Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争と兵器を知ろう】日本軍航空機の名前【太平洋戦争】

前回、軍用機のニックネームについての記事を書きました。

oplern.hatenablog.com日本陸軍機の愛称がつまらないとかカッコつけすぎだとか放言してますが(ごめんなさい)、それじゃ、海軍機はどうかというと、こちらも「紫電」だの「月光」だのとやっぱりカッコつけすぎ感があります(ごめんなさい)。
ただし、前回記事でも少し触れてますが、日本海軍機の名前は「雷電」とか「彗星」とか、いかにも愛称っぽいんですが実は制式名称です。

今回は、そんな日本軍の航空機の名前のつけかたについて。

○○式なんたら

太平洋戦争時の日本軍の航空機には、九七式戦闘機だの一式陸上攻撃機だのといった名前と、「○○式」とつかない名前(「紫電」とか)の二通りがあります。
陸軍機は、原則「○○式なんたら」という名前ですが、中には「疾風」だの「屠竜」だのといった愛称がついてるものがあります。
海軍機は、「○○式なんたら」という名前のものと、「○○式」とつかない名前のものが混在しています。

この「○○式」というのは、制式採用された年を表しています。ただし西暦や元号での年ではなく「皇紀」での年となっています。
皇紀」とは、初代天皇と「される」神武天皇*1の即位した年を紀元とする紀年法のことです。
ちなみに昭和15年(1940年)は皇紀2600年にあたります。
(ただし、大正時代までは元号の年で表していました。例えば、大正10年に制式採用の場合は一〇式となります。)

「○○式」は、皇紀の下1桁〜3桁を使用して、制式採用された年を表しています。
例えば、陸軍の九七式戦闘機は皇紀2597年(1937年)に制式採用、海軍の一式陸上攻撃機皇紀2601年(1941年)に制式採用となったものです。

皇紀2600年の場合

なお、皇紀2600年に制式採用された機体は、海軍では「零式」、陸軍では「一〇〇式」としていました。
海軍の例では「ゼロ戦」こと「零式艦上戦闘機」が代表的ですが、他にも「零式観測機」、「零式水上偵察機」、「零式小型水上機」などがあります。
陸軍の「一〇〇式」では、「一〇〇式輸送機」や「一〇〇式司令部偵察機」などが挙げられます。

海軍の事情

海軍では皇紀2603年(1943年)以降、「○○式」という名称を用いなくなりました。
それ以前は、原則「皇紀での制式採用年+任務別機種名」が制式名称でしたが、この命名方法では制式採用年が堂々と漏れてますので、これを嫌って秘匿名称を使うことにしたようです。
そのため、1943年以降に採用された機体は「彗星」だの「紫電改」だのといった制式名称となります。
これらの命名には一応の規則性がありました。
攻撃機は山岳にちなんだ名前(天山や連山)、爆撃機は単発機が星(彗星や流星)、多発機が星座など(銀河)、偵察機は雲(彩雲や紫雲)、輸送機は空(晴空)といった具合です。
なお戦闘機は気象にちなむ名前ですが、タイプ別に分けられていました。艦上戦闘機・水上戦闘機は風にまつわるもの(烈風や強風)、局地戦闘機は雷(雷電紫電)、夜間戦闘機は光(月光や極光)となっています。

ちなみに、海軍機では「零式艦上戦闘機五二型」というような、「○○式なんたら○○型」なんて名称がありますが、この後ろの「○○型」は、十の位が機体の型式、一の位がエンジンの型式を表しています。例に上げた零戦五二型では、5番目の機体と2番目のエンジンを組み合わせた零戦ということを表しています。そのため「ごじゅうに型」ではなく「ごーにー型」と読みます。なお「ごーふた型」と言う時もありますが、これは通信時などでの混乱を避けるためであり、普段読みは「ごーにー型」です。

陸軍の事情

陸軍の場合は、「○○式なんたら」という名称を終戦まで継続しています。
1942年までの海軍と同じく、原則「皇紀での制式採用年+任務別機種名」が正式名称です。
ただし、「○○式なんたら」という制式名称だけでなく、国民向けに愛称を付けていました。大日本帝国のようなちょっと国民の権利がアレな国であっても、国民に対するアピールは重要なのです。
例を挙げると、一式戦闘機「隼」や、三式戦闘機「飛燕」、一〇〇式重爆撃機「呑龍」など。
これらの愛称には特に規則性はなく、割と早い段階から一般に公表されていました。

 

 

*1:実在するかは言わぬが花ですが、気にせず言うと神話・伝説上の人物です。モデルになった人物くらいはいたのでしょうか…。