Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【太平洋戦争】ローズヴェルトは再び知っていたOverDose【真珠湾攻撃の真相?】

今日は再びローズヴェルトルーズベルト)の真珠湾陰謀説について少々。

太平洋戦争の開戦劈頭に、日本海軍はハワイ真珠湾への攻撃を行いました。
で、この真珠湾攻撃については、昔から下記のようなローズヴェルト陰謀説が唱えられています。

  1.  ローズヴェルトは、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に介入してイギリスを助けたかったが、アメリカ世論がそれを許さないと知っていた。
  2. ローズヴェルトは、ドイツと開戦するために、日本を利用して国民世論を誘導することにした。
  3. ローズヴェルトは、日本に経済的圧迫を加えて挑発し、日本に武力発動をさせた。それが真珠湾攻撃である。
  4. ローズヴェルトは、日本の真珠湾攻撃を知っていたにも関わらず、現地に攻撃を通知せず、ハワイの米太平洋艦隊をオトリに使った。
  5. 真珠湾攻撃により国民世論は一変、開戦一色となった。ローズヴェルトの目論見通りである。

上記陰謀説については、だいぶ前に記事にしたことがあります。

oplern.hatenablog.com

記事タイトルからはぱっと見わかりにくいのですが、まあ、もちろんというか当然というか陰謀否定記事となっております。
ただ、上記記事ではひとつだけ書きそこねたことがあって、なんとなく小骨が引っかかったような気でいたので、本日記事はその補足です。

ローズヴェルトは知っていた(どうやって?)

真珠湾陰謀説においては、ローズヴェルトがどうやって日本の真珠湾攻撃の意図を知ったのか、二通りの説が提示されています。
一つは、アメリカは日本の暗号を解読して真珠湾攻撃の意図を知ることができた、という説。
もう一つは、アメリカが真珠湾攻撃数日前に、日本機動部隊が発した電波を傍受しており、それにより日本機動部隊の位置を知ることができた。かくしてローズヴェルトは日本の真珠湾攻撃を察知した、という説です。

前者については上記記事にて取り上げていますが、一応、ここでも当該説が成り立たない理由を簡単に説明すると、当時アメリカが解読していたのは日本の外務省暗号であり、海軍暗号ではない、ということです。外務省暗号には攻撃目標の情報など含まれていないため、この説は総崩れとなります。

後者の説についてですが、こちらが上記記事で書きそこねたものとなります。

無線電波の傍受と方位探知

太平洋戦争開戦当時、すでに船から発信された無線電波を傍受することで発信源の位置を推定する「方位探知」の技術が実用化されていました。
真珠湾攻撃に向かう日本機動部隊は、これにより位置を察知されることを避けるため、厳重な電波戦闘管制(無電封止)を実施しています。無電封止下では無電発信は行われません。
(なお、発信は行わないものの、軍令部や連合艦隊司令部からの電報は受信しています。これらの電報は全て東京通信隊から放送されていました。当然、機動部隊による発信ではないため、これによる方位測定は意味がありません。)
さらには、日本近海から大規模な偽電作戦(攻撃部隊の呼出符号を利用した)を行い、機動部隊の居場所をくらませようとしていました。
(余談ですが、機動部隊は船舶の往来が少ない北側の航路を通ってハワイに向かっています。)

そんなわけで、無電封止下におかれていた日本機動部隊は、普通に考えると方位探知で位置を測定されるはずがありません。
そこで、真珠湾陰謀説の主張者は、この「無電封止」という前提自体をひっくり返しにかかってきます。

無電封止は破られた?

機動部隊が実際には無電封止を破って電波を発信していた、というのが真珠湾陰謀説論者の主張です。
著名な論者としては、ジョン・トーランドとロバート・スティネットが挙げられますので、それぞれについて取り上げてみましょう。

トーランドの場合

まず、ジョン・トーランドの著書「真珠湾攻撃」では、真珠湾攻撃の数日前に米本土西岸の海軍区で水兵だったオッグがハワイ北西海面にある艦船を探知、上官を経由してローズヴェルトまで通達されたとしています。オッグは、この艦船について後に真珠湾を攻撃した南雲機動部隊かと思い当たった、とされています。
オッグは、日本の機動部隊の誰かが無電封止を破ったに違いない、と思い込んでいたようです。
しかしながら、このオッグが捉えた電波は海軍軍令部が東京通信隊の船橋送信所から発信した放送電波である可能性が濃厚です。
(使用された4メガサイクル台の周波数が電離層の影響でサンフランシスコで傍受可能となる時間帯と、東京通信隊の発信記録、オッグの傍受した期間・回数が一致)
なお余談ですが、トーランドは他にも根拠史料としているラネフト日記を書き換えているかあるいは誤訳している部分があったりします。

スティネットの場合

次にロバート・スティネットの「真珠湾の真実 -ルーズベルト欺瞞の日々」。「保守系」歴史家の中西輝政氏が絶賛する同書ですが、こちらは南雲機動部隊が無電封止を破って電波を垂れ流し、かつ日米開戦前にアメリカが日本海軍の暗号を解読していた、という事実と異なる前提のもとに議論を展開しています。
海軍暗号解読の件は論外として、南雲機動部隊が無電封止を破ったという点についても論拠が不十分で、南雲機動部隊が単冠湾出撃後に発信した電報を提示できていません。出撃前・出撃後を仕分けせず無差別に件数だけ挙げており、少数の例示はいずれも出撃前のものとなっています。
歴史家の半藤一利氏は、同書について「阿呆らしくて阿呆らしくて、とても、コメントする気になれません」と評しましたが、そう言われてもやむなし、という感じでしょうか。

淵田さん放言する

ちなみに、トーランドやスティネットの話とは別に、機動部隊がハワイへ向かう途上、1回だけ電波を出したという噂があったりします。
噂の出処は1970年発行の「文藝春秋臨時創刊-日本航空戦記」における淵田美津雄中佐(真珠湾攻撃時の飛行総隊長)の発言と推定されています。
いわく、「南雲長官はすごく臆病者で(中略)潜水艦(イ23潜)が心配になって、”お前はどこにおるのや”とついに電波を出してしまった」とか。
しかしながら、真珠湾攻撃参加者の手記・日記は数多く存在するものの、この淵田発言以外には無電封止を破ったという記述は見つかっていません。
イ23の所属する第二潜水隊の司令、今泉大佐の著書「たゆみなき進撃」や、同潜水隊所属のイ21潜水艦長松村中佐の日記を照らし合わせると、信号(発光信号など)を用いた通信は行っているものの、打電は行っていないと思われます。

最後に

さて、無電の傍受による真珠湾攻撃察知説については以上となります。
以前の記事では「真珠湾攻撃陰謀説が成り立つには、かなり末端の方までの数多い共謀者が必要となるが、これらの人間が戦後70年経過しても一人として発覚しない(大意)」ということを書いてますので、正直、無電傍受説の否定についてはこれで十分な気もするのですが、まあ、なんか引っかかってたので。

ついでというとなんですが、真珠湾陰謀説では、大抵、「アメリカが日本を挑発して戦争させた日本悪くない」説が一緒についてきますが、そちらについても記事を書いてます。
興味があればどうぞ。

oplern.hatenablog.com

それにしても、トーランドもスティネットも、別に日本を擁護したくてこんな本を書いたわけではないと思うのですが、愛国心な方々は、いろんなところから「使えそうな」コンテンツを拾ってくるものですね。
そんな労力をかけてまで「素晴らしい日本」というふうに思いたいというのは、私からするとあまりにもウェットな価値観に思えて感心しきりです。ただ、まあ、なんというか、その「ウェット感」を現実世界に持ち込むのはやめてほしいなあ、なんて思いました。ウェットに歴史とかウェットに外交とかウェットに軍事とか*1
それでは今日はこの辺で。

 

 

*1:その割に、海外はもちろん日本の国民に対してもえらくドライに感じるのは気のせいでしょうか。「ぼくのかんがえたすごいにほん」のためには、人権も人命も踏みにじっちゃう感。