Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【黙つて働き】日本の戦時スローガン セレクション【笑つて納税】

昭和10年:九千万人 一列行進 出せ 三千年の底力
昭和17年:一億が みな砲台と なる覚悟
昭和18年:一億抜刀 米英打倒
昭和19年:一億玉砕
昭和20年:一億総懺悔 ←オチ部分
平成27年:一億総活躍社会 ←2周目開始

進め一億 火の玉だ

今日は唐突に妙な文章から始まりましたが、別段、頭がおかしくなったわけではなく(たぶん)本日記事の前フリのつもりです。
上記国難政権が一億総活躍とかわけのわからないことをでっち上げた時期に、戦前〜現代のスローガンを集めて某所に書いたものですが、こうやってみると、昭和10年から平成27年までのスローガン(じゃないものもありますが)が違和感なく立ち並び、日本の伝統がいささかも失われていないことに感心する次第。
伝統とやらを大切にする日本では、現在、大胆な金融がどうとかいう経済政策(アレなミクス?でしたっけ?)のおかげで景気も良好だとか。
なんかエンゲル係数が上がったりしてるのは「食生活や生活スタイルの変化が含まれている」せいだし、真綿で首を絞められつつあるような今の生活感も、きっと気のせいに違いありません。ああすばらしきかな日本。くそったれ。
まあ、日本のすばらしさはさておき、エンゲル係数の件について他所様の記事へのリンクなど貼っておきます。

blog.monoshirin.com

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閑話休題、予想外に横道にそれてしまいましたが、本日の記事は冒頭で書いたようなスローガンを集めた本の紹介です。

黙つて働き 笑つて納税――戦時国策スローガン傑作100選

副題の「戦時国策スローガン傑作100選」が示す通り、日本の(概ね)昭和戦時下における標語・スローガンを収集・掲載した本です。以下、出版元の紹介を引用。

「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」「祖国のためなら馬も死ぬ」「りっぱな戦死とえがおの老母」「権利は捨てても義務はすてるな」等、凄すぎて言葉も失う超絶コピー・戦時国策スローガン100選。コメントとイラストで戦時下コピーが明らかになる。
[著者紹介・編集担当者より]
家庭内の過ごし方への指図から無茶苦茶な誇大妄想まで何でもありの戦時国策標語。禁酒禁煙節食を要求し、一方で米英本土を占領せよとみみっちいと同時に気宇壮大な無理難題。当時の国民の苦労が偲ばれる。面白しろうて、やがて悲しき戦時下コピー集。

2013年8月の発売なのですこし前の本なのですが、時間が立つごとに加速度的に味わいが増していってるので、今さらながら。
ついでに、私が特に気になったスローガンをいくつか、時系列順で引用してみます。私の一言コメントと、簡単ながらスローガン当時の時代背景なども書いてみました。
(なお、印象的でも内容が被ってるスローガンは重複しないように選んでます。)

昭和8年(1933):権利は捨てても 義務は捨てるな

一言コメント:日本では、他者に権利を捨てさせようとする人が結構いる。

日本では「義務を果たすことで初めて権利が与えられる」的な勘違いをされてる方が多いのですが、まあ、それはさておき昭和8年(1933年)というと、日本が国際連盟を脱退した年ですね

中国東北部に日本の傀儡政権である満洲国をおっ立てた結果、孤立化して脱退するわけですが、脱退の際には松岡洋右(まつおかようすけ)全権による80分にもわたる長演説なんて珍事もありました。実のところ、松岡自身はこの脱退を悔いていたといいます。国際連盟総会は2月ですが、正式な脱退通告は3月27日でした。
(ただし通告から2年間は加盟国の義務を遂行する規定がありましたので、脱退発効は1935年3月27日です。)
ちなみに連盟脱退前の同年1月には、ドイツでナチス政権が樹立されています。

昭和14年(1939):笑顔で受け取る 召集令

一言コメント:こんなスローガンが出たってことは、愛国心を煽ってた当時の日本でも召集令は歓迎されなかったということかな。

いきなり時間が飛んで、昭和14年(1939年)。この年の5月から9月にかけてノモンハン事件が発生しています。ノモンハン事件ソ連軍との間の国境紛争ですが、形式的には満洲国とモンゴル人民共和国(通称、外蒙古)間の国境紛争でした。
なお、このスローガンの背景には2年前の1937年に始まった日中戦争があります。
ちなみに、1939年9月にはドイツがポーランドに侵攻、第二次世界大戦が勃発しました。

昭和15年(1940):りつぱな戦死と ゑがほの老母

一言コメント:コワイ!

個人的には、トップ10形式なら1位にもってきたいスローガンです。大日本帝国の論理では、国民は生まれた時から「お国のもの」ですので、こういった狂気めいたものが平然と出てきて日本すごい
「軍国の母」像は太平洋戦争に入るとさらに加熱していきますが、それはまた別の機会に。

昭和15年(1940年)は、泥沼化した日中戦争のなか、政党が解党され大政翼賛会が発足した年です。
9月には日独伊の三国同盟が締結され、これは英米との戦争への決定的な転機となります。重大な影響をもたらした割に、同盟としてはほぼ機能しなかったあたりがなんとも皮肉です。

昭和16年(1941):国が第一 私は第二

一言コメント:たかが国ごときが、国民より優先される…だと…?

国民と国で優先順位をつけると、圧倒的に国が上に来ちゃうのが大日本帝国でした。現代日本においても、最近はそういう国家に回帰したいという人が増えてきてるようですが。

さておき、昭和16年(1941年)の12月には遂に太平洋戦争が勃発しました。開戦前の経緯として、同年の7月に日本軍による南部仏印進駐、これを受けてアメリカが対日禁輸や日本資産凍結を行っていますが、日本側は、南部仏印進駐が米英の強烈な反発を引き起こすなどとは考えていなかったようです。
戦争を回避するべく日米交渉も行われましたが不調に終わり、結局、英領マレー半島への上陸および真珠湾攻撃をもって開戦となりました。

昭和19年(1944):アメリカ人をぶち殺せ!

一言コメント:ついに知性を全面放棄。

なんともストレートというか、身も蓋もないスローガンですが、驚くべきことにこのスローガンは婦人雑誌「主婦之友」昭和十九年十二月号に掲載されたものです。
同号の巻頭特集は「これが敵だ!野獣民族アメリカ」とのことで、他にも「アメリカ人を生かしておくな!」とか「一人十殺米鬼を屠れ!」といった類似のスローガンが奇数ページ左肩に掲載されてたとのこと。

昭和19年(1944年)は、既に太平洋戦争の敗色が濃厚となっていた時期で7月にはサイパン、8月にはグアムが陥落します。また、B-29爆撃機による日本本土爆撃が反復的に行われるようになりました。
なお、胸糞の悪い話となりますが、同年12月には軍需省・厚生省により一般国民の飼い犬・飼い猫の強制供出が決定されました。飼い犬は全て殺害し、毛皮を飛行服に、肉は食用に利用することとされています。

番外:昭和20年(1945年):一億総懺悔

一言コメント:ふざけるな。

これは、本来スローガンではなく、また「黙つて働き 笑つて納税」にも掲載されておりません。
鈴木貫太郎の後に内閣総理大臣に就任した東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)によるものですが、実際の発言は「全国民が総懺悔する事が我が国再建の第一歩」で、昭和天皇への問責を阻止するための「一億総懺悔論」といわれています。
本来、政府や軍などの指導者層が負うべき責任を「全体」に転嫁するという、現代日本でも割と使われる手法ですね。
ちなみに「事ここに至ったのは勿論政府の政策がよくなかったからであるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。」などという、火に油的な言葉も残しています。

ともあれ、昭和20年(1945年)、日本政府はポツダム宣言つまびらかに読んで受諾します。
降伏に至る経緯などは、下記に簡単にまとめておりますので、よろしければどうぞ。

oplern.hatenablog.com

最後に

僭越ながら、「黙つて働き 笑つて納税」を紹介させていただきました。
他にも、興味深いスローガンが多数掲載されてますので、興味のある方は是非。

黙つて働き 笑つて納税――戦時国策スローガン傑作100選

最後に、同書のあとがきで印象深かった言葉を引用させていただいて締めとしたいと思います。

昭和十年代を研究していて恐ろしいと感じたのは、どのような強固な意志をもっていようと、いかに崇高な理想を掲げていようと、暴力の恐怖をちらつかされて発言と議論の権利を奪われてしまったら、個人なんてものはひとたまりもないということである。みんな自己規制をして、みずからの信念を吐露することもなく黙ってしまうのだ。
そして、そうした環境になんじてくると、客観的にものごとを見たり、冷静に社会をとらえることがむずかしくなる。これがこの時代が残してくれたいちばん大きな教訓である。