Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【日本陸軍の生活】ぐんたいぐらし! 3巻目【風呂・入浴】

えー、とりあえず前回前々回同様に記事タイトルについて謝罪いたします。ごめんなさい。他意はありません。

ところでゾンビサバイバルものでは、水の調達が大きなテーマとして取り上げられることがありますが、その場合「飲料水」としての利用が想定されがちで、他の用途にはあまり焦点があてられない傾向があるように思います。
炊事や洗濯、風呂、トイレ、洗面など我々の日常生活に水は欠かせませんが、東京都水道局が2012年に実施した調査によれば、生活用水使用量の割合は風呂が40%、トイレが22%、炊事が17%、洗濯15%、洗面その他が8%となっており、洗浄を目的とするものが大部分を占めています。

ゾンビサバイバルものはゾンビがあふれかえる非常時という妄想設定ですので、特に大きな割合を占める風呂については入浴頻度を下げて節水につとめることになるのでしょうが、あまり頻度を下げ過ぎると衛生上の問題が発生します。集団でサバイバルしているなら、他者へ不快感を与えるだけでなく感染症などの懸念も大きくなるでしょう。

あまりクローズアップされることは多くないのですが、集団生活が原則となる軍隊においても入浴は重要なものです。
軍隊では、入浴に限らず洗顔・歯磨きといった洗面、被服等の洗濯、清掃やごみ処理など、衛生状況を良好に保つことが要求されます。
人員の多くが病気で動けません、なんてことになったら、戦闘もクソもありませんしね。

ちなみに病気による戦力喪失の事例としては、太平洋戦争の北ビルマ戦線において難治性のマラリアが流行したなんて話があります。日本軍の劣悪な食糧事情により多くの兵が栄養失調に陥っていたこともあり、治療剤のキニーネを投与してもあまり効かなかったとか。
1943年、参謀総長杉山元(すぎやま はじめ)陸軍大将*1いわく「戦力がマラリヤのために4分の1に減じてしまった。増兵をいくらやってもマラリヤ患者を作るようなものなり。」だそうです。

…というお話を踏まえて、今回記事は大日本帝国陸軍における、風呂・入浴事情について。

兵営生活のお風呂事情

昭和期における大日本帝国陸軍の兵営では、兵たちは原則、毎日入浴するよう定められていました。
一般的なスケジュールでは、午後4時〜午後7時に入浴とされています。

兵営の浴場

兵営の浴場は、連隊の経理委員または糧秣委員により管理されており、実務については「炊事掛け下士官」が取り仕切っていました。

浴場は脱衣所と浴室からなっており、入浴時間は中隊単位で規定されていました。規定時間に割り当てられた中隊の下士官、兵が入浴するわけですが、下士官専用の浴場を備えた部隊もあったようです。
入浴に際しては、脱衣所入り口で靴・服を脱ぐわけですが、注意事項として、上着(上衣)のウラ面を外側にして、その中にズボン(跨)・シャツ(襦袢)・ズボン下(跨下)を入れて包み込み、跨の腰紐で中央を縛って被服棚に入れることとされていました。これは、散逸を防止するためだったようです。
ちなみに、入浴時間は15分から20分とされていました。

なお、湯沸かしについては、初期の頃は牧や石炭、大正期後半からはスチーム利用となっております。
お湯の温度は夏場が42度、冬場は45度とされており、湯量については浴槽底部から60cmを標準としていました。

兵営での入浴

入浴に際しては、股間・脚などの不潔になりやすい部分を丁寧に洗ってから浴槽に入るよう指導されていました。
頭髪・耳・首・脇の下・陰部・手・足を丁寧に洗うことが奨励されており、特に陰部と足の指の間は念入りに洗うよう指導されたとか。

入浴に関しては色々な注意事項が定められており、前述の脱衣時の衣類の被服棚収納もその一つですが、他に入浴時の注意事項の一例を挙げると、以下のようなものがあります。

  • 他人の迷惑になるので跳び込まない
  • 湯槽内で口を洗わない
  • 湯槽内で垢を落としたり、石鹸を使わない
  • 浴室で声高で歌を歌を唄わない
  • 浴場内でみだりに痰を吐かない
  • 浴場内で靴下や被服の洗濯をしない
  • 湯加減は勝手に調整せず、かならず入浴者の合意の下で調整する
  • 入浴後は急いで体をふき、乾いた被服を付ける
  • 伝染病患者はかならず決められた浴槽に入るか、最後に入浴する

まあ、常識の範囲内の注意事項が多いですね。これらの注意事項は浴場壁面に掲示されていました。

注意事項の中には、湯槽内で口を洗うなとか浴場内で痰を吐くなとかいったものがありますが、他にも「浴場内で放尿禁止」なんてものもあったりします。マジ勘弁。
わざわざこんなことを書かなければならなかったところは、一時期流行った日本人礼賛番組での「礼儀正しい日本人」像を大いに疑わせたりもしますが、それはさておいて、いろんな人間が集まる場所では、迷惑行為をやらかす奴が一定数いるということでしょう。たぶん。

入浴については、演習や勤務、使役等で入浴できないものが出ないよう注意が払われていましたが、初年兵は、自分のものだけでなく二年兵の被服装具の手入れをさせられてましたので、入浴時間が取れないものが多数出ました。こういったケースでは初年兵は手ぬぐいを濡らして入浴したように見せかけたりすることも多かったそうです。
なお、太平洋戦争勃発後は兵員が大量動員されたため、兵員全員を毎日入浴させることが困難となり、隔日入浴とした部隊もありました。このようなケースでは、衛生維持のために入浴ができない日は水浴や身体の清拭が奨励されたようです。

戦地のお風呂事情

さて、兵営生活では原則、毎日入浴となっていましたが、戦地ではそういうわけにもいきません。
前線においては大抵、風呂なんか入れず、運が良ければ水浴び、でなければせいぜい清拭程度となります。状況によってはそれさえできず、ひたすら我慢です。
後方に下がればドラム缶風呂とかに入れましたが、清潔とは言いがたいものだったようです。
以下、米陸軍軍事情報部の部内向け戦訓広報誌「Intelligence Bulletin(以下、IB)」に掲載された、日本軍の捕虜となった米陸軍軍曹が見た日本軍のドラム缶風呂。

まず、二つのガソリンのドラム缶を持ってきて上部を切り取る。そして両方のドラム缶に水を入れ、片方の下で火を焚いて暖める。ドラム缶の横に木の床板を置いて足に泥がつかないようにする。
湯が適当な温度になると上位の将校が呼ばれて入浴する。数分間湯に浸かり、冷水で洗い流す。兵たちが入浴するたび、湯は控えめに言ってもわずかに濁っていく。
30〜40人が同じ湯で入浴する。階級が低ければ低いほど長い間待たねばならない。

下っ端は、長いこと待たされた挙句に汚れたお湯での入浴となるわけですね。ろくなもんじゃねえ。

最後に

余談ですが、風呂どころか長いこと靴も脱げない、なんてケースもありました。
戦後、衆議院議員となった園田直は、日中戦争当時、歩兵少尉として武漢作戦に参加しましたが、ひどい泥濘戦のなか半年ほども靴を脱がない時があったそうで、重度の水虫に感染、戦後も長いこと悩まされたといいます。
ちなみに、海軍でも水虫に悩まされるものが多かったそうです。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

写真で見る日本陸軍兵営の生活

日本軍と日本兵 米軍報告書は語る

 

 

*1:後に元帥