Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争を知ろう】歩兵の部隊単位その1【分隊・小隊・中隊】

当ブログでは従来、情報処理技術者試験の話題が中心だったのですが、ネタが尽きて最近は歴史…というか太平洋戦争の記事ばかり書いてます。

太平洋戦争に関する記事では、当然ながら軍隊が絡んだ話が多くなります。軍隊が絡んでくると、これまた必然的に中隊だの連隊だのといった言葉が頻繁に出てきます。
今まで、何の気なしにこれらの言葉を使ってきましたが、これらの部隊単位について知っている人は少ないのではないでしょうか。

小隊は小規模の部隊で、中隊はそこそこ、大隊はそれより大きいんだろう…というように字面からなんとなく想像できるものもありますが、分隊、連隊(聯隊)、旅団、師団といった言葉になると、ほとんど見当がつかない方も多いかと思います。

そこでこれらの部隊単位について、簡単ながら解説を書いてみることにしました。
とはいえ、いきなり機甲師団とかだと話がややこしくなりますので、歩兵部隊であることを前提としています。
また、ところどころ具体例を挙げておりますが、これらは原則、第二次大戦時の話となっております。これは私の趣味によるものですが、現代の編制よりわかりやすいからという理由もあります。

なお、部隊単位を上から下まで全体にわたって説明しようとすると、かなり長くなりますので、複数回に分割します。
本日の記事は、分隊、小隊、中隊について。

ちなみに、小さな単位から大きな単位まで部隊を順に並べると、下記のような感じになります。
(今回取り扱う部隊は赤字にしておきました。)

分隊 < 小隊 < 中隊 < 大隊 < 連隊 < 旅団 < 師団 < 軍団 < 軍 < 軍集団とか方面軍 < 総軍 

ただし組織や時期によって違いがあり、必ずしも上記のような構成となるわけではありません。

注意書き

当記事で述べる部隊単位や編制などは、あくまでも代表的な例であり、国や時期、組織によって異なります。細かな相違に留まらず、大きく異なるケースもありますのでご注意ください。
記事中、部隊の定数や指揮官なども書いてますが、これも代表例であり、例外はいくらでもあることをご承知おきください。

分隊(英:squad)

分隊は最小の部隊単位であり、人員数(定数)は10名前後です。
ただし、この定数は国や組織、時期によって相当なバラつきがあります。例えば旧日本軍の歩兵分隊では15名編制とされたことがあり、また第二次大戦末期のソ連軍では7名編制の歩兵分隊なんかもありました。
ちなみに第二次世界大戦では、大戦初期の頃は分隊定数が多めで、大戦末期に近づくにつれ減少する傾向がありました。
この原因として、戦死戦傷などで動員可能な兵数が減少したことや、火器の性能向上により少人数でも大きな火力を発揮できるようになったことが挙げられます。
(とはいえ、あまり定数を少なくしてしまうと、兵員損耗時の戦力低下割合が大きくなるというデメリットもありました。)

なお、分隊指揮官(分隊長)には下士官である軍曹が任命され、副分隊長または次席指揮官には、より下級の下士官(伍長など)が充てられます。
分隊では、隊を射撃班、突撃班に分割して、射撃班の援護のもと突撃班が前進する、といった基本戦術*1がありますが、この際のそれぞれの班は分隊長および副分隊長が指揮を執ります。

戦闘により多かれ少なかれ戦死者/負傷者が出ますが、分隊長が戦死や負傷により指揮を執れなくなった場合は、副分隊長が指揮を引き継ぎます。これにより副分隊長のポストが空きますが、そこには副分隊長に次ぐ階級のもの(兵長とか)や、最先任*2上等兵とかが割り当てられることになります。
(なお、階級についても国、組織、時期により異なりますのでご注意ください。)

小隊(英:platoon)

次は歩兵小隊について。
小隊は、一般的に3個から4個の歩兵分隊で構成されます。具体例として、1936年頃から太平洋戦争にかけての旧日本陸軍歩兵小隊を挙げると4個分隊で構成、兵員数は約50名でした。

指揮官(小隊長)には少尉が任命され、小隊本部には小隊長を補佐する小隊軍曹や通信兵が付きます。
小隊軍曹には経験豊かな曹長や古参軍曹が任命され、小隊長の補佐を行います。また士官学校を出て間もない新任少尉が実戦に慣れるまでのフォローも小隊軍曹の重要な役目でした。

余談ですが、1940年あたりから終戦にかけての旧日本陸軍の歩兵1個小隊は、軽機関銃分隊3個、擲弾筒分隊1個で構成されることになっていました。
(擲弾筒はミニ迫撃砲とでもいうような兵器で、擲弾筒分隊には、八九式重擲弾筒*3が3門配備されていました。)
しかし、実際には軽機関銃の生産が間に合わなかったため、軽機関銃分隊2個、擲弾筒分隊2個の小隊が多数編成されたようです。

中隊(英:company)

最後に歩兵中隊について。

歩兵中隊の定数は、中隊を構成する小隊の規模によって異なるため一定していませんが、大体120〜200名程度が一般的です。
(なお、旧日本陸軍を例に挙げると、日露戦争時までが平時150名、戦時200名。太平洋戦争の頃は120名ないし150名程度でした。)

中隊は、多くの国で平時の兵営生活の基本単位となっています。兵士たちの教育訓練や演習、寝食にいたるまでの日常生活(いわゆる「内務」)は、大半が中隊単位で行なわれており、兵士たちにとって一番身近な部隊単位でした。
(ちなみに、小隊は日常生活では編成されず、戦時、演習時に設けられるものです。)

部隊編制についての具体例をいくつか。
ドイツ軍やソ連軍、アメリカ軍の歩兵中隊は小銃小隊3〜4個を基幹として、重機関銃や軽迫撃砲などの支援火器を持つ小隊または分隊を加えた編制が基本でした。
イギリス軍では、小銃小隊3個のみで、中隊レベルでは支援火器を持つ部隊は置かれていません。ただし、必要に応じて師団直轄の独立機関銃大隊より分派を受けることになっていました。
日本陸軍では、小銃小隊3個編制であり、イギリス軍と同様に中隊レベルでは支援火器を持つ部隊は配備されていません。重機関銃は、一つ上の大隊に所属する機関銃中隊に配備されており(重機8丁装備)、必要に応じて各歩兵中隊に増強されることとなっていました。

中隊の指揮官(中隊長)には、大尉か経験豊富な中尉が任命されます。
ただし、これは毎度おなじみの「代表的な例」であり、例えばイギリス軍では少佐が任命されることが多くありました。
なお、旧日本陸軍ではほとんどが大尉、まれに中尉です。佐官は中隊長には充当されませんでした。

補足 編制と編成

上記文中、「へんせい」という言葉が何度か出てきましたが、ある箇所では「編制」、別の箇所では「編成」と書いております。
この二つはよく混用されるのですが、元来は別義の言葉です。

「編制」とは、ある集団の構成の内容をさし、例えば軍隊組織や階級ごとの人数、装備品や補給品の数など定められた組織の状態を表すときに使われます
これに対し、「編成」とはいくつかの単位を集成して一個の集団を構成する行為のことです。
このため、「編成する」とはいえますが、「編制する」という使い方はできません。

読みがどちらも「へんせい」で紛らわしいため、旧日本軍では「編制」を「へんだて」、「編成」を「へんなり」と呼んで区別していました。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

歴史群像アーカイブ volume 2―Filing book ミリタリー基礎講座戦術入門

図解・日本陸軍歩兵

 

 

*1:アメリカ軍でいうところのファイアー&ムーブメント

*2:一番先に昇進した者のこと

*3:ちなみに口径は50mmです。第二次大戦時、ドイツも歩兵小隊用に口径50mmの軽迫撃砲が配備されましたが、こちらは有効性が今ひとつで、大戦中頃には姿を消していきました。