Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争と兵器】パラシュートあれこれ【降下しようと思ったならッ!】

しばらく軍隊におけるパラシュート利用の記事を書いてきました。
最後に、補足というか書き漏らしたことを思いつくまま適当に書いていきます。

その時スデに行動は終わっているんだッ!

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アメリカ軍の演習におけるパラシュート降下

以前の記事で触れたとおり、近年の空挺作戦はヘリコプターを用いた空挺作戦(ヘリボーン)が主流となっており、固定翼機からのパラシュートを用いた空挺作戦は少なくなっています。

ヘリボーンは、朝鮮戦争時に小規模なものが行われ、その後ベトナム戦争で本格化しましたが、それ以前の固定翼機+パラシュート降下の空挺作戦(エアボーン)としては、前々回で触れた太平洋戦争における日本軍のパレンバン攻略作戦、セレベス攻略戦や、第二次大戦欧州戦線でのノルマンディ上陸作戦などが挙げられます。

パラシュートによる空挺作戦の事例

第二次大戦中の事例

オーヴァーロード作戦におけるノルマンディ上陸では、米第82空挺師団や同第101空挺師団が1944年6月6日”Dデイ”の0100時過ぎに降下作戦を行っています。
(グライダーによる降下も行われました。なお英第6空挺師団もパラシュート/グライダー降下を実施しています。)
この降下作戦では、強風下での夜間飛行だったため、多くの輸送機が降着地点を見失い広範囲に分散着地してしまいました。
ドイツ軍がメルドレ川とドゥーブ川一帯の低湿地帯を冠水させたため、ここに降着した将兵には溺死者が続出し、グライダーにより運ばれた空挺用火砲や軽車両、工兵用資材なども相当量が失われたといいます。
ちなみに、奪取目標のひとつ、サント・メール・エグリーズには第82空挺師団第505落下傘歩兵連隊第2大隊F中隊が降下しましたが、この時、サント・メール・エグリーズでは町の教会の向かい家屋で火事が発生しており、町民だけでなくドイツ軍守備隊も消火と警戒に出動していました。このため、F中隊の兵士たちは活動中のドイツ軍のまっただ中に降下する羽目となります。F中隊の降下兵たちは、次々にドイツ軍から攻撃を受け、多くの死傷者を出すこととなりました。
ちなみに、同中隊のジョン・スティー二等兵は、パラシュートが教会の尖塔に引っかかって宙吊りとなり、何もできなかったため仕方なく死んだふりをしていた、なんて話を残しています。約二時間後にドイツ軍に発見されて捕虜になったものの、幸い生還されたそうです。

第二次大戦後の事例

第二次大戦後の事例としては、インドシナ戦争ディエンビエンフー攻防戦におけるフランス軍の降下作戦なんかが挙げられます。
インドシナ戦争は、フランスからの独立をめぐるベトナムホー・チ・ミン政権)−フランス間の戦争で1946年12月に勃発しました。

1953年の11月、フランス第1外人部隊落下傘大隊(BEP)を含む6個落下傘大隊が先遣隊として、周囲を山で囲まれた盆地の中央部に位置するディエンビエンフー周辺へ空挺降下を行いました。先遣隊は、同地にあった旧日本軍の滑走路を整備して空輸拠点を設営、この空輸拠点を使ってわずか10日のうちに約1万3000人のフランス兵と28門の重砲、米製M24戦車10量などが展開します。
まあ、このディエンビエンフーでの戦いは、結局ホー・グェン・ザップ率いるベトミン軍(ベトナム人民軍)の勝利に終わるわけですが、上記作戦は、空挺部隊の役割や効力についての一面をよく表しているのではないでしょうか。

近年の事例

ベトナム戦争以降、ヘリボーンが主流となってくるわけですが、それでも事例がないというわけではありません。
比較的近年の事例としては、米軍によるアフガニスタンを戦場としたいわゆる「不朽の自由」作戦における降下作戦があります。
2001年9月11日の同時多発テロから1ヶ月にも満たない10月6日より開始された同作戦では、10月29日深夜にアフガン南部カンダハル南西の簡易飛行場確保を目的とした降下作戦が行われました。
この作戦に参加したのは米第75レンジャー連隊を中心とした部隊で、MC-130特殊作戦機より200名のレンジャーがパラシュート降下しています。
降下した200名中、100名を警戒のため飛行場周辺に展開、50名を飛行場襲撃部隊、残り50名を予備兵力とし、飛行場(オブジェクティブ・ライノと命名)の奪取に成功しました。
(飛行場の守備兵はごくわずかで、すぐに降伏したようです。)
オブジェクティブ・ライノは、以後「キャンプ・ライノ」と改称され、アフガン南部におけるアメリカ軍の重要拠点となりました。

「降下した」なら使ってもいいッ!

軍隊において、隊員らの軍歴の半分はなんらかの教育機関で訓練・教育を受けることに費やされます。
空挺降下の技能習得は、例えば米陸軍の場合なら空挺学校での訓練を受けることとなり、期間は3週間となっております。1週目は受け身を、2週目はタワーからの飛び降り落下を、3週目にて航空機からの降下を行うそうです。
空挺降下を修めていない歩兵はペッシ…じゃない”レッグ”(歩くことしかできない歩兵)と呼ばれて格下扱いされるのだとか。

車両のパラシュート降下

パラシュート降下は、兵員以外に物資なんかの空中投下でも使用されます。
この物資の空中投下では、戦闘車両のパラシュート降下が行われることもあり、例えば米M551シェリダン空挺戦車やソ連/ロシアのBMDシリーズが挙げられます。
空挺降下可能な装甲戦闘車両はアメリカなんかでは退役しているのですが、ロシアは世界でも類を見ないほどこれらの車両を大々的に配備しています。
国防省が調達打ち切りを発表し、これに空挺軍が反発するなどのすったもんだもあったのですが、結局は空挺戦闘車BDM-4Mと空挺装甲兵車の調達を継続することが報じられました。