Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争と兵器を知ろう】改造空母と隼鷹【太平洋戦争時の航空母艦】

前回記事にて、太平洋戦争終結時の日本海軍の残存艦艇について書きました。

oplern.hatenablog.com

その際、残存していた航空母艦(空母)には見覚えのない名前が多いのではないか、と述べています。それもそのはずで有名どころ(?)の空母は、ミッドウェー海戦マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などで軒並み喪失しており、残存していた空母は改造空母や未完成のものが多かったのです。

 以下に、日本海軍の空母リストを挙げます。

正規空母

大型:赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、大鳳信濃
中型:蒼龍、飛龍、雲龍、天城、葛城
小型:鳳翔、龍驤

正規空母というのは、最初から空母として設計建造された艦のことをいいます。一応。
正規空母か否かの線引きは割と曖昧なところがあって「最初から空母として…」といいつつも、上記の空母中、赤城、加賀、信濃は戦艦や巡洋戦艦からの改造だったりします。
(改造であっても空母としての性能が高ければ正規空母に含めてしまえ、という感が?)

改造空母

軍艦改造型:龍鳳、祥鳳、瑞鳳、千歳、千代田
商船改造型:飛鷹、隼鷹、大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹

改造空母は、もともと別の艦種、たとえば潜水母艦水上機母艦給油艦として建造された艦を空母に改造したものです。また、軍艦からの改造だけでなく、商船から改造した空母も多いです。

軍艦改造型は、龍鳳潜水母艦、祥鳳、瑞鳳が給油艦、千歳は水上機母艦からの空母改造です。
千代田はやや複雑で、もともとは水上機母艦なのですが、空母改造前に甲標的母艦に改造され、その後に空母に改造されるという経緯をたどっています。
いずれも搭載機数は30機程度でした。

商船改造型は、いずれも外洋航路の商船を空母に改造したものです。これらの空母は全て艦名に「鷹」の字が入ります。
(ちなみに、神鷹はドイツ客船「シャルンホルスト」を改造したものです。これは日本来航時に第二次大戦が勃発し、帰国航路の危険からドイツに帰れず神戸に係留されていた同船を海軍が買収・改造したという経緯があります。)
商船改造型空母は正規空母と比べて概ね小型で性能が劣り、搭載機数は30機に満たず、速度も21ノット〜23ノット程度でした(飛鷹・隼鷹を除く)。
当初、日本海軍では商船改造型空母も正規空母と同様の作戦で用いる予定でしたが、激化の一途をたどる戦局において「鷹」型の性能では参加不可と判断、一部の艦を除いて艦隊決戦用からは外され、輸送船団の護衛空母として出撃することが多くなります。

マイナー空母?

さて、ここで前回記事で掲載した残存空母を再掲します。

  • 鳳翔
  • 天城(大破)
  • 葛城(中破)
  • 龍鳳(中破)
  • 海鷹(中破)
  • 隼鷹(中破)
  • 未成艦:伊吹、笠置、阿蘇、生駒

未成艦を除くと、正規空母は鳳翔、天城、葛城のみで、龍鳳、海鷹、隼鷹は改造空母です。
しかも、天城、葛城は正規空母雲龍型)とはいえ、出撃機会を得られないまま、呉港内に留め置かれたまま終戦を迎えました。
艦隊決戦で華々しい活躍をした「有名どころ」の空母は少なかったわけです。

商船改造型空母 隼鷹

さて、未成艦を除くと、残存空母の半数は改造空母です。しかも改造空母3隻中、海鷹と隼鷹は商船改造型の空母でした。
前述した通り、商船改造型空母は性能上、艦隊決戦などの任務につくものは少なく、例えば海鷹はサイパンやマニラ、シンガポールでの輸送や船団護衛などを主要任務としていました。
しかし、隼鷹についてはその限りではなく、商船改造型空母でありながら正規空母に伍する活躍を見せています。

隼鷹 竣工までの経緯

太平洋戦争前、ワシントン・ロンドン両軍縮条約により、日本は戦艦・空母の保有量をトン数で対米6割と制限されていました。
これに対して、日本海軍は条約による制限の対象外の艦種に目をつけ、いざという時には空母に改造できるように設計した潜水母艦水上機母艦給油艦などを建造します(軍艦改造型空母)。

また、軍艦からの改造に留まらず商船からの空母改造も考えられ、戦時の徴用を前提に、優秀船の建造に対して補助金を出す制度を創設します。
これが、1937年に設けられた「優秀船舶建造助成施設」、および翌1938年の「大型優秀船舶建造助成施設」です。
「優秀船舶建造助成施設」は総トン数6000トン以上、速力19ノット以上の客船、貨物船、油槽船への助成金交付、「大型優秀船舶建造助成施設」も同様ながら2万トンを超える船舶が対象となっています*1
隼鷹は後者の助成を受けて建造された橿原丸から改造されたものです。なお、同型艦として飛鷹があります(出雲丸より改造)。

日米艦の緊張の高まりを背景に、1940年10月に日本海軍に買収された建造中の橿原丸、出雲丸は、それぞれ空母に改造され隼鷹、飛鷹として竣工します。
両艦の搭載機は、戦闘機21、艦爆18、艦攻9の合計48機を常用とし、他に補用機5機を搭載していました。搭載機数からみると、正規空母である蒼龍、飛龍に匹敵します。
商船改造であるため、速力が遅く*2防御力も弱いという難点もありましたが、その点を除くと空母としての能力は、ほとんど飛龍と同等であり、実戦に参加した隼鷹の実績は中型空母としての能力を十二分に発揮したものでした。

隼鷹の奮戦

1942年5月3日に竣工した隼鷹は、就航と同時にミッドウェー作戦に投入され、北方部隊としてアリューシャンの牽制作戦に出撃し、ダッチハーバーを攻撃した後アッツ、キスカ両島の攻略作戦を支援して成功をおさめます。

飛鷹は1942年7月31日に竣工し、隼鷹とともに第二航空戦隊を編成、10月にはガダルカナル島の攻撃支援に出撃します。
(ただし、このとき飛鷹は機関故障のため帰投)

その直後、南太平洋海戦がおこり、隼鷹は翔鶴、瑞鶴、瑞鳳の機動部隊に呼応して攻撃を行い、空母エンタープライズに軽傷を負わせ、戦艦サウスダコタ巡洋艦サンジュアンにそれぞれ爆弾1発を命中させました。ついで日本側攻撃により停止状態にあった空母ホーネットに、最後のとどめの攻撃をかけて撃沈します。

その後、隼鷹・飛鷹両艦は南方作戦に従事した後、1944年6月、マリアナ沖海戦に参加。この海戦にて飛鷹は敵機の攻撃により爆弾1発、魚雷1本を受けて沈没します。
隼鷹も煙突に爆弾2発が命中、煙突は跡形もなく吹き飛びますが船体そのものは健在であり、呉に無事帰投しました。

後に、隼鷹はマニラへの弾薬輸送任務の帰路にて、佐世保港入港直前に米潜水艦の攻撃を受けます。どうにか帰港できたものの、その後は出撃の機会がなく佐世保の岸壁に横づけになったまま終戦を迎えます。
この際の攻撃により機関部に損傷を受け、外洋航行が不能となったため、復員船としての任務につくこともできず、1947年8月に解体されました。

アメリカの改造空母

ついでの余談ですが、アメリカでは日本の改造空母よりも遥かに性能の劣る護衛空母を100隻以上も竣工していました。
これらの護衛空母は貨物船、油槽船からの改造が多く、小型で速力も20ノット以下にすぎませんでした。防御も対空装備もなく、空母としての艤装も飛行甲板を載せただけという簡単なものです。通称ジープ空母(またはベビー空母)。
しかし、これらの護衛空母は飛行機輸送と船団護衛において実績を残しており、その果たした役割は高く評価されるべきものでした。
対して、日本では改造空母に対しても正規空母と同じ役割を求めることが多く、隼鷹のような例外はあるものの、概ね中途半端に終わることが多かったようです。

 

 

*1:実質的には、隼鷹、飛鷹へ改造された大型客船、橿原丸・出雲丸を対象としていました。

*2:とはいえ保証速力24ノット、最大出力25.5ノットと、他の商船改造型空母よりは高速でした。