【戦争と兵器を知ろう】太平洋戦争終結時の日本海軍残存艦艇
前回記事で前振りした通り、今回は太平洋戦争終結時に残存していた日本海軍の艦艇について。
太平洋戦争開戦時、日本海軍は米英に次ぐ世界第三位の戦力を持っていました。
開戦時に日本海軍が有していた主要艦船の合計隻数は233隻(うち連合艦隊205隻)。その内訳は、連合艦隊が戦艦10、空母9、重巡洋艦18、軽巡洋艦18、駆逐艦93、潜水艦57、連合艦隊以外が軽巡洋艦2、駆逐艦19、潜水艦7です。
ちなみに海軍戦力のみならず、国全体での海運用船舶においても米英に次いで世界第三位でした。その船腹量は639万7000総トンに達します。
さて、そんな世界有数の海軍力を持ち「海運王国」でもあった日本ですが、戦争による損耗は大きく、終戦時に保有していた艦艇は僅かなものとなっていました。
次節より、終戦時の主要残存艦艇について、艦種別で具体的に挙げていきます。
終戦時の主要残存艦艇
主要残存艦艇について、日本海軍定義で「軍艦」とされているもの*1については艦名とあわせて挙げていきます。
いくつかの艦については、その先行きについても少し述べたいと思います。
戦艦
残存戦艦は、以下の通り。
- 長門(中破)
- 榛名(大破)
- 伊勢(大破)
- 日向(大破)
長門は損害はあれども一応活動可能ですが、それ以外は大破しています。
主力艦の多くが損傷したまま終戦を迎えたのは、太平洋戦争末期、これらを日本本土沿岸に係留し浮き砲台としていた*2ところに空襲を受けたからだったりします。
特に呉軍港の周辺には連合艦隊の主力艦が集められていましたが、昭和20年(1945年)7月24日、28日の米機動部隊の艦載機による攻撃でほとんど大破しました。
なお、榛名、伊勢、日向は戦後に解体されますが、長門はアメリカに接収され、翌昭和21年(1946年)7月にマーシャル諸島ビキニ環礁で行なわれた原爆実験の標的艦となり沈没しました(クロスロード作戦)。
余談ですが、沈没した長門の船体は、現在、ダイビングスポットとして観光拠点となってるそうです。ただし、放射線の影響から艦体に直接触れることは禁じられてるとか。
余談ついでに。伊勢は解体前の一時期、住宅として使用されてたそうです。
航空母艦(空母)
残存空母は、以下の通り。
世界初の「新造空母」である鳳翔はさておき、見覚えのない名前が多いかもしれません。
天城、葛城は戦時急造の雲龍型空母(未成艦の笠置、阿蘇、生駒も雲龍型)、龍鳳は潜水母艦から空母に改造した艦*3、海鷹は南米航路用の客船「あるぜんちな丸」を空母に改造した艦、隼鷹は客船(北米航路での就航を予定)として建造中だった「橿原丸」を空母に改造した艦です。
残る未成艦の伊吹は、重巡洋艦(改鈴谷型)として建造中だったものを、途中で空母に変更、未完成のまま終戦を迎えたものです。
各艦は戦後、解体されますが、鳳翔と葛城は、解体前に海外からの復員や引揚者の輸送任務に就いています。
巡洋艦
巡洋艦は軽・重・練習巡洋艦をまとめて。
以下が残存巡洋艦です。
重巡洋艦
軽巡洋艦
- 酒匂(阿賀野型)
- 北上(球磨型、大破)
- 大淀(大淀型、大破)
練習巡洋艦
- 鹿島(香取型)
先行きなど
妙高、高雄はシンガポールのセレター軍港で終戦を迎え、しばらくシンガポールにおける人員宿泊・他艦船の修理・通信などの担任母艦(ホテルシップ)として使用されていましたが、その後イギリス海軍により接収。自沈処分されました。
軽巡の酒匂は、長門と同様に米軍に接収されて、ビキニ環礁における原爆実験の標的艦とされ沈没。
同じ軽巡の北上は復員輸送支援の定係工作艦として使用された後に解体されています。
練習巡洋艦の鹿島は、復員輸送艦として活躍した後に、解体されました。
水上機母艦
- 神威(大破)
- 能登路(中破)
神威は「かもい」と読みます。香港にて大破着底、しばらく放置されてましたが、後にイギリスにより解体されました。
能登路はイギリスにより海没処分されています。
「軍艦」以外の残存艦艇
ここから「軍艦」以外の残存艦艇です。
駆逐艦
- 41隻(大破1隻)
- 未成艦10隻
多くの駆逐艦は戦後に解体処分を受けていますが、一部の駆逐艦は海外からの復員や引揚者の輸送任務についています。
また、一部は戦時賠償艦としてアメリカ、イギリス、ソ連等の連合国に譲渡されました。
中でも、幸運艦として有名な雪風(陽炎型駆逐艦)は無傷のまま終戦を迎え、復員輸送に従事した後に、昭和22年に中華民国へ引き渡されます。
(余談ですが、雪風に乗った復員には漫画家の故水木しげる氏も含まれていたとか。)
雪風は、名を「丹陽(タンヤン)」と改め中華民国艦隊の旗艦として活躍、昭和41年(1966年)に廃艦となりました。
また、松型駆逐艦「梨」は沈没していたところを戦後に引き揚げられ、修理改装した後に警備艦「わかば」として海上自衛隊に編入されています。
潜水艦
潜水空母と呼ばれた伊400型と伊13型のうち、伊400、401、伊14が米軍によりハワイ基地に回航され、調査後にオアフ島沖で沈められました。
残りの潜水艦はいくつかのグループに分けられて、五島列島沖と紀伊水道、舞鶴沖などで沈められています。
海運用船舶
ついでに、海運用船舶について少々。
冒頭で述べた通り、世界第三位の海運用船舶を誇った日本ですが、開戦時の船腹量は639万7000総トンだったものが、1944年末には152万6000総トンまで減少しています。
さらに、そのうち運行可能なのはわずか31万総トンにすぎませんでした。
日本海軍では、作戦輸送以外の商船に対する護衛が不十分だったため、これら商船は米潜水艦や爆撃機の格好の餌食となりました。
(やんわり「不十分」なんて書きましたが、かなり酷いものでした。この辺の事情に興味がある方は、手始めに大井篤著「海上護衛戦」などを読まれると良いかと思います。)
あれだけ南方資源を欲しながら、その輸送には気を使わないという、毎度の謎行動に驚きつつも今日のところはこの辺で。