Man On a Mission

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【フランス革命】フランスの軍人/政治家/数学者 ラザール・カルノー【勝利の組織者】

本日は2本立て。前回分にて、フランス革命政府における徴兵制の始まりについて書きました。
これは軍制改革の一環であったわけですが、それに深く関わった人物として、ラザール・カルノーがいます。

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前回分では触れてないので、本記事にてカルノーについても少々。なお、本記事の画像は全て、ナポレオン-獅子の時代-およびナポレオン-覇道進撃-より。

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ラザール・ニコラ・マルグリット・カルノー

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フランス革命政府は、徴兵制度の導入とともに各種の軍制改革を行いますが、その際に重要な役割を果たしたのが、「勝利の組織者」 ことラザール・ニコラ・マルグリット・カルノー(大カルノー)です。

1753年5月13日、ブルゴーニュ地方で中流ブルジョア家庭に生まれたカルノーは、最高の教育を受け、各種の学問に通じた人物でした。
王立工兵隊に所属していましたが、貴族ではなかったため昇進の希望はなく、革命前は工兵大尉にとどまっています。
フランス革命後、38歳で議員となり、翌年には軍事通として、ライン軍を鎮撫するための議会代表として派遣されています。派遣議員第一号であり、92年から93年半ばにかけて、ピレネー軍や北方軍を回りました。

カルノーは93年8月に、ロベスピエールによる恐怖政治時のフランス革命政府において公安委員会のメンバーに選任され、陸相と総参謀長を兼ねる存在として軍事の実権を握ることとなります。
徴兵制をはじめとする軍制改革を行い、また、兵站や軍需工場の整備拡充に務めました。ナポレオンが活躍した背景には、カルノーが築き上げた軍/軍制度が不可欠だったといえるでしょう。

その後のカルノー

後にテルミドール9日のクーデターによりロベスピエールらが倒れ、総裁政府が発足しますが、カルノーは五総裁のうちの一人となります。
カルノーは、もともとロベスピエール派とは距離をとっており、中立派と目されていました。また、後にはロベスピエール派のサン=ジュストと犬猿の仲となりますが、それをきっかけに反ロベスピエール派の色を濃くし、テルミドール9日のクーデターを支持することとなりました。
実のところ、カルノーは政治的な策謀には疎いタイプであり、ある意味サン=ジュストとの対立に救われたと言えるのかもしれません。

しかし、1797年のフリュクチドール18日のクーデターにより、カルノーは議員資格を剥奪、ジェノヴァに亡命することとなります。
フリュクチドール18日のクーデターは、1797年3月の選挙で王党派が圧勝したことに危機感を抱いた総裁のバラスやルーベルらが、軍部の支持を得て武力で議会を制圧、216人の議員を逮捕した事件です。
(ちなみに、ナポレオンはピエール・オージュロー配下の軍を派遣しています。)

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カルノーは王党派では無いのですが、王党派と対立姿勢を取らず、総裁政府を牛耳るバラスとの関係が悪化*1していたことが災いしました。

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その後のカルノーのその後

1799年、ナポレオンが総裁政府を軍事クーデターで倒し、統領政府を樹立します(ブリュメール18日のクーデター)。
これにより、カルノーは恩赦を受け帰国しました。さらに、ナポレオンとの親交があったことから1800年には陸軍総監に任命、4月にはベルティエの後任として戦争大臣に就任します。

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1802年カルノーは護民院議員となります。
不器用な共和主義の立場を貫いたカルノーは、ナポレオンの終身統領制、帝政にも一貫して反対しています。しかし、不器用政治的策謀が苦手な人物であることから、ナポレオンが警戒感を抱くことはなかったようです。

1807年には政界を引退しますが、ルイ18世による王政復古後にナポレオンが帰還(百日天下)すると、政界復帰して内務大臣を務めています。
しかし、ナポレオン敗北後、ふたたび訪れた王政復古で追放され、ドイツのマグデブルクで余生を過ごすこととなります。1823年8月2日にその生涯を終えました。

最後に

余談となりますが、カルノーのみならず、その息子たちも各分野で業績を残していたりします。
長男のニコラ・レオナール・サディ・カルノーは物理学者で、カルノー・サイクルの考案者です。弾道ミサイルと潜水艦の記事で取り上げたスターリングエンジンは、カルノー・サイクルに近いものです。
他に、次男のラザール・イポリット・カルノーは政治家、その子供であるマリー・フランソワ・サディ・カルノーも政治家でフランス第三共和政の第5代大統領でした。

 

*1:というとまるで仲が悪いだけのように聞こえますが、和平実現における政治的対立があります。カルノーは同盟国側に譲歩してでも和平したかったのですが、戦争で略奪した財を懐に収めるバラスらは、戦争の継続を望んでいました。