Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争と兵器】飛行爆弾V1ことFi103/FZG-76【巡航ミサイルの始祖】

ちまたで、空自への巡航ミサイル導入という話が出てきました。例によって例のごとく、公の議論もろくな説明もないまま進めるようです。まあ毎度のことですが*1
さておき、巡航ミサイルの話題が出たのに乗っかって、当ブログでも少し巡航ミサイル関連の話を。
今回は、第二次大戦時にドイツが開発・実戦投入した史上初の「巡航ミサイル」フィーゼラーFi103/FZG-76について。

Fi103というのはフィーゼラー社における型式番号、FZG-76というのはドイツ空軍における名称*2です。この名称ではわかる方が少なそうですが、ナチスが宣伝のためにつけた名称である「V-1」といえば割とピンとくる方もいるのではないでしょうか。

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なお、V-1の「V」は「Vergeltungswaffe(フェルゲルトゥングスヴァッフェ)」、つまり「報復兵器」を意味しています。ちなみに何に対する報復かというと、イギリス空軍による無差別都市爆撃に対しての報復となります。

報復兵器1号ことFi103

Fi103開発の発端は第二次大戦前に遡ります。
1935年に、P・シュミット博士とマデルング教授は、パルスジェットエンジンを搭載した無人飛行爆弾計画を発案していました。また、1939年にはアルグス社のF・ゴスラウ博士が同様の「フェルンフォイアー(遠距離攻撃兵器)」計画を提案します。

バトル・オブ・ブリテン」に敗れ面目丸つぶれとなっていたドイツ空軍は、復仇の手段としてフェルンフォイアーに着目。フェルンフォイアーの動力に想定されていたのはレシプロ発動機でしたが、アルグス社は独自にパルスジェットエンジンも研究していたことから、空軍は前述のシュミット博士にアルグス社への協力を働きかけ、1942年にはパルスジェットエンジン実用化の目処をつけました。さらに機体設計についてゴスラウがフィーゼラー社と共同開発を行います。
1943年4月より試験および運用訓練を開始、1943年6月23日にはゲッベルス率いる宣伝省のプロパガンダ放送において「V-1」と称され、大々的に内外に公表されました。
しかし、陸軍が開発した世界初の「弾道ミサイル」V-2との生産をめぐる主導権争いや、連合軍の関連施設爆撃などで実戦投入が遅れ、1944年6月にようやく攻撃が開始されています。

さて、Fi103は前述の通りパルスジェットエンジンを採用しています。パルスジェットエンジンは、タービンも圧縮機もない簡単・安価なジェットエンジンであり、使い捨てのミサイルにはうってつけでした。ただし、毎秒45回の間欠的な燃焼ガス噴射を行うパルスジェットは騒音と振動が凄まじく、独特の飛行音を立てながら飛んでくるため、すぐに接近がわかったといいます。なお、最大航続距離は250kmほどでした。
地上の発射台もしくは空中の母機から発射され、発射後はジャイロスコープと気圧計を用いた姿勢制御装置で飛行方向と高度を設定、機首に設置した小プロペラの回転数で飛行距離を測ります。小プロペラが設定された回転数に達すると、エンジンを停止して目標に向けた滑空を開始しました。ごく簡単な誘導装置がついていたわけです。
重量2150kgのうち900kgがTNT爆薬で、着弾すると大きな損害を与えました。

なお、Fi103の速度は時速650kmほどで、対空火砲や戦闘機による迎撃が可能でした。
イギリス軍は沿岸部に阻塞気球と対空砲・対空ロケットによる防空網を構築し、また、スピットファイアXIVやテンペストVなどの高速戦闘機での迎撃を行っています。

Fi103は迎撃に対する対抗手段を持たず、また誘導精度の低さも相まって大半は目標に到達できませんでした。
V1は第二次大戦中3万257発が生産され、そのうち、イギリス本土に向けて発射されたことが確認されたのは9251発です。これに対しV-1撃墜数は、対空砲火で1971発、阻塞気球で278発、戦闘機による迎撃が1979発といわれています(諸説あり)。
ロンドンに着弾したのは2419発とされ、残りはイギリス本土南東部各地に着弾しました。
犠牲者数は死亡6184名、負傷1万7981名といわれています。

最後に

Fi103が戦局に与えた影響はけして大きくありませんが、その後のミサイル開発に与えた影響は大きなものでした。 
ちなみに、アメリカは着弾したFi103をコピー、JB-2(陸軍)/LTV-N-2(海軍)として制式化、対日戦への投入を予定していたりします。

Fi103を始祖とする巡航ミサイルは、1950年代末には8000km以上という長大な射程を持つものが開発され、また、1980年代のトマホークを端緒に高精度の攻撃が行える巡航ミサイルが登場しました。さらに現代の巡航ミサイルは地面・海面近くの低高度を飛行するため探知が困難です。
各国は、探知・迎撃が困難な巡航ミサイルの脅威に頭を悩ませることとなりました。核弾頭の搭載が可能なものも多く、世界情勢へ与える影響も小さくありません。なんとも厄介な兵器ではあります。

 

 

*1:とか、本当はこんな状態に慣れちゃいけないのですけども。最近は特に、国民がバカにされてる感が強いですね…。

*2:秘匿のため、対空射撃標的機を示すFZGの記号に開発番号76を充てて「FZG-76」と命名されました。