Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争と兵器】三八式歩兵銃【日本軍のライフル】

本日は、日中戦争でも太平洋戦争でも日本軍の主力小銃として活躍した、三八式歩兵銃について少々。

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三八式歩兵銃は、明治38年(1905年)に制定された小銃です。
口径は6.5mmで、使用弾薬は「三八式実包」。有効射程は460メートルほどでした。
重量は3730グラム。銃の全長は1276mmとかなり長くて、当時の日本人の体格では扱いにくかったようです。
(ちなみに30年式銃剣を着剣すると全長1663mmとなり、さらに長くなります。もはや槍ですね。)

たまに、日本軍は太平洋戦争にいたっても単発式のライフルで戦った(装弾数1発の銃で射つたんびに弾込めしていた)、なんて誤解をされてる方がいるようですが、三八式歩兵銃は装弾数5発となっており、単発銃というわけではありません。
三八式歩兵銃はボルトアクション方式のライフルなのですが、どうもボルトアクション=単発、という謎のイメージが流布しているようです。
なお、第二次世界大戦では多くの国でボルトアクション方式ライフルが主力小銃として用いられており、既にセミオートマチックライフル(M1ガーランド)をガンガンに使っていたイメージのあるアメリカですら、急速に膨れ上がる兵員数に配備が追いつかずM1903ライフルが一部で使用されています。ガダルカナルに上陸した海兵隊なんかもM1903を使っていました。

閑話休題
三八式歩兵銃は銃身が長いだけあって命中精度は高かったのですが、口径が6.5mmと小さく、昭和初期には威力不足が問題となってきました。

三八式歩兵銃の口径は、ライフル弾の口径としては小さい部類に入ります。この6.5mmという口径は明治31年制定の三十年式歩兵銃から引き継がれたものですが、メリットとしては反動が小さく命中精度の向上が期待できること、歩兵1人あたりの携行弾数を増やせることなどが挙げられます。
しかし、第一次世界大戦下で装甲車両が出現すると、簡易な装甲でも防御されてしまう貫通力の小ささが欠陥として認識されるようになりました。
これにより、歩兵銃の大口径化が研究されるようになります。

昭和14年(1939年)に採用された九九式小銃は三八式同様にボルトアクション方式、装弾数5発だったものの、口径は7.7mmと大口径化されていました。その威力差は、例えば自動車のエンジンを撃つと三八式なら小穴が開く程度のところ、九九式では発火炎上したといいます。
しかし、この新たな小銃でもって、膨大な日本軍兵員全ての装備を更新することは困難であり、結局、太平洋戦争終結まで主力小銃は三八式歩兵銃のままでした。
当時、日中戦争の長期化により三八式歩兵銃の大増産が行われており、新型銃の投入と更新には不都合な状況となっていたことも災いしています。

この中途半端に九九式小銃が配備されているという状態は、制式基幹小銃の口径が二本立てとなる事態を引き起こし、日本軍の銃弾統一を阻害、弾薬供給が圧迫されることとなりました。
(ちなみに、アメリカでもM1ガーランドとM1903という二つの小銃が用いられましたが、こちらの弾薬は双方とも7.62x63の「.30-06スプリングフィールド弾」で共用できたため、影響は抑えられたようです。)

で、余計なことをいいますと、三八式歩兵銃と三八式実包の組み合わせは割と優秀で、日本軍が思っていたより殺傷力も高かったなんて話もあります。戦後に日本側の内情を知った連合軍の銃器関係者が、戦時下になんでわざわざ九九式小銃への変更を強行したのか不思議がったとか。
ちなみに九九式小銃が太平洋戦争の経過に伴い品質レベルが低下していったこともあり、米軍は三八式を「世界的な優秀銃」、九九式小銃を「世界最低の軍用銃」なんて評価を下したりしてます。
(九九式小銃も初期のものは仕上げ、材質ともに良好で名銃といって差し支えないものでした。)

三八式歩兵銃の派生型

少し三八式歩兵銃の派生型についても挙げておきましょう。いくつかありますが、ここでは三八式騎銃と九七式狙撃銃を。

まず三八式騎銃。これは三八式歩兵銃の全長を300mmほど短くして取り回しの良い騎兵銃(カービン)にしたものです。三八式騎銃では、三八式の口径の小ささによる低反動が良い方向に作用し、全長970mm程度と短いながらも射撃しやすい銃となりました。
三八式騎銃は砲兵など支援兵科/兵種の部隊で主に使用されました。

次に九七式狙撃銃。これは、三八式歩兵銃から銃身精度の高いものを選んで、それに狙撃眼鏡をつけるなどの改造をおこなったものです。
発射光や煙を目立たせないために、通常2.8グラムの装薬を2グラムに減らした減装薬莢が主に使用されました(通常弾薬も使用可能)。
余談ですが、日本軍にはドイツ軍のような狙撃兵を特別に養成する学校などはなく、日中戦争に従軍した兵士の回想によると、実弾射撃で5発に3発程度が標的に当たるようになると、狙撃兵になることを勧められたそうです。