前回、私が何気に好きな九八式直協機について書きました。
今回は、ついでというか興に乗って、同じくお気に入りの第二次大戦中の航空機、イギリスはデ・ハヴィランド社の万能木製航空機、モスキートについて。
なお、こちらの機体は地味ではありません。
モスキートはイギリス最高の双発機ともいわれ、爆撃機型、夜間戦闘機型、戦闘爆撃機型、偵察機型、3座艦載機となった雷爆戦闘偵察機型など、多くのタイプがあります。
夜戦型なんかは、戦闘機として優れた特性を持つうえ、優秀な電子装備をも備えたことから「大戦時最高の夜戦」なんて言われることも。
さて、このように第二次大戦時のイギリスを代表する航空機の一つであるモスキートですが、なんと、胴体・主翼ともに木を主材とする木製機でした。
私が木製なのはどう考えてもお前らが悪い! -デ・ハヴィランド社の事情-
結果的に傑作機が出来上がったとはいえ、なぜ、当時としても時代遅れとみられていた木製機を開発したのでしょうか?
これには、モスキートの開発元、デ・ハヴィランド社の事情と考えによるものです。
デ・ハヴィランド社は1920〜1930年代中頃にかけてDH.88コメット、DH.91アルバトロスといったモノコック構造の木製機を世に送り出していました。
同社はこれら木製高速機の開発で培った経験と実績をもとに、戦時になれば鉄とアルミニウムが不足が予想されるが、木製機であればそのような状況に影響されず生産可能であること、生産には家具などの木工所が利用できることをメリットとして、木製の双発高速爆撃機の開発を空軍省に提案します。
しかし、この提案は検討もされずに廃案とされてしまいました。当時の英空軍は木製機が第一線軍用機として使用できるとは考えていなかったのです。
ところが、デ・ハヴィランド社はこれにめげることなく独自に、戦闘機を振りきって爆撃任務が遂行可能な木製高速爆撃機というコンセプトで開発研究を続けます。
このコンセプトでは、敵戦闘機を振り切るという考えから防御用銃座を搭載しないものとしており、爆弾搭載量や航続性能の同等機と比較した場合、機体の大きさと重量を低減し、併せて流線型化を図ることで最大640km/hの最高速度を実現できると考えられていました。
1938年秋にはこの高速爆撃機の設計案と性能資産は概ねまとまり、デ・ハヴィランド社は要求仕様10/36に適合する機体として空軍に試作承認を求めます。
しかし、空軍側はまたしても審議を拒否しました。空軍側の意見によれば、防御武装を持たない爆撃機には価値がなく検討に値しない、ということでした。
余談ですが、イギリスで名機と呼ばれる機体の多くはメーカーの自主開発機であり、「英国の飛行機は軍の要求で開発した機体より、自社開発機の方が出来が良い」と言われることがあります。なんというかイギリスっぽいですね。
さておき、空軍のすげない態度が変わるのは、英空軍調達部門の最高責任者ウィルフリッド・フリーマン大将が本案を支持したことに始まります。空軍は高速偵察機として用いるのであれば木製・防御銃座なしでも問題ないと態度を軟化させ、ついに1940年3月1日にはデ・ハヴィランド社案に基づく軽偵察爆撃機の要求仕様1/40/DHを発行、試作機1機と量産機49機を発注しました*1。なお、この際に「モスキート」の名称が付与されました。
万能木製機 モスキート
こうして生産されたモスキートは、胴体・主翼ともに木材を主とするモノコック構造で、金属材はわずかにエンジンマウント、動翼の一部、主脚などに使用されるだけでした。自重6,500kgのうち、これら金属材が占める重量は127kgで、自重中の割合は2%に過ぎません。
なおモスキートは双発機であり、マーリンエンジン2基を搭載していました。乗員は2名で操縦士と航法士が並んで座る並列複座となっています。
試作1号機は1940年11月25日に初飛行し、1941年2月に行われた飛行試験では最大速度630km/hを記録しました。
これは、スピットファイアなどの単発戦闘機をも上回る数値であり、空軍関係者を驚喜させたといいます。その後の飛行試験も順調に推移し、ただちに量産が命じられました。
モスキートは、当初の構想であった爆撃機型だけでなく、戦闘機型や偵察機型、戦闘爆撃機型なども生産されることとなります。
最初の戦闘機型、モスキートF.Mk.IIは、爆撃機型のFB.Mk.IVに、固定武装として機首部20mm機関砲4門、胴部に7.7mm機関銃4挺装備のガンパックを搭載しました。量産時は、多くが夜間戦闘機型となり機首部に索敵用のレーダーを搭載しています。
ちなみに、最初の夜戦型NF.Mk.IIは1942年1月より引き渡しが開始され、同年5月に初撃墜を記録しています。夜戦型はその後、より高出力のマーリンエンジンに換装したり、搭載レーダーを新型にしたりなどしてMk.XII、Mk.XIII、Mk.XV(高高度戦闘機型)と発展していきました。
他にも、爆撃能力を強化した戦闘爆撃機型が生産され、このタイプとしてはFB.Mk.VIが広く使用されています。500ポンド爆弾2発や60ポンドロケット弾8発などを搭載可能で、対艦攻撃に使われたタイプもあります。
戦闘機型は、防空任務はもちろん、その搭載量と長い航続力を活かしてドイツ占領下にある欧州各戦線での制空任務にも従事、少なからぬ撃墜戦果を挙げています。
また、夜戦型は英本土での防空任務において、夜間爆撃に来襲するドイツ軍爆撃機やFw190戦闘爆撃機の迎撃に活躍しました。
爆撃機型や戦闘機型以外では、写真偵察機型TR.Mk.33や3座に改造した艦載機型(雷撃機型)PR.Mk.IXなどがあります。艦載機型はシーモスキートと呼ばれることも。
ちなみに、モスキートの最終的な派生型の数は40以上に上ります。
モスキートのスペック
遅まきながら、モスキートの性能諸元も書いておきます。
派生型が多いのですが、ここでは前述した戦闘爆撃機型FB.Mk.VIを。
全幅:16.51m
全長:12.55m
全高:5.31m
自重:6,506kg
全備重量:10,124kg
最高速度:611km/h(高度9,144m)
上昇限度:11,000m
航続距離:1,940km(増槽使用時2,745km)
乗員:2名
固定武装:20mm機関砲×4、7.7mm機関銃×4
搭載兵装:225kg爆弾×4、ロケット弾×8
エンジン:ロールスロイス マーリン25(1,640hp)×2
ちなみに、戦闘爆撃機型FB.Mk.VIは、敵地上空へ侵入しての低空精密爆撃、ドイツ本土へ夜間爆撃を行う重爆撃隊の先導(パスファインダー)と護衛、FB.Mk.XVIIIとチームを組んでの対艦船攻撃、さらにはドイツの「元祖巡航ミサイル」V1飛行爆弾ことFi103の迎撃なんかも行っています。
アジア戦域
モスキートは欧州戦線だけではなく、中国、インド、ビルマ方面(CBI戦線)にも投入されています。
しかしながら、高温多湿の地域が多いCBI戦線では木材の接着加工に用いたカゼイン系接着剤の劣化が問題となりました。高熱への対策として、機体にアルミニウムを塗布したりしてますが、これが原因で低空飛行時の被発見率は高まってしまったとか。
こういった問題はあったものの、それでも本機は活躍をみせ大きな戦果を挙げています。
以下、余談。
本来の英軍機の場合、ラウンデル(国籍マーク)とフィンフラッシュ(垂直尾翼の国籍標章)は赤青で塗装されるのですが、CBI戦線では日本軍機との誤認を避けるため青と水色で塗られていました。
木製の驚異(The Wooden Wonder)
モスキートは戦後も生産が続けられ、戦闘機型の最終機が退役したのは1950年11月のことでした。
総生産数は7781機(大戦中に完成したのは6710機)におよびます。
「時代遅れの木製機」といわれた本機は、第二次大戦のイギリスを代表する戦闘機/爆撃機として活躍、木製の驚異(The Wooden Wonder)と称されることとなりました。
世の中、何が起こるかわかりませんね…。
逆境ナインより。地区大会決勝9回裏、点差54点の局面で他のメンバーが倒れ、1人残された全力学園野球部キャプテン不屈君を励ますサカキバラ先生。