Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【太平洋戦争以前】アメリカの対日戦争計画「オレンジ計画」と「レインボー5」

本日の記事は、太平洋戦争以前にアメリカが策定していた対日戦争計画「オレンジ」について。ついでに、そのオレンジプラン(というかカラープラン)の後に策定された「レインボー」についても少々、触れたいと思います。

「対日戦争計画」と聞くと、まるでアメリカが日本相手の戦争を始めようとしていたように聞こえますが、オレンジはあくまでも「日本と戦争する羽目になった場合」に備えて研究、立案していたものであり、実際に対日開戦しようとしていたわけではありません。

オレンジは「カラープラン」と呼ばれた戦争計画の一つです。
カラープランは、アメリカが交戦可能性のある国を「仮想敵国」として立案した戦争計画*1で、それぞれの国に対して色別の符号を用いていました。
オレンジが日本を「仮想敵」として立案されたプランですが、他にもブラック=ドイツ、レッド=イギリス、クリムゾン=カナダ、グリーン=メキシコ、イエロー=中国、ゴールド=フランス等々、キリがないのでこの辺でやめときますが、多数の国を対象としており、日本だけを特別敵視していたわけではありません。

昔々、一部のちょっとアレげな人たちが、「日本はアメリカの戦争プログラムにはめられて戦争に引きずり込まれた、そのプログラムをオレンジプランという!」的な妄言をよく吐いてましたが、そういうものでは無いわけです。
(まあ、最近はそんな認識の人はあまりいないと思うのですが…たぶん…そうであってほしい……そうであってほしかった。)

「仮想敵」という言葉の誤解

オレンジプランの内容に触れる前に、少し前置きを。
前節で、アレな人たちがオレンジプランについて妙な認識をしている旨書きましたが、これは「仮想敵国=敵と考えている国」という単純な捉え方をしていることが原因の一つじゃないかと思っています。
(意図的に扇動している人はどうか知りませんが。)

国防や作戦・軍備などの計画立案にあたっては、「敵」の戦力や戦略・戦術などがある程度具体的にならないと有効性のある計画を立てることは困難です。そのため「仮想敵」を設定します。

「仮想敵」は、大抵、自国に脅威を及ぼす可能性の高い国/勢力を優先的に選定しますが、必ずしも政治・外交上の敵対・緊張は前提とされず、友好的な関係にあろうが同盟国であろうが、わずかでも交戦可能性のある国家/勢力であれば「仮想敵」として設定し得ます。
また、「仮想敵」は一つではなく、通常、複数の「仮想敵」が設定されます。安全保障上、多種の事態を想定しておくのは当たり前のことなので。
(交戦可能性や脅威度による重み付けによって、実際の戦略や軍備などへの反映度合いは異なってくるでしょうが。)

そんなわけで、「仮想敵」という言葉に振り回されると、どいつもこいつもみんな敵ということになってしまいます。
(現実に、「仮想敵国」という言葉に報道や国民が振り回され、無駄に緊張が高まったこともありました。)
実際には、「敵」と「仮想敵」の間には大きな隔たりがあるわけですね。

オレンジプラン

さて、ここからオレンジプランの話を。

カラープランは多数の国を対象としていましたが、交戦可能性の低い国については形式的な紙上計画にとどまります。
「オレンジ計画」の著者、エドワード・ミラーによると、オレンジプランが最初に作成されたのは1904年とのことですが、オレンジプランもこの当時は裏付けに乏しい紙上計画に過ぎなかったようです。

しかしながら、日露戦争(1904~1905年)後、日米間の緊張の高まりにより、オレンジプランの重要性が増すこととなりました。
そのため、陸海軍のプランナーたちは、本腰をいれてオレンジプランの立案に取り組むこととなります。
なお、カラープランで他に本格的な計画立案が行なわれていたのは、レッド(イギリス)、ブラック(ドイツ)くらいです。
「日本だけを特別敵視していたわけではない」と書きましたが、イギリス、ドイツと並んで、割と本格的な戦争計画が練られてはいたわけですね。
ちなみに、20世紀初頭において、最も重要視されていたのはブラック(ドイツ)です。
ドイツは当時、英海軍に次ぐ世界第2位の戦艦19隻を保有しており、第5位の日本(7隻)を大きく引き離していました。
そのため、20世紀初頭においては米海軍の主力は大西洋に常駐しており、太平洋には旧式装甲巡洋艦数隻からなるアジア艦隊がフィリピンに配備されていただけでした。

オレンジプランの内容

オレンジプランはその時々の情勢によって変化していますが、想定された戦争推移については初期計画からあまり変わっていません。
戦争推移は以下三段階に分けられます。

  1. 日本軍の奇襲と攻勢
  2. 消耗戦とアメリカ軍の反攻
  3. 日本封鎖

上記を見ればわかる通り、オレンジプランは日本の先制攻撃が前提となっています。
以下、各段階についての説明を。

第一段階では、日本軍によるフィリピン・グアムへの先制攻撃が想定されています。
ただし、この先制攻撃に対するフィリピン・グアムの防衛については、明確に定まってはいません。
フィリピン・グアムが失陥しないよう、一定規模の陸海軍を平時より配備して防衛する案や、日本の先制攻撃に対し間髪入れず全艦隊をもって即時反攻を行うなどの案がありましたが、両者ともコストやリスクを考慮すると現実的とは言いがたいものでした。結局のところフィリピン・グアムはいったん放棄されるであろうことが暗黙的に想定されていたようです。

第二段階では、大西洋艦隊の回航による米海軍の反撃となっています。
太平洋という広大な戦域における補給(兵站)が課題となりましたが、これについては艦隊に随伴して兵站支援を行う「役務部隊」が発案され、1922年に実現することとなります。
なお、オレンジプランの研究初期において、既に、広大な太平洋を戦域とする対日戦が長期的かつ無制限の総力戦になり得ると予測されてたりします。

第三段階。フィリピン・グアムを奪回したアメリカ艦隊が、これらを前進根拠地として沖縄経由で日本本土に侵攻することとなっています。
なお、この際に日本海軍との艦隊決戦も予期されていますが、日本海軍撃滅は必須ではありません。アメリカ海軍の目標は海上優勢(制海権)を獲得して海上封鎖を行い、物資の輸入遮断をもって経済産業を崩壊させ降伏に追い込むこととされていました。

実際の太平洋戦争の推移では、真珠湾攻撃や、アメリカによる南西太平洋での攻勢といった相違はあったものの、ほぼオレンジプランの想定通りになりました。オレンジプラン立案者たちの見識を伺わせるものですが、この正確さが、オレンジプラン陰謀論の一因でもあるのかもしれませんね。

オレンジからレインボーへ

さて1939年6月、ドイツおよびイタリアの膨張政策を初めとする情勢の変化を受けて、アメリカ政府はカラープランに替わる戦争計画であるレインボープランを策定します。
カラープランは、一国対一国の戦争を想定した割とシンプルな計画でしたが、これに対しレインボープランでは当時の外交・同盟関係を前提とした計画となっていました。
「レインボー」シリーズは番号を付されたいくつかの計画から構成されています。

レインボー1は、ドイツの南米大陸への侵攻への防衛計画で、陸軍の要求を反映したものです。
レインボー2は、アメリカと英仏の同盟を前提に、枢軸国側と太平洋・大西洋にて戦うものですが、欧州ではひとまず防勢を取り太平洋方面での勝利を優先する計画でした。
レインボー3は、アメリカ単独による対日戦争で、オレンジプランの改定版といえるものです。
レインボー4は、レインボー1の内容に加えて、日本による太平洋侵攻を想定しています。
そしてレインボー5、これが実際に第二次世界大戦において統合戦略計画「ABC-1」として採用されたプランとなります。内容はレインボー2と同じく、英仏同盟前提での太平洋・大西洋の二正面作戦ですが、こちらは欧州での勝利を優先するものでした。

レインボー5の採用は、ローズヴェルトチャーチルのワシントンでの会談(アーカディア会議)でドイツ打倒を最優先とする合意がなされたためでもありますが、真珠湾攻撃により米太平洋艦隊が壊滅していたことから、どのみち太平洋戦線は防勢を取らざるを得ない、という事情もありました。

最後に

さて、簡単ながらオレンジプランについて述べてみました。

Webでは、パラレルワールドに迷い込んだのかと思っちゃうくらい、奇妙な「歴史観」があふれているのですが、今回記事を書こうと思ったのも、たまたまオレンジプラン陰謀論のサイトを見てしまったからだったりします。

以前、陰謀論の種は尽きまじなんて書きましたが、本当、色々とこじつけてくれるものです。
そろそろ、落ち着いてきてもよいかと思うのですがね…。
などと不明瞭なことを言いつつ、今日の記事を終わります。

 

 

*1:国内治安作戦計画も含まれており、正確には「国」だけが対象ではありません。