Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【真珠湾攻撃】太平洋戦争開戦時の特攻【特殊潜航艇 甲標的】

本日の記事は、太平洋戦争開戦時に実施された「特攻」である、特殊潜航艇「甲標的」による真珠湾突入について。

本ブログではだいぶ前に、真珠湾攻撃を事前にローズヴェルトが知っていたという説について取り上げたことがあります。

oplern.hatenablog.com
(タイトルからはわかりにくいですが、陰謀論否定記事となっております。)

上記記事では、ローズヴェルト陰謀説のついでに真珠湾攻撃の概要について触れています。
その中で「特殊潜航艇(甲標的)による攻撃も実施」なんて、さらっと書いてるのですが、今回記事はそのへんについての詳細記事となっています。

ちなみに前回記事は、真珠湾攻撃ローズヴェルトが知っていた説についての補足記事でした。

oplern.hatenablog.com

さておき、いわゆる「特攻」は一般的に米軍のフィリピン、レイテ島上陸に際し行われた(神風特別攻撃隊)とされますが、実際には開戦初日の真珠湾攻撃において既に決死攻撃が行われていました。ただし、航空機ではなく小型潜水艇甲標的」による「特攻」となっています。

特殊潜航艇「甲標的

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甲標的は、二人乗り(甲型)の小さな潜水艇です。
いくつか発展型が存在するのですが、真珠湾攻撃で出撃した甲型では全長約24メートル、全高3.4メートル、排水量46t(水中)、速力は19ノット(水中)となっています。
100メートル程度まで潜航可能ですが、航続力は短く最大速力では50分程度しか航行できません。最微速(6ノット)でも航続距離は約80海里(150km)にとどまります。
乙型以降の発展型はディーゼルエンジンを搭載することとなり、水上での航続距離は300海里に伸びましたが、甲型は蓄電池のみで動いているため、極めて限定的な航続力となっています。)
排水量46tのため安定性も不十分であり、外洋航行能力はありません。武装としては魚雷2本を搭載しています。

当初の計画では、洋上の艦隊決戦に際して甲標的母艦より発進して予定決戦海域に潜伏、戦闘の推移に合わせて魚雷による奇襲攻撃を行うものとされていました。
しかし結局、艦隊決戦の機会は訪れず、実際には潜水艦に搭載されて真珠湾シドニー湾、ディエゴスワレズ港などの港湾襲撃にあたっています。

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シドニー湾攻撃で撃沈された甲標的

なお、当初目的である艦隊決戦で使用された場合は、作戦終了後に母艦により収容される計画となっていましたが、実際の収容は困難であり生還率は低い兵器でした。
とはいえ、フィリピンのミンダナオ海(ボホール海)における哨戒任務では、好条件に恵まれたこともあり、生還・反復出撃が安定して行われています。
(人間魚雷ともいわれる「回天」などとは違い、甲標的部隊は生きて帰ってきて何度でも出撃を繰り返すというのがモットーだったとか。)

なお、「甲標的」というちょっと変わった名前となっていますが、この制式名の由来は機密保持のための秘匿名称「A標的」やら「TB標的」から来ています。他にも特型格納筒とかいった秘匿名があり、そのため、甲標的の艇長は「筒指揮官」なんて呼ばれたりしてました。

甲標的による真珠湾攻撃の顛末

さて、そんな甲標的ですが、真珠湾攻撃にも5隻が参加していました。
航空部隊による真珠湾攻撃の数時間前、真珠湾口に5隻の潜水艦(イ16、イ18、イ20、イ23、イ24)が展開、それぞれから甲標的1隻ずつが発進しています。5隻の甲標的真珠湾奥深くにまで侵入し、空襲と呼応して湾内に停泊中の米軍艦艇を雷撃する手筈となっていました。
(余談ですが、この際1隻の甲標的が警備中の米軍に発見され駆逐艦「ワード」より攻撃を受けています。緊急警報も出ていますが、なぜか米軍関係者に注意を払われることもありませんでした。真珠湾陰謀説支持者が喜びそうなネタですね…。)

出撃後の甲標的については不明な点が多く、戦果ははっきりしません。アメリカ側の記録によれば、1隻は早いうちに湾外で撃沈、2隻が湾内に侵入したとされています。1隻は攻撃に成功して戦艦オクラホマに致命傷を与えたなんて説もありますが、決定的な証拠もなく、現時点では不明とするのが妥当っぽいです。

前節にて生還率が低い兵器と述べましたが、この真珠湾攻撃においてもその特徴は顕著にあらわれ、出撃した5隻は全て未帰還、戦死者9名、捕虜1名という結果となっています。
なお、捕虜となったのはイ24から発進した酒巻和男少尉で、人事不省に陥ったところを米軍に捕まり太平洋戦争における日本人捕虜の第一号となりました。

真珠湾攻撃への参加経緯と「特攻」

さて、生還率が低いとはいえ、上記顛末だけでは「特攻」と呼ぶのには違和感を感じるかもしれません。
そこで、甲標的部隊(特潜部隊)が真珠湾攻撃へ参加することとなる経緯について書いておきます。

特潜部隊は、空母航空隊によるハワイ作戦とは全く無関係に、日米開戦劈頭時の真珠湾突入攻撃を考えていました。これについては搭乗員の救出案などは考えられておらず、「必死」を前提とした作戦案となっています。

当該攻撃案は、1941年8月に山本五十六連合艦隊司令長官に具申されますが、山本は、生還の望みがない出撃は認められないと却下しました。
(ちなみに、山本はこの頃すでに航空機による真珠湾攻撃を考えていましたが、当然ながらそのことを特潜部隊に告げることはありませんでした。)

特潜部隊は、それならばと攻撃後の救出計画を策定、再度出撃を申し出ます。この救出計画は机上プランに過ぎず、とても現実的なものとはいえませんでしたが、山本はその思いにほだされたのか出撃を許可、航空機による真珠湾攻撃構想を明かし、特潜部隊は航空攻撃開始後に真珠湾突入を行うこととなります。

甲標的はこうして真珠湾攻撃に参加することとなりますが、搭乗員のいずれも帰る望みの無い必死攻撃と覚悟のうえで出撃しており、結果としても捕虜となった1人を除いて全員戦死となりました。
戦死した9名は、その後大々的に「九軍神」として発表され、二階級特進、その栄誉を讃えられました。国民の戦意高揚に資する役割を担わされたわけです。

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九軍神の油絵。ちなみに中央はフォード島。

なお、海軍はこの真珠湾攻撃に参加した甲標的部隊のことを「特別攻撃隊」と称し、メディア上でも「特別攻撃隊の偉勳」として発表しています。「特攻」という言葉はここに始まるわけですね。

最後に

ちなみに、唯一の生存者である酒巻和男少尉について、日本側はアメリカ軍のラジオ放送により比較的早期の段階で捕虜となったことを把握しています。このため、酒巻少尉は「最初からいなかった」ものとされ、九軍神だけが出撃したかのように報道されました。なんというか、毎度のことながら日本のこの手のドライさには驚かされます*1

 

 

*1:現代日本においても、国は愛するが国民は愛さないという愛国者様が多いのですが、こういった系譜に連なってるんでしょうか。