Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【太平洋戦争】ナウル守備隊 残酷物語【オーストラリア】

前回、太平洋戦争時において日本統治下となったナウル島と、島民の受難について書きました。
なお、加害者は日本軍です。

oplern.hatenablog.com

今回は、そのついでというとなんですが、降伏後の日本軍ナウル守備隊の受難について。
こちらのほうの加害者というか原因はオーストラリア軍とその不適切な処理によるものです。

敗戦後のナウル守備隊

前回も書きましたが、日本軍ナウル守備隊はナウル島で終戦を迎えた後、1945年9月13日にオーストラリア海軍のフリゲートディアマンティナ」にて降伏文書に調印します。
降伏したナウル守備隊は、オーシャン守備隊と共にオーストラリア海軍の輸送船に乗せられてブーゲンビル島に送られました。
両守備隊を収容する収容所はファウロ群島に設けられる予定だったのですが、同収容所が完成するまでの間は、ブーゲンビル島の仮収容所に収容することとなっていたのです。

9月20日ブーゲンビル島タロキナ海岸に到着した両守備隊は、炎天下で食事や飲料水の支給もないまま、仮収容所までの約20kmを行軍させられました。生存者の推測では、この行軍で50人前後の死亡者が出たそうです(世界戦争犯罪事典)。

10月末より、両守備隊はブーゲンビル島南端ブイン沖ファウロ群島のピエズ島およびマサマサ島に移動します。
ピエズ島は、ハマダラカの繁殖する湿地が多いマラリア流行地でした。
このため、移動から2週間を経ずしてマラリア患者が続出、ナウル・オーシャン守備隊の収容者4400名中、1946年2月の復員完了までオーシャン守備隊78名、ナウル守備隊では600名を超える死者を出すこととなります。

上記の惨事について、オーストラリア軍に「悪意」や「不作為」があったかは定かではありません。原因の一つにはオーストラリア軍の薬剤の不足があるようですが…。

先にも触れましたが、1946年1月下旬から2月にかけて日本海軍残存艦艇の鳳翔、葛城、熊野丸、鹿島などにより収容者の復員が進められました。
しかし、ピエズ・マサマサ両島で没した将兵については、戦後40年以上経過した昭和62年にようやく遺骨収集が行われ始めることとなります。

最後に

余談となりますが、日本政府による太平洋戦争海外戦没者遺骨収集事業についても少し触れておきます。
この事業を所掌するのは厚生労働省で、2018年3月31日現在における収容遺骨数は約127万柱、海外戦没者数は約240万人であるため、未収容遺骨は約113万柱となります。
未収容遺骨の内訳は、艦船ごと沈むなどして引き揚げ困難とされるものが約30万柱、相手国事情により帰還困難な遺骨が約23万柱、それ以外の未収容遺骨が約60万柱です。
戦後70年を経過してなお、およそ半数の遺骨が未帰還となっているわけですね。先日の慰霊の日の記事でも書きましたが、まだまだ「戦後」は終わっていないのです。

なお、同事業は各地の事情に詳しい戦友会に頼らざるをえないことが多いのですが、元将兵たちの高齢化により事業そのものの失速あるいは消滅が懸念されている状態にあります。
現在、厚生労働省ではフィリピン、東部ニューギニア、ビスマーク・ソロモン諸島インドネシアミャンマーパラオマリアナ諸島の地域における未収容遺骨の情報を求めているそうです。下記に厚生労働省へのリンクを貼っておきますので、情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご覧頂きたいと思います。

厚生労働省 戦没者慰霊事業の実施