Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【大日本帝国】戦前の神社制度【国家神道】

最近はやや沈静化していますが、日本ではそこそこの頻度で政治家の靖国参拝が話題となります。
ご存知の方もおられるかと思うのですが、大日本帝国時代において神社神道は国教的な扱いを受けており、神社はまるで国家機関のように取り扱われ神職は官吏待遇を受けていました。
靖国神社は、戦前制度上では「別格官弊社(べっかくかんぺいしゃ)」に該当し、陸軍省海軍省の共管となります。どちらかというと陸軍省が主となるようですが。

さておき本日の記事は、余計な余談を交えつつ、それらの制度について書いてみようという企画です。
どこに需要があるんだと思わなくもないのですが、まあ、靖国がらみとか、アレ政権への影響力が指摘される「神社本庁」関連組織だとかで今につながってくる部分もありますので、それらに興味のある方は基礎的な知識としていかがでしょうか。

政教分離よ、どこへ行く

いろんな事態を乗り越えて(なぜか)未だ倒れないアレ政権ですが、その閣僚の多くが「日本会議国会議員懇談会」に所属していることは最近つとに知られるようになりました。

日本会議」という団体についてご存知でない方は、ぜひともご自身で検索するなり本を読むなりしてお調べいただくことをお勧めしますが、さておき、この日本会議国会議員懇談会を上回る閣僚所属者数を誇る(?)のが神道政治連盟国会議員懇談会です。

神道政治連盟国会議員懇談会は、神社本庁の政治運動団体「神道政治連盟」に協賛する組織で、超党派国会議員により構成される議員連盟です。1970年5月11日に設立され、自民党を中心に多くの議員が参加しています。
神道政治連盟のWebサイトの内容を読みますと、「誇りのもてる新憲法の制定」だの「日本の文化伝統を大切にする社会づくり」だの「戦後おろそかにされてきた精神的な価値の大切さ」だのと、アレ首相を始めとするあっち界隈の方々の発言とのマッチング率が高いわけですが、まあ、これだけで察しがつく方も多いかと思いますので、ここではこれ以上言及しません。

さて、前述した神道政治連盟の母体である「神社本庁」について、「庁」とついているため国の行政機構だと勘違いする人もいそうですが、特にそういった組織ではなく民間の宗教法人です。

神社本庁

神社本庁は戦後間もない1946年2月3日に発足しました。以下、発足の経緯。

太平洋戦争終戦後、日本を占領統治したGHQは戦前・戦中の日本人を精神的に支配した「国家神道」を日本民主化における大きな障害と考えていました。
そのため、1945年12月15日、「神道指令」と呼ばれる覚書を日本政府に送ります。
神道指令」は、神道系施設や団体に対する国からの資金的・人材的サポートの停止を命じるもので、これにより大日本帝国において国内・海外の神社を統括した神祇院は廃止となり、また宗教法人令の改正も行われ神道や神社の地位が低下することになりました。
(神祇院の詳細については後述します。)

さて神祇院の解体を受けて、神祇院から国費補助を受けていた大日本神祇会皇典講究所の二つの財団法人、および伊勢神宮信仰の有力組織である神宮奉斎会の3団体が合同し、新たな宗教法人を設立します。これが神社本庁です。
神社本庁に加わるかどうかは各地の神社の判断に任されましたが、実際にはほとんどの神社(約7万8000社)が神社本庁の傘下に入っています。
ただし、戦争遂行上重要な役割を担った靖国神社は、神社本庁には加わらず、独立した宗教法人として存続する道を選びました。

神道国家神道

神社やらなんやらは、一般的に神道とひとまとめで語られることが多いのですが、「神道」と「国家神道」は別のものなので注意が必要です。

神道」は日本における文化としての信仰を意味し、民俗信仰・自然信仰が大本となっています。
宗教史の観点では、神社に祀られる神を拝む形式(神社神道)や、山岳や巨木などの自然に宿る神を拝む形式(民俗神道)などいくつかの種類に分けられますが、概ね一般民衆の素朴な「信仰」の範疇となります。

これに対し、「国家神道」は明治時代に国の政治制度として導入されたシステムです。神社神道皇室神道を中心に「建国神話」を基盤に据えて、天皇の神格性を前面に押し出しました。
国家神道は、実質上、特定の政治思想を国民に植え付け、政治体制に国民を従わせるための政治システムとなります。国家神道に表され国民に浸透した価値観は、自縄自縛的な国民規範と化して、国家への献身や自己犠牲を強いるものとなりました。

次節以降で取り上げる戦前の神社制度は、後者の「国家神道」のものとなります。

神社制度

冒頭でも述べましたが、大日本帝国において神社神道は国教的扱いを受けることとなりました。
明治4年太政官布告により、神社は国家の宗祀(公法人)である旨を定め、全国10万社以上の神社を、神宮・官国弊社・その他の神社に分類しました(社格)。
(この分類に応じて、国の関与の度合いが異なってきます。)

なお、大日本帝国憲法においても信教の自由がうたわれており、その建前上、神社神道は宗教ではないとされました。
宗教行政は文部省が主管し、神社は内務省の所管だったのですが、このように管掌を分けたのも「神道は宗教じゃありません」アピールのためだという指摘もあります。

では以降、神宮・官国弊社・その他の神社といったそれぞれの分類について。

神宮

ここでいう「神宮」とは、伊勢神宮、すなわち皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)を指し、明治神宮などのように単に神宮と称しているものとは異なります。
制度上の「神宮」は神社中の最上位のもので、単に皇室のものというより国家の宗廟と位置づけられました。
(「神宮」管理については宮内省ではなく内務省の所管となっています。)

なお、神宮の祭事を掌るために「神宮司庁」という役所が置かれました。
宮司庁は国の官吏より成り、内務省の外局の位置にあります。ただし、法律上は国の機関ではなく法人としての神宮の機関でした。
宮司庁の長は「神宮祭主」といい、皇族または公爵をもって当てる親任官ポストとなっています。

神宮は、法律上財産権の主体として認められており、国の会計とは別に独立して収支を行う公法人でした。
国庫からの供進金や皇室からの祭典における奉幣などを収入としていますが、これとは別に大麻(麻薬ではなく、神札のこと)と暦の製造頒布権があります。この製造頒布のため、神宮神部署という役所が置かれていました。

神宮には氏子は存在せず、崇敬者のみとなります。

官国弊社

官国弊社とは、官弊社と国弊社を併せた呼称で、官弊大社を筆頭に7種の社格に分けられました。

官弊社(かんぺいしゃ)は主に皇室の祖神その他を祭り、祭典には宮内省から幣帛(へいはく:神に奉献するもの)神饌(しんせん:神に供える酒食)料を受けます。
大社・中社・小社・別格の4種に分けられました。なお、「別格」というと特別に格上みたいなイメージを持ちますが、これは大中小いずれにも該当しないというだけの意味しかなく、社格的には官弊小社と同格とされています。

官弊社は石清水八幡宮春日神社、太宰府神社などが挙げられます。冒頭でも少し触れましたが、靖国神社は別格官弊社に当たりました。

国弊社(こくへいしゃ)は、主に国土の経営や土地の開発に功ある神を祭った神社で、大社・中社・小社の3種に分けられます。
鶴岡八幡宮秩父神社など。

…とつらつら書いてきましたが、実のところ祭神の別からは官弊社・国弊社が必ずしも判然とせず、結局は例祭において供進される幣帛神饌料の出処で区別されました。
官弊社は宮内省が、国弊社は国庫が幣帛神饌料の出処となります。

ちなみに官国弊社は官社ともいいました。

その他の神社

神宮、官国弊社以外に府県社、郷社、村社、無格社があり、これらは民社とも呼ばれました。

府県社は各府県における上位の神社で、府県から幣帛神饌料を供進されます。
郷社は数カ町村の広い範囲に氏子をもち、一地方の中心となるものです。
村社は1村または1区域の氏神で、無格社はこれら以外の神社です。

なお、昭和14年に従来の招魂社を護国神社とし、指定護国神社は府県社・郷社と同格としました。

神社の職員

神社の職員についても触れておきます。

神宮には神官、その他には神職が置かれました。
神職を「神官」と通称することがあり、これは現代にもおよんでいます。なんとも紛らわしいですね…。)

神宮の神官については、神宮司庁官制に規定され、長である神宮祭主のほか、大宮司、小宮司禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんのねぎ)、宮掌(くじょう)があり、74人います。

神職は国家により任命され、官吏たる待遇を受けます。
ただし、俸給は国庫からではなく、神社の経費から支弁されました。実質的には公法人としての神社の職員とみることができます。
官国弊社は官国弊社職制により宮司権宮司禰宜、主典、宮掌を置き、府県社・郷社には社司、社掌を置きました。村社・無格社には社掌が置かれます。
神職は全国で1万5000人といわれ、大部分の神社には専任の神職はいませんでした。

神社行政

神社行政は内務省が所管し、神社局を置いていましたが、昭和15年に神祇院という組織となります。
神祇院総裁は内務大臣が兼ね、勅任の副総裁が置かれました。
神祇院は、神宮神社、神官神職に関する従来からの事項の他、敬神思想に関する事項を掌ることとなり、考証官、祭祀官、教務官といった特殊の官を置いています。

ちなみに、いわゆる教派神道神道黒住派とか金光教とか天理教)は神社神道とは全く別の扱いとなり、仏教やキリスト教などと同じく文部省宗教局*1の所管です。

前述のとおり、神祇院は1945年12月にマッカーサー元帥から神社神道を国家から分離するよう指令が出され、1946年2月に廃止されることとなります。

最後に

昔は、冒頭で述べたWebサイトのような内容をみても、ファンキーな内容を楽しめる心の余裕があったものですが、残念ながら近年の政情や風潮はそれを許してくれなくなりました。あっち方面の方々の主張・価値観は、もはや「今そこにある危機」なのです。

「国」なんていう、ある意味実体がないともいえるものへの献身を強いる大日本帝国的社会は、「国が第一、私は第二」という価値観の方にはユートピアでも、私のような人間にはディストピアでしかありません。
日本は今や、国民主権基本的人権も平和主義も無くしてしまえ、という言葉に拍手喝采する多数の与党政治家やそれに賛同する国民のいる国となってしまったわけですが、どこがどうなって戦前追体験フラグが立ってしまったんでしょうね。こんなイベントはいらないので別のModを用意してほしいところです。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

日本会議 戦前回帰への情念

事典 昭和戦前期の日本―制度と実態

 

 

*1:昭和17年に教化局、昭和18年には教学局