたり。
また、日本側の実際の鍵設定数(鍵規約数)が、理論上の最大鍵規約数を大きく下回っていたこと、鍵規約の更新頻度が低かったことなどの問題も指摘されています。

暗号知識の欠落が原因で、暗号運用者が解読の手がかりを洩らしてしまう、というケースは普遍的にみられるもので、暗号運用の難しさを感じさせます。
ちなみに、強固なはずの日本陸軍暗号も、沖縄戦では運用の問題により解読されていた、という指摘もあるようです。

最後に

大きな功績を挙げたフリードマンですが、暗号解析における極度の精神的ストレスで過労と神経衰弱に陥り、ウォルターリード陸軍病院の精神科病棟に3ヶ月半の間入院することとなります。

しかし、その苦闘の結果、日本の外務省暗号はそのほとんどが解読されるようになりました。
例えば、太平洋戦争前の日米交渉における駐米日本大使館と本省間の通信は、227通中、4通を除いてすべてが解読されています。
また、時として正当な受信者よりも早く情報を入手できることも珍しくありませんでした。
そのもっとも有名な例が、太平洋戦争における宣戦布告電報であり、日本大使館よりも数時間早く解読し、日本の開戦意思をつかんでいます。

…なんて書くと、真珠湾陰謀説が大好きな方が、「やはり米国は真珠湾攻撃を知っていたのか!」などと言い出すかもしれませんので、一応注記しますが、外務省暗号には攻撃目標の情報なんか含まれていません。当たり前ですが。
なお、以前の真珠湾陰謀説の記事でも触れましたが、開戦前の時点では、アメリカは日本海軍暗号を解読できていませんでした。

それでは、今日はこの辺で。

 

 

*1:アメリカの暗号学者。陸軍情報部第8課(通称ブラック・チェンバー)の長でもあり、ワシントン海軍軍縮会議(1921)で、東京と現地間の日本外交暗号を解読し、アメリカの外交を有利にしたことが有名。ちなみに有名になったきっかけは内情暴露騒ぎ。

*2:後、陸軍に移管