Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争を知ろう】兵役の逃れかた【徴兵制】

アメリカにはチキンホークという俗語があるそうです。
チキンは臆病を意味するいわゆる「チキン」のことで、ホークは「タカ派」のことです。「臆病なタカ派」…要は「腰抜けなのに強硬なことをヌかす野郎」ということです。戦地に行ったことがないのに、派兵などの軍事行動をとりたがる政治家などを指します。
割と昔からある言葉ですが、2000年代ではイラク戦争やアフガン戦争の際によく使われ、息子の方のブッシュや、そのブッシュ政権の副大統領チェイニーなんかがターゲットとなっていました。

なお、最新のチキンホーク候補としては、真偽不明ながら兵役逃れ疑惑を持つドナルド・トランプさんが有力っぽいですが、今のところ強硬路線は口だけですので、ブッシュとかと比べると真のチキンホークとは言えないかもしれません。2017年11月現在ではせいぜいがチキン口だけホークといった程度でしょうか。まあ、真のチキンホークになられても困るのですが。

…などと書いてはきましたが、兵役に就きたくない、という気持ちはわからなくもありません。
前回の記事では、新兵訓練と日本軍における私的制裁について触れました。

oplern.hatenablog.com

戦時であれば生き死にが極めて身近なものとなってしまいますが、戦時でなくとも「朝から晩までビンタ」とかいう環境となれば、それでも入りたいなんて人はよほど特殊な性癖の人なんじゃないかと思います。
まあ、旧日本軍は特に劣悪だったようですので、これを一般ケース的に取り上げるのは妥当じゃないかもしれませんが。

幸い、日本は今のところ徴兵制を採用していませんので、多くの人は兵役のことを考えずに済んでいます。
しかし今後もその状況が続くとは限りません。前々回記事では、一部で言われている「徴兵制度の復活はありえない」という意見が、情勢の変化を全く考慮していないものであると書きました。

oplern.hatenablog.com

実際に徴兵制度が復活するかはともかく、自衛隊も今後の員数不足については強い危機感を持っています。
なにやら、面倒な時代になってしまいましたね。

さて、今回はそんな状況を踏まえて(?)、大日本帝国に見られた兵役の逃れかたについて取り上げてみます。

大日本帝国の徴兵制

まず、大日本帝国における徴兵制の前提知識を。
徴兵の対象は17歳から40歳*1の男子です。
毎年、前年12月2日から当年12月1日の間に満20歳*2に達したものは、徴兵検査を受検しその結果に応じて甲・乙・丙・丁・戊の各種にクラス分けされます。
このうち、甲種・乙種は即時入営に適しているとされ、特に戦時中などでは多くの人が軍隊に入りました(入らされました)。
丙種は体格などの点で即時入営に不適とされますが、完全に兵役を逃れられるわけではなく、召集があれば入隊しなければなりません*3
丁種は体格や身体障碍などにより兵役不適格とされた者、戊種は病気やらなんやらで徴兵検査が延期となった者です。

なお、大日本帝国における徴兵制度の詳細については、以前の記事をご参照ください。

映えない徴兵の逃れかた

さて、本題の兵役の免れかたですが、当時の軍隊ガイドブック「陸軍各種兵科模範軍人教典*4」などには、「生計困難ノ故」を理由とする徴集延期が掲載されています。

徴兵制、つまり「国民の義務」ということもあって、当時の兵士の給料は微々たるものです。そのため、一家の働き手を失った留守家族には生活困難に陥るものも少なくありませんでした。
しかし、この「生計困難ノ故」に徴集延期となるケースは極めて少なく、例えば1938年では徴兵検査の対象とされた者(壮丁人員)80万5686人のうち142人しかいません。太平洋戦争中の1942年にはさらに少なくなり、壮丁人員88万5456人中わずか7人となっています。
つまるところ、これを理由に兵役を逃れることは「まあ、無理」だったわけです。

これ以外の逃れかたとしては、在学による徴集延期がメジャー?です。
当時、中等学校以上の在学者は、学校の程度により最長26歳まで徴集を延期されました。
しかし、1943年10月2日には太平洋戦争の戦局悪化にともない、理工科系と教員養成学校在学中の者を除いてこの制度は廃止されます。これにより多くの学生が入隊し戦地に赴くこととなりました(いわゆる学徒出陣)。
ちなみに、1938年の在学による徴集延期の対象者は96,340人となっております。
まあ、とりあえず、兵役回避の可能性を高めるためには理工系に進んでおけ*5、ということがわかりましたね。ただしあくまでも延期にすぎませんので、抜本的な解決とはならないのですが…。

徴集延期でもう一つ。海外在留者も徴集延期の対象となります。
1938年における海外在留を理由とする徴集延期者は60,506人でした。
日清・日露戦争の頃から、海外への移民・出稼ぎは徴兵忌避を実現する手段ともなったことが指摘されています。
なお、先に述べた1938年の海外在留による徴収延期者60,506人のうち、49,691人は南北アメリカの在留者だったりします。
ちなみに、都道府県別の内訳では、当然ながら貧困や人口過密などで移民が多かった県が上位を占めており、沖縄県1,1390人、広島県8,996人、熊本県5,834人となっております。

激しい徴兵の逃れかた

前節は「合法的」な兵役の免れかたについて述べました。
ここからは、イリーガルな手段での徴兵逃れについて。

逃亡による徴兵逃れ

またも1938年のデータからですが、所在不明のため徴兵処分未済者というのが約2万人存在します。これは、行方不明なため徴兵されていない者です。
ちなみに上記中の半数は失踪後7年が経過し民法上も失踪宣告が可能な者でした。兵役を逃れるために行方をくらました者がどのくらいの割合なのかはわかりません。

こうした徴兵からの逃亡については、徐々に監視・引き締めが強くなっており、日中戦争勃発の後には、所在不明者がほぼ半分まで減ったそうです。なお、所在不明者の捜索については、市町村役場と警察が相互に連携して行っていました。

自傷詐病による徴兵逃れ

わざと身体を毀損したり、または病気と偽ることで徴兵を逃れようとする者もいました。
(ここから痛そうな話が多くなりますので、苦手な方は飛ばしてください。)

さて、1938年のデータでは「身体を毀傷、疾病を作為、また傷痍疾病を詐称した者」が18人いたとされています。18人中、発覚して告発された者が3人、告発されなかったがその疑いがある者が15人だそうです。
徴兵検査を行う軍医たちにとって、身体毀損や詐病による徴兵忌避を見抜くことは重要な任務の一つでした。そのため徴兵忌避行為の見抜き方は、軍医の間で引き継がれるべき「経験」となっていたようです。その一環なのか、陸軍軍医団が軍医たちに向けて刊行した徴兵検査マニュアル「徴兵検査研究録」にも身体毀損などの行為が掲載されています。
以下、そのうちの一部を取り上げてみましょう。

  • 醤油を呑んで動悸を昂進させ心臓病・脚気を疑わせた者
  • 絶食によって体重を減少させた者
  • 大腿部を緊縛して下腿に浮腫を来さしめた者
  • 角膜を刺傷または火傷させて角膜翳を作為した者
  • 貝殻、豆、豆の皮、蝋を外聴道内に注入して難聴を装った者
  • 下顎部にパラフィンを注入して下顎部腫瘍を装った者
  • 針で陰嚢を刺し、血種を作為した者

ついでに、第九師団軍医部が作成した徴兵検査マニュアルからも少し事例を取り上げます。

視機能の障害を詐った例

高度の両眼近視を訴えるので、眼底検査を行って異常がないことを確かめたうえで零度の眼鏡をかけさせたところ1.0の視力を示した。詐欺的行為を看破されるとその後は態度を一変し、以後の検査では正当な陳述をした。

こちらの方は懲役2か月に処せられたとのことです。

右人差し指を切断した例

検査で右人差し指末節を切断した者がいたので尋問すると、自宅で藁切り包丁を研いでいて手を滑らせ、切断したと答えた。しかし手を滑らせたなら包丁と右手は同速力・同惰力を有していたはずなので切断にまではいたるはずがない、受傷するとすれば斜めの傷ができるはずであるが実際の傷口は垂直で、他の指にはまったく損傷がない

こちらは、軍医の従来の経験から過失ではなく自傷と認定、懲役2か月、罰金5円に処せられたそうです。

以上に挙げた通り、敵(?)もさるものでかなり疑ってかかってくるようです。
これらの行為による徴兵忌避がどのくらいの成功率だったのか、今となっては知る由もありませんが、簡単にはいかなそうですね。

秘密の召集延期制度

ちなみに、徴兵逃れに利用するのは難しそうですが、一般国民には秘密にされた、召集延期制度なんてものもありました。
対象となるのは軍需工場の熟練工、輸送・通信関係の職員、国民学校教員の一部、そして各都道府県や市町村役場などで兵事業務を主管する者(1名)です。

最後に

過去事例を見ると、兵役/徴兵逃れはそう簡単ではないようです。とはいえ、有り余る金や権力があれば、話は違ってくるのかもしれないしそうでもないのかもしれません。
この辺、Twitterで質問できそうなことだし「兵役逃れの達人」とされるトランプさんにご意見を伺ってみたいところですが、超キレられそうだし、権力怖いしで、そのような行為は差し控えておきたいと思います(私はホークがつかない方のチキンなので)。
などと適当なことをふかしつつ今日のところはこの辺で。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

皇軍兵士の日常生活

 

 

 

*1:1943年からは45歳まで

*2:1944年からは満19歳に引き下げ

*3:丙種は、兵役区分でいう第二国民兵役に割り当てられます。第二国民兵役はいっさい軍隊教育を受けたことがないものが服する兵役なので、いきおい召集優先度は低くなりますが、人手が足りなくなれば当然無関係ではいられなくなります。太平洋戦争終盤には、40歳近い第二国民兵役の者も召集されていました。

*4:軍事教育研究会編

*5:なお、現代の政治家も理工系重視(というか文系に予算を回さない)とか言ってます。彼らは、学問の価値というものをどのように認識しているのでしょうか。