Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争と兵器を知ろう】お馬と剣【日中戦争・太平洋戦争】

今日は、ちょっとしたネタの二本立てで。
日中戦争から太平洋戦争にかけての、旧日本軍の「兵器」である、馬匹と剣について。
なお、どうでもいいですが記事タイトルは某エターナルチャンピオン後半三部作の最終巻より。

 

新装版では1巻にまとめられてしまい、タイトル並びに風情がなくなってしまいました。

活兵器 馬

旧日本軍では、馬は大切な装備でした。
補給品の運搬はもちろん、騎兵用乗馬や砲兵用輓馬(ばんば)、重機関銃の運搬などにも活用され、「戦場の活兵器」と呼ばれることもあります。
さすがに、太平洋戦争時には騎兵用乗馬としての利用は激減しており、騎兵第四旅団を残すのみとなっていましたが、その他の使途における重要性は終戦まで変わりませんでした。
(ただし、赤道付近、熱帯地方の戦場では、暑さに弱い馬は早々に姿を消し、運搬のほとんどを人力で行なうこととなりました。)

太平洋戦争が始まった1941年における甲師団(常設師団)編制での馬匹定員を挙げると、以下のとおりとなっています。
歩兵部隊:人員5546人に対し馬は1242頭
砲兵連隊:人員2894人に対し馬は2269頭
輜重兵連隊:人員1813人に対し馬は950頭

一応、輜重(しちょう)兵連隊について補足しておきます。
輜重とは補給品を運ぶことだと思ってください。要は、旧日本軍における師団所属の補給部隊です。
主に馬と輜重車(馬車)で各種補給物資の運搬を行い、軍隊においては生命線となる非常に重要な役割を担いますが、なぜか日本では軽視される傾向がありました。

ちなみに、運搬には馬の背に直接荷積みする「駄載(ださい)」と、荷を積んだ輜重車を引く「輓曳ばんえい)」という二通りの方式があります。
以前、歩兵部隊の編制の記事で触れた大隊砲や連隊砲も、分解して駄載または輓曳により運搬していました。ただし大隊砲については、馬が使えない場合は人力で搬送したりもしてましたが…。

なお、第二次大戦に至っても日本軍の運搬の主役は馬だった…と書くと、まるで日本だけ旧態然としているように聞こえますが、実際には、当時自動車をガンガンに使って運搬を行えていたのはアメリカくらいで、例えばドイツの補給部隊でも馬匹とトラック混成による運搬を行なっていました。
ちなみに、日本陸軍では日中戦争の半ば頃から自動車が配備されていきますが、「自動車連隊」への配備となるケースが多かったようです。

ついでの余談。
特に陸軍において馬匹の調達は重要となり、そのため、補充を担当する組織として軍馬補充部が設置されていました。
軍馬補充部は民間から馬匹を購入・徴用した上で、訓練を施し戦場に送り出します。
しかしながら、1939年の「馬政関係三法」が成立するまでは、馬政に対する陸軍関与は小さく、馬種選択や改良繁殖は、農商務省の指導と民間生産牧場の自主性に任せている状況でした。
陸軍は、満州事変、日中戦争と大陸作戦が本格化してくるにつれ、馬政に対しての関与を強めていきます。
競馬に対しても介入し、サラブレッドが中心馬種となっていることを改めさせようという動きをみせ、従来の地方競馬を再編、軍馬鍛錬をメインとして行う独自路線の競馬を実施します。
(陸軍の推奨馬種はアングロアラブアングロノルマンだったのです。)
しかしながら、運営者側とファンが一体となって盛り上がっていた公認競馬(中央競馬)に対しては、陸軍の要求を貫徹できず、ついに主導権を得られなかったとか。

死兵器 剣

お次は「剣」ですが、今回は刀剣とか銃剣の話ではなく、特攻兵器の方についてです。
なお、銃剣については、過去に記事にしてますので、興味があれば。

銃剣(バヨネット)の華麗な世界 - Man On a Mission

銃剣と世界の痛み - Man On a Mission

特攻兵器 剣

特殊攻撃機「剣(つるぎ)」は、日本陸軍が開発した航空機(設計・製造は中島飛行機)で、その目的は敵艦船や上陸用舟艇への体当たり攻撃を行なうことでした。
爆撃機であって特攻専用機ではない、と反論する人もいます。)
構造はきわめて簡素なもので、主翼を除く各部は鋼管や木材、ブリキ板などが用いられ、さらに脚(車輪)は離陸後に投下されるようになっていました。
固定武装はなく、胴体下に半埋め込み式で500〜800キロ爆弾が装着されます。

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同じく特攻兵機として有名な「桜花」は、その航続距離の短さ(ロケットエンジンの燃焼時間が9秒程度)やそもそも離陸能力が無かったことから、敵前まで母機(一式陸攻など)で運んでもらう必要がありました。
これに対し、「剣」は曲がりなりにも自力で離陸でき、航続距離も最大1200キロとされていましたので、母機は不要となっています。

開発開始から約1ヶ月で試作機が完成、制式化されて100機余りが生産されました。
航空機としては多数の欠陥があり、単に飛ばすだけでも相当な技量が必要だったと言われています。
幸いなことに、使用には至らず終戦を迎えました。
(なお、海軍も「藤花」という名称で使用する予定だったそうですが、こちらは制式化される前に終戦を迎えています。)

特攻兵器 タ号

ついでにタ号についても触れておきます。
陸軍は「剣」の他にも「タ号試作特殊攻撃機」というものを開発していました。
エンジンを積んで飛べさえすればよいという考えのもと、疎開工場でも生産可能なものとして設計されています。
軍需省は、これを量産して多数の特攻機を飛ばそうとしたようですが、幸い試作機の段階で降伏とあいなりました。

ちなみにタ号のタは、竹槍の頭文字からきています。日本陸軍はいい加減にした方がよいと思います。