Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争を知ろう】日本の兵役制度【徴兵制】

近年、日本の安全保障がらみで、色んな話が取り沙汰されるようになりました。
面倒なので「色んな話」の詳細については触れませんが、現実よりも、各種のしがらみや妄執・情念をベースに進行している話が多いようです*1

で、そういった色んな話の中で少し気になったのが、一部の人たちの「徴兵制が復活することはありえない。現代の軍隊は高度化・複雑化してるから徴兵は合理的じゃない」という意見です。

世界的潮流において、徴兵制から志願制への移行が進んでおり、その背景の一つに軍事システムや装備の高度化・複雑化があるのは事実です。
しかしながら、一部の人たちの意見は、今後、状況の変化がありうることを無視しすぎているように思えます。というのも、ロシアによるウクライナの軍事介入では、長期にわたって低強度の紛争が続くなど、想定された「現代戦」とは異なり兵士の頭数が必要な状況が現出したからです*2

ロシアやイスラエルノルウェー、韓国などでは今も徴兵制度がありますし、いったん徴兵制を廃止したウクライナスウェーデンでは、ロシアの脅威から徴兵制が復活/復活予定となっています。
(基礎的な軍事訓練を受けた国民を増やすことで、有事の際に動員可能な予備兵力を確保する狙いがあります。)

またアメリカでは志願制をとっていますが、経済的格差を利用した徴募が行なわれており、「経済的徴兵制」だと批判されてたりします。特に2000年代中頃、イラクアフガニスタンで米兵の犠牲者が増えていた時期なんかはその傾向が強かったようです。

ついでにいうと、現代の陸上自衛隊の「士*3」充足率は7割程度となっています*4。なお自衛隊は、将来的に必要な数と質の隊員を集められなくなるという危機感を強くもっており、地方自治体や学校など部外の組織に協力してもらって、隊員確保に努めようとしています(組織的募集の強化)。銃剣道が中学校の体育科目に、なんて話題があったのを思い出しますね。

そんなわけで、今回記事はいざという時に慌てないよう、予備知識としてかっての日本が行なっていた徴兵制度(兵役制度)について知っておこうという企画です。
まあ、そんな事態が来ないことを望みますが。

徴兵制の導入と拡大

日本における徴兵制が本格的に開始されるのは、1873年明治6年)1月の太政官布告による「徴兵令」制定からです。ちなみに徴兵制の導入を推進したのは山県有朋(やまがた ありとも)でした。

徴兵制は、西南戦争、日清・日露戦争を通じて社会に定着していきますが、多くの免役条項と軍隊定員の関係上、成年男子すべてが兵となるわけではなく、徴兵検査と抽籤(ちゅうせん)により選抜されたものが軍隊に入りました。
選に漏れたものは、その後、軍隊とほとんど関係をもつことはないという、ある種不公平な状態が長く続いています。
徴兵制を主導した山県の構想は「国民皆兵」だったのですが、そうはいかなかったわけですね。
ちなみに徴兵制導入当初は、免役条項のせいで特定階層のものばかりが徴兵義務を負う「経済的徴兵制」に類似した状態でしたが、免役条項は徐々に縮小されていきました。
(1889年(明治22年)の改正で免役条項はほぼ廃止。)

ではどのくらいの割合が軍隊に入ったかというと、時期によっても異なりますが、例えば1921年(大正10年)の徴兵検査受検者、約55万人のうち、実際に現役入営したのは約13万6000人となっています。
平時には4人に1人しか軍隊に入らなかったわけです。

しかし、第一次世界大戦を経て、総力戦体制が重要視されるようになると、徴兵制に修正が加えられます。
1927年(昭和2年)、徴兵令は「兵役法」に改正されました。
これにより、従来は3年であった現役服役期間が2年に短縮され、代わりに実際に徴兵される人数を増やしています。
より多くのものに軍事訓練を施し、有事における動員数の増大を図ったわけです。
日本軍は大量の兵力獲得を目指し、またその後の日中戦争や太平洋戦争などもあって、実際に軍隊に入る割合は増加していくことになりました。
ちなみに、1938年時点での現役入営割合は47%だったのに対し、1944年での現役入営割合は77%となっています。

では次節より、この兵役法がどのような制度だったかについて書いていきます。

兵役法 〜皇軍兵士の集め方〜

兵役法では、17歳から40歳*5までの男子に対し兵役の義務を定めています。
ただし、これには制度上「外地」とされた朝鮮、台湾に本籍のあるものは含まれていません。
(1944年に朝鮮、1945年には台湾も徴兵制が実施されます。)

毎年、前年12月2日から当年12月1日の間に満20歳に達したもの(1944年からは満19歳に引き下げ)は徴兵検査を受検しなくてはなりません。
現役兵志願は17歳から可能)
検査は本籍地の徴募区にて4月16日から7月31日までに行なわれます。
検査内容は身体検査のみで、その結果によって甲・乙・丙・丁・戊の各種に区別されました。
(乙種は第一乙種、第二乙種に分かれ、さらに1939年に第三乙種が新設。)

兵役法では、兵役を常備兵役、補充兵役、国民兵役の3つに区分しており、甲種だの乙種だのといった徴兵検査の結果をベースに、それぞれの兵役区分に割り当てる仕組みとなっていました。
(後備役というのもありましたが、後に廃止されています。)

では、徴兵検査結果と各種兵役について説明していきます。

徴兵検査の結果と各種兵役

徴兵検査では、体格や身体状況により対象者を区分けします。
身長1.55メートル以上で身体強健なものを、甲種・乙種に体格順に区分しました。甲種・乙種は現役、すなわち即時入営に適したものとされています。
身長1.50メートル以上で、体格が乙種に満たず、かつ「身体又は精神の異常」がないものは丙種とされ、こちらは現役に適さないとされています。
(なお、1937年に兵役法施行令が改正され、上記の身長は1.55メートル→1.50メートル、1.50メートル→1.45メートルに引き下げられています。)
体格が前述の基準に満たないものおよび「身体又は精神の異常」をもつものは丁種とされ、兵役不適格となり徴兵検査不合格と判定されました。
戊種は成長不十分であったり、病中および病後回復中のもので、翌年再検査を受けなければなりません。

前述の通り、以上の徴兵検査結果を受けて、各種兵役に割り当てます。

兵役区分のうち常備兵役現役兵と予備役兵を指します。現役兵はそのまま文字通りですが、予備役については少し説明が必要でしょうか。
2年*6と定められた現役兵の期間を満了すると、その後は予備役兵となります。予備役兵は15年4ヶ月間と定められており、普段は民間人として生活しますが、必要に応じて軍に召集され、指定される職務につく義務を持ちます。
徴兵検査での甲種・乙種合格者は、抽籤にて一部が常備兵役の現役兵に充てられ、即時入営となりました。このため、甲種合格者でも現役兵を免れることもあったのですが、日中戦争期の1939年11月に第三乙種を新設して抽籤を廃止、甲種および第一乙種はほぼ全員を現役兵に割り当てるようになっています。

甲種・乙種のうち、常備兵役に充てられなかったものは補充兵役に充てられます。補充兵役はすぐには入営しないものの必要に応じて召集されます。
これは現役の欠員補充、戦時の損失補填を目的としていました。
補充兵役の服役期間は、17年4ヶ月です。なお第一補充兵役、第二補充兵役に分かれており、第一補充兵役に充てられなかった残りのものは第二補充兵役となりました。

残る兵役区分、民兵について。こちらも普段は民間人として生活し、必要に応じて軍から召集されました。
民兵役には第一国民兵役、第二国民兵役があります。
第一国民兵役は、常備兵役、補充兵役の期間(いずれも17年4ヶ月)を終えたものが服役します。期間は40歳まで(1943年以降は45歳まで)とされていました。
第二国民兵役は、年齢満17歳から満45歳までの軍隊教育をうけたことがないものが服する兵役です。徴兵検査での丙種合格者がこの第二国民兵役に充てられました。当然ながら第二国民兵役の召集優先度は低くなりますが、それでも人手が足りなければ召集されます。太平洋戦争でも戦局の悪化にともなって召集されるようになり、終盤には40歳近い服役者でも召集対象となっていました*7

赤紙召集

さて、前述の通り、甲種・乙種合格者のうち、現役兵となったものは所定の期間を終えると予備役となり普段は民間人として生活します。また、現役兵とならなかったものも補充兵役や国民兵役となり、予備役同様に民間人として生活します。
しかし有事の際には、訓練の度合いや、各種スキル、年齢などによる選定をうけ、召集された場合は再び入隊しなくてはなりません。
誰に令状を送って召集するかは、陸軍なら各連隊区司令部、海軍なら各鎮守府下におかれた海軍人事部・地方海軍人事部が決定します。

ちなみに、召集にはいくつかの種類があり、平時編制から戦時編制への移行にあたり行なわれる充員召集、戦時または事変の際に必要に応じて行なわれる臨時召集、他に技量維持や教育目的の演習召集、教育召集などがあります。

一般にイメージされる「召集」は充員召集、臨時召集が該当しますが、これらの召集令状は濃い目のピンク色で、これがいわゆる「赤紙」として恐れられたものです。
なお、充員召集では勅令である動員令が必要であるのに対し、臨時召集は手続が簡便で陸軍大臣や師団長命令で召集できました。
(勅令たる動員令では、総理大臣の副署が必要で必ず閣議にかける必要があります。)
そのため、日中戦争拡大にともなう動員の際には、規模の大小にかかわらず臨時召集が乱発されています。充員召集で充当を予定していた人員が、臨時召集により既に出征していた、なんてケースも多発し、遂には軍の動員体制維持に破綻をきたしたとか。

なお、1937年における陸軍総兵力は現役兵33万6000人、召集兵59万4000人でした。
これが太平洋戦争末期の1945年では、現役兵224万4000人、召集兵350万6000人に膨れ上がります。いわゆる「根こそぎ動員」ってやつですね。

最後に

さて、大日本帝国の徴兵制度(兵役制度)について、ざっと説明してみました。
今後の日本がどうなるかは分かりませんが、権力はちゃんと監視しないと何をしでかすか分かりませんので、日本国民として高をくくらず真面目に考えたいところです。
ロシアの脅威が徴兵制復活の原因となったウクライナスウェーデンと異なり、日本では、同盟国様(宗主国様?)の意向と一部のアレな方々の妄執が一番の脅威となりそうではあります。

ちなみにアメリカは朝鮮戦争の際、日本警察予備隊自衛隊の前身)の派兵・前線投入を検討していました。
【朝鮮戦争】後方支援から前線へ【当時の日本】 - Man On a Mission
場合によっては、イラクアフガニスタンで米兵犠牲が増加していた頃のアメリカのように、日本でも経済的徴兵が盛んになってた可能性もあったりしたわけです。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

皇軍兵士の日常生活

図解・日本陸軍歩兵

 

 

*1:本来は低脅威度の話を煽ったり、面倒くさい局面に脇中の脇の日本がわざわざ出張って目立っちゃったり、出来もしない話を声高に議論したり、優先度が低そうな能力を重視したり…いや、まあ、どっかの同盟国様は必要としてる能力なのかもしれませんけどね。などと延々と不明瞭な物言いですみません。

*2:というか、「徴兵制は現代において合理的じゃない」という意見は昔からよく軍事オタクの間で言われていたものです。当時の軍オタの言葉をネットで見つけた人が、状況が変化しつつあるにもかかわらず、そのまま受け売りしてるだけじゃないのかという気がするのですが、うがち過ぎでしょうか?

*3:他国の軍隊でいう「兵」のこと。

*4:自衛隊では防衛に必要な最低限の人員数を「定員」として定めていますが、この定員のうち実際の隊員の割合を充足率といいます。足りない3割については、「有事がおこれば愛国心にあふれた若者が多数志願するはず」なので緊急募集で充足できるだろう、という楽観的な想定になっています。

*5:1943年からは45歳まで

*6:陸軍の場合。海軍では3年。

*7:これにより、今までなんの軍隊教育も受けたことが無い、40歳近い初年兵が誕生するわけです。この一点だけでも想像を絶するような苦労が予想できます。