Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【太平洋戦争】慰霊の日【沖縄戦の犠牲者数】

本日は6月23日、沖縄県ではこの日を「慰霊の日」として記念日に定めています。
1945年6月23日に、沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなむもので、沖縄戦の犠牲者の追悼・慰霊および平和の希求を目的として1974年に県令として施行されました。

当ブログでは、ここ何回かにわたって大日本帝国による委任統治時代の南洋群島について書いてきたのですが、いったん中断して、本日は沖縄慰霊の日にちなんだ話を。沖縄戦における、いくつかの村の犠牲者数について。

第32軍司令部 最後の数日間

簡単ながら、組織的戦闘が終わるまでの最後の数日間を追ってみましょう。

沖縄戦で防衛の中心となったのは、日本陸軍第32軍です。
(他に、沖縄方面根拠地隊を核とする海軍部隊もいました。)

第32軍司令官の牛島満(うしじま みつる)中将(後に大将)は、5月22日に首里(現那覇市)から沖縄本島南部への後退を決定、5月29日に首里からの撤退を開始します。
後退後は摩文仁(現糸満市)に司令部を設け抵抗を続けましたが、築城資材が不足してろくに陣地構築できなかったり、半数ほどの火砲搬出に成功したものの準備する余裕がないために砲兵運用ができなかったりと、十分な戦力発揮は不可能でした。各部隊はろくな陣地も武器もないまま、各個に戦って潰走するか全滅することとなります。

このような状況のなか、牛島司令官は6月18日に参謀次長および第10方面軍司令官あてに訣別電を発し、また、翌日6月19日には、最後の軍命令を下達します。
いわく「各部隊は各局地に於ける生存者中の上級者之を指揮し、最後迄敢闘し、悠久の大義に生くべし」とのこと。つまるところ「死ぬまで戦え」ということですね。
6月22日未明には、撤退命令を受けて摩文仁に後退していた第44旅団が総員斬込みを行って果て、翌6月23日には牛島司令官と長勇(ちょう いさむ)参謀長が海に面した壕入り口で自決(22日との説もあり)、組織的抵抗が終わりました。
しかし、その後も残存した部隊の一部は戦い続け、無用な犠牲を出すこととなります。

沖縄県民の犠牲者数

さて、ここから主題となります。
実のところ、沖縄戦における沖縄県民犠牲者については、過去の記事で少し触れたことがあります。

oplern.hatenablog.com

沖縄戦での民間人犠牲者数は約15万人、実に沖縄県民の4人に1人が犠牲となりました。

上記記事でも触れているのですが、これは沖縄全体での割合なので、激戦地に絞るとさらに割合が高くなります。
上記の記事で例としてあげた浦添村(現浦添市)では住民9,217人中、4,112人が犠牲となっており、これは住民の44.6%が戦死ということになります。また、2,077戸のうち469戸が一家全滅となっており、こちらの割合は22.6%です。

浦添市では集落ごとでも統計が取られていますが、安波茶(あはちゃ)では世帯数60、住民209人のうち134人が戦死、26戸が一家全滅しており、これは戦死64.1%、一家全滅43.3%の高率です。

他にもいくつかの村について取り上げてみましょう。
まずは、浦添村の東に隣接する西原村(現西原町)。
こちらは住民10,881人中、戦死者が5,106人、46.9%が戦死したこととなります。戸数は2,156戸で、そのうち476戸が一家全滅、割合は22.1%です。

次に西原村の南に隣接する南風原村(現南風原町、ちなみに「はえばる」と読みます)。
住民8,020人中、戦死者3,302人で41.2%の割合。戸数は2,156戸でそのうち252戸が一家全滅となっています。こちらの割合は11.7%。

最後にぐっと南下して玉城村(「たまぐすく」と読みます。2006年に大里村、知念村、佐敷町と合併して現在は南城市)。
こちらは、住民9,688人中、戦死者2,003人で20.7%、戸数1,608中、113戸が一家全滅で7.0%となります。
先に挙げた例よりは割合が少ないのは、米軍侵攻時にすでに日本軍が撤退していたため戦闘にならなかったことが幸いしています。

最後に

沖縄戦で自決した海軍部隊の司令官、太田實(おおた みのる)中将は5月6日海軍次官あてに有名な「062016番電」を発信しています。その内容は、通信手段を失った県知事に代わって沖縄県民の敢闘の様子を訴えるものでした。
沖縄県民斯く戦えり 県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」という部分が特に知られています。

しかしながら、現在の沖縄とそれを取り巻く状況を見ると、大田中将の電報はほぼ黙殺されているのではないかと思えます。不思議なことに「愛国心」豊かな方が特に黙殺する傾向が強いようです。

ついでに余計な余談など。
本記事を書くにあたり沖縄地方紙の慰霊の日に関連する記事を見たりしたのですが、その際、明日6月24日、浦添市前田にて不発弾処理があるという記事も見つけました。

www.okinawatimes.co.jp

米国製5インチ艦砲弾1発だそうです。
当ブログでは、不発弾についても以前に記事にしたことがあります。

oplern.hatenablog.com

上記記事でも触れましたが、沖縄の不発弾完全処理までは今後70年ほどかかると予測されており、「戦後」はまだまだ続くようです。
明日の不発弾処理が無事終わることを祈りつつ、本日の記事を終わります。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

定本沖縄戦―地上戦の実相