前回、日本陸軍将校の退職後の収入について書きました。
軍退職後に再就職する割合は低く、多くの者は恩給による収入で暮らしていたようです。
恩給額は、退職時階級と在職年数により異なるのですが、前回は一応のモデルケースとして大尉から大将までの恩給額の例を挙げてみました。
今回記事は、前回の補足的なものです。
前回取り上げた恩給法による支給とは別に、人によっては金鵄勲章(きんしくんしょう)による終身年金をもらっていました。
この金鵄勲章について、終身年金(後に一時賜金に変更)を中心に少し。
前回、日本軍の兵員輸送について取り上げました。
日本軍の兵員輸送では、多数の兵員が船倉に押し込められ、劣悪な環境下で移送されています。
前回記事では、その具体例として当時14歳の少年軍属だった佐藤鉄雄さんの体験を取り上げました。
今回記事は、前回の予告通り佐藤さんの話の後日談となります。
続きを読む前回、鴨緑丸事件について取り上げました。
当該事件は、連合軍捕虜を乗せた陸軍配当船*1の鴨緑丸が、航海中に米軍航空機の攻撃を受けて沈没し、搭乗捕虜も犠牲となった事件です。
鴨緑丸事件では、戦後、日本軍の責任者らが裁判にかけられ死刑となりましたが、その際の法廷にて、生存捕虜らが捕虜の扱いについて非難しています。
いわく、船倉のスペースに合わない数の捕虜が詰め込まれて混雑がひどく、温度が華氏120度(摂氏だと約49度)にも達したとか。
前回も書きましたが、これは捕虜だけがこのような扱いを受けたわけではなく、日本軍の兵員も同様の目にあっていました。
大日本帝国様は割と国民を人間扱いしない傾向があったりしますので、日本兵らも当然ひどい目にあうことになります。これは兵員輸送においてもご多分に漏れず、多数の兵員を船倉に押し込めた結果、異常な温度/湿度上昇により熱射病を引き起こして死亡する兵が多発したり、沈没の際の脱出に支障を来したりしました。
今回は、この兵員らの輸送についてもう少し詳しく取り上げます。
*1:徴用はされてないものの、軍事輸送に協力・従事する船。
前々回記事にて、太平洋戦争における海没死と、海没に関連する人体の損傷、圧抵傷と水中爆傷について取り上げています。
今回は、上記記事の最後で少しだけ触れた鴨緑丸(おうりょくまる)事件について。
なお、本記事は「世界のマイナー戦争犯罪」シリーズの第5弾となります。ちなみに当シリーズの過去記事はこちら。
【世界のマイナー戦争犯罪】メリッソ村民虐殺事件【日本軍】 - Man On a Mission
【世界のマイナー戦争犯罪】ル・パラディ近郊での英軍捕虜銃殺【ナチスドイツ】 - Man On a Mission
【世界のマイナー戦争犯罪】グアテマラ内戦の戦争犯罪【中米グアテマラ】 - Man On a Mission
【世界のマイナー戦争犯罪】ピノチェト政権下の「反体制派」弾圧【南米チリ】 - Man On a Mission
本シリーズは、日本軍による南京事件やナチスドイツのユダヤ人虐殺といった、有名どころの戦争犯罪は脇に置いといて、あまり知られていないものを取り上げてみようという企画なのですが、鴨緑丸事件は前に取り上げたメリッソ村民虐殺事件なんかに比べれば、そこそこ知られた事件です。
マイナーそうで(メリッソ村民虐殺事件ほど)マイナーじゃない割とマイナーな事件なのですね。そのため、当シリーズで取りあげるかどうか一瞬迷ったのですが、気にしないことにしました。
どうでもいい話はさておき、鴨緑丸事件は、在留邦人や連合軍捕虜を日本へ移送するため出港した鴨緑丸が、米軍機の攻撃を受けて沈没した事件です。
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