Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争と兵器】はじめてのだんどうミサイル【V2ことA4ロケット】

前回、前々回の記事にて、巡航ミサイルとその始祖であるドイツのV1飛行爆弾について記事を書きました。

oplern.hatenablog.com

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巡航ミサイルと来れば次は弾道ミサイル、V1飛行爆弾と来れば次はV2ロケットと相場が決まっている(?)ので、今回は世界最初の弾道ミサイル、V2ことA4ロケットについて取り上げます。

V2/A4ロケットとは

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V2ことA4ロケットは、第二次大戦時のドイツが開発した世界初の弾道ミサイルです。
全長14メートル、弾体直径は約1.7メートルで、尾部には4枚の安定翼が配置されていました。
使用燃料は液体燃料であり、燃料となるB液(加水アルコール*1)と酸化剤のA液(液体酸素)の二種の薬液を用いています。
ジャイロスコープを用いた慣性誘導装置が用いられ、噴射口に取り付けられた4枚の噴射偏向板や安定翼に取り付けられた舵により飛行姿勢などを制御していました。

V2ロケットまたはA4ロケットと2つの名前で呼ばれるのですが、正式な開発名称はA4ロケットとなります*2
V2いう名称は、宣伝大臣ゲッベルスがつけた政治的宣伝名称で、「V」は「Vergeltungswaffe(フェルゲルトゥングスヴァッフェ、報復兵器)」の頭文字です。つまり「報復兵器2号」。何に対する報復かというと、前にも書きましたがイギリス空軍による無差別都市爆撃に対しての報復となります。
ちなみに報復兵器1号はV1飛行爆弾ことFi103です。Fi103は世界初の巡航ミサイルであり、巡航ミサイル弾道ミサイルのいずれもナチス政権下のドイツで実用化されたわけですね。

弾道ミサイル

A4ロケットは「初めての弾道ミサイル」なわけですが、弾道ミサイルについてはここしばらく北朝鮮がらみでいろいろと取り沙汰されてますので、どんなものか知ってる人も多いと思います。とはいえ、一応さわりだけ解説しておきます。

弾道ミサイルは、大気圏上層・大気圏外を弾道飛行して目標に向かうミサイルです。
「弾道飛行」とは、大砲の砲弾のように弧の弾道を描く飛行形態です。ボールを上方に向かって投げてやると、当初は投げた勢いで上昇していきますが、いずれ重力に惹かれて落ちてきます。ごくあたり前のことですが、このような飛行を弾道飛行と言います。

弾道ミサイルは、当初ロケットエンジンにより加速し上昇していきますが、燃料を燃焼し終えると、あとは弾頭部分が慣性により飛翔、そのうち重力に惹かれて落下してきます。
降下時の速度は音速の何倍もの速度となります。ちなみにA4ロケットではマッハ3でした。

A4ロケット事始め

ドイツでは1920年代から宇宙への関心が高まり、民間有志が「宇宙旅行協会」を設立して、液体燃料ロケットの試作と実験を繰り返していました。
そんな中、協会メンバーだったヴェルナー・フォン・ブラウンらは、ドイツ陸軍から勧誘を受け、兵器としてのロケット開発に携わることとなります。
当時のドイツでは、第一次世界大戦の敗北により大型兵器の開発が禁止されていたこともあり、ドイツ陸軍はロケットの兵器としての可能性に着目したのです。
ヴェルナー・フォン・ブラウンらは、やがて1942年にA4ロケットを完成させることとなります。

A4ロケットの脅威

さて、元祖巡航ミサイルFi103(V1)が空軍の兵器だったのに対し、A4は陸軍の兵器です。
1942年には打ち上げに成功していたのですが、その後のテストは失敗続きで安定せず、またドイツ内の足の引っ張り合い(生産をめぐるV1陣営との主導権争いとかヒトラーが余計なことして邪魔したりとか)もあって、初の実戦投入は1944年9月となります。
最初は、連合軍が入城したパリに向かって2基が発射されますが、これは2基とも墜落して失敗に終わります。その後、ロンドンに向かって2基が発射され、そのうち1基がロンドン市街に着弾しました。これが世界初の弾道ミサイルによる攻撃で、9月8日のことでした。

A4ロケットの最大到達距離は約377kmに達し、最大9万7000メートルの高度に到達した後、マッハ3の速度で落下してきます。
当時の技術では、これを探知・迎撃することは不可能で、連合国はこれを深刻な脅威として受け止めました。

しかし、実のところA4ロケットによる戦果はかんばしいものではなく、戦局にはほとんど影響を与えていません。これは、A4ロケットの弾頭が1トンの航空爆弾と同等でありコストの割には効果が薄かったこと*3、命中精度が低かったこと(例えば最大到達距離での着弾誤差は7〜17km)が主な理由です。
(命中精度については、当時の技術ではこれが限界でした。一応、目標地点が近距離になるにつれて着弾精度は向上します。)

ただし、A4ロケットはロンドン市民へ大きな衝撃を与えました。A4ロケットは、防空壕に避難する間も与えず突然に被害をもたらします。当時の技術では探知・発見は不可能であり、また、音速を超える速度で落下するA4ロケットは、着弾時の前触れとなる音は聞こえてきません(爆発後に飛翔音がやってきます)。
突如襲いかかる予期できない無音の爆弾は、ロンドン市民を恐怖に落とし入れ、発狂者も出たといわれています。
A4ロケットはロンドンに向けて1359基が発射され、598基が着弾、死者2754名、負傷者6523名という犠牲を出しました。

また、命中精度が低いとはいえ、集中攻撃を行えば都市機能を喪失させることも可能でした。実際に、連合軍の最大補給港であったベルギーのアントワープは、A4ロケットの集中攻撃により瓦礫の山と化し、都市機能を失っています。
(A4ロケットは、実のところロンドンよりもアントワープに向けて発射されたものの方が多いです。)

連合国側は、A4ロケット発射後の対処が不可能であることから、A4ロケットが地上にあるうちに破壊しようとします。しかし、A4ロケットは車両移動による地上発射方式となっており、鉄道と道路網を駆使して様々な地点から発射を行っていました。A4ロケットは森林からの発射も可能なため偵察機による発見も困難で、仮に捕捉できてもすぐに移動されてしまいます。このため連合国は発射地点の特定ができず、鉄道や道路網を爆撃して寸断することで本体や燃料輸送を妨害するという間接的な手段に頼るしかありませんでした。
結局、A4ロケットの発射を食い止めるには、地上軍がドイツ領内に進攻して占領するしかなく、ドイツの降伏までA4ロケットの脅威が続くこととなります。

A4ロケットの費用

A4ロケットのコストについても少々触れておきましょう。

A4ロケットの開発と運用には、現在貨幣価値で2兆円ほどの資金がかかっています。また、貴重なアルミニウム合金を含む多量の資材が投入され、さらに何万人もの人員が動員されました。
「何万人もの人員」なんてさらっと書きましたが、A4ロケットの製造には強制収容所の囚人たちが労働力として利用されていました。囚人たちの多くはフランスやソ連の捕虜で、飢餓や病気、過労により約1万人が死亡したといわれています。
なお、製造はドイツ中部ノルトハウゼン近郊の秘匿地下工場で行われていますが、この工場は通称「ドーラ収容所」と呼ばれていました。終戦までの8ヶ月間で約4600基が製造されており、これは1日あたり20基ほどを作っていた計算となります。

これほどのコストをかけて投入されたA4ロケットですが、前述したとおり、思ったほどの戦果はあがらず、戦局にはほとんど影響を与えていません。
当時のドイツ軍需大臣アルベルト・シュペーアは、戦後の回顧録でA4ロケットの生産決定を「私の最大の誤り」と述懐しています。
とはいえ、連合国側にV2関連施設攻撃のため貴重な爆撃機を使用させてますので、この点もV2ロケットの「戦果」と言えるかもしれません。それでも得失が良好とはとても言えないでしょうが。

A4ロケットその後

ヴェルナー・フォン・ブラウンらが中心となって開発したA4ロケットは、これより後に開発されたほぼ全ての弾道ミサイルおよび宇宙ロケットの基礎となりました。
また、車載式弾道ミサイルの運用形態をも確立しています。

なお、フォン・ブラウンら主要メンバーはアメリカに投降、ソ連も多くのミサイルと技術者を確保しています。
これらの技術者は戦後の弾道ミサイルおよび宇宙開発に大きな役割を果たし、世界に大きな変化をもたらすこととなりました。良くも悪くも、ですが。

 

 

*1:水とエタノールの混合燃料

*2:ちなみに「A」は非匿名である「Aggregat(アグレガーテ、集合体)」の頭文字です。

*3:当時のドイツ爆撃機は、1機あたり2トンの爆弾が搭載できました。A4ロケットはその半分にしか過ぎないわけです。