Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【警察系】日本の対テロ特殊部隊SAT(特殊急襲部隊)【特殊部隊】

最近、日本の警察についての記事をいくつか書きました。
多くは戦前における警察制度についての記事だったのですが、一応は現代日本の警察制度についても書いています。

oplern.hatenablog.com

ところで、上記記事の中で日本警察の対テロ特殊部隊SATについて、ほんの少しだけ触れてたりするのですが、本日の記事は、このSAT(特殊急襲部隊:Special Assault Team)についてもう少し書いてみます。

対テロ特殊部隊設立の背景

SATは一般の警察業務では対処できないハイジャックや重要施設占拠などのテロ事件、凶悪犯による人質事件や銃器事件などに対処するために設立されました。

このSAT設立の背景には、1972年のミュンヘンオリンピック事件、1973年のあさま山荘事件、1977年のダッカ事件などがあります。

ミュンヘン・オリンピック事件は、1972年9月5日、パレスチナ武装組織「黒い九月」のメンバー8名が、ミュンヘンオリンピックの選手村を襲撃、イスラエル選手団を人質とした事件で、イスラエル選手団に11名の犠牲者を出すこととなりました。
ちなみに、この事件を契機に西ドイツは対テロ特殊部隊国境警備隊第9部隊(GSG-9:ゲーエスゲー ノイン)を誕生させています。

あさま山荘事件は、1972年2月19日から2月28日にかけて、連合赤軍が長野県軽井沢にあった保養所「浅間山荘」に人質をとって立てこもった事件です。この事件はご存じの方も多いでしょう。

こういった事件を受けて、警視庁は特殊部隊創設に向けて動き出すことになるのですが、そのさなか、バングラデシュの首都ダッカで、日本赤軍によるハイジャック事件が発生します。
これがダッカ事件で、この事件に対処可能な特殊部隊を擁していなかった日本は、「人命再優先」として犯人グループの要求をすべて呑むという結末を迎えました。
その一方、ダッカ事件1ヶ月後に発生したルフトハンザ機ハイジャック事件では、前述のドイツ特殊部隊GSG-9が人質救出に成功しています。
この二つのハイジャック事件は、日本に早期の対テロ特殊部隊立ち上げを促すこととなりました。

SAT創設

さて、こうして日本では独GSG-9を参考として、警視庁第6機動隊内に「特科中隊」、大阪府警機動隊に「零中隊」と呼ばれる部隊が創設されます。
(SATの前身であるこの部隊は「SAP(Special Armed Police)」と呼ばれることになります。)

1979年には、三菱銀行人質事件(三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質にした事件)が発生、同事件において零中隊が出動し、犯人を射殺しています。

SAPの存在は、1995年6月に函館空港で発生した全日空857便ハイジャック事件で明らかとなりました。
その翌年1996年5月、各特殊部隊が再編成され、正式に特殊部隊「SAT」として公表されることになります。
なお、この公開に伴って、警視庁ではそれまで第6機動隊内に置いていた同部隊を、警備部警備1課直轄部隊としました。

SAT概要

SATについては公表されていない事項が多いのですが、まあ、私にわかる範疇での説明を。

現在、SATは全国8都道府県の警察本部に設置されています。ちなみに8都道府県というのは、東京、神奈川、千葉、大阪、愛知、福岡、北海道、沖縄です。
1個隊20名程度の隊員で、全国で11個班の部隊規模となっており、警視庁に3個、大阪府警に2個、その他の6道県警察本部に各1個となっています。
1個隊は、指揮班、制圧班、狙撃支援班、技術支援班で構成され、メインウェポンとしてはH&K MP5サブマシンガンを使用、サブアームとしてH&K USPやH&K P9S、SIG P226といった拳銃、狙撃銃としては豊和M1500が配備されています。自衛隊89式小銃(折曲銃床型)も装備しているとか。
除雪車を改造した銃器対策警備車と呼ばれる大型の警察版装甲車を保有し、また、観光バスに偽装した多重無線車や2回以上の部屋に突入するためのはしご車なんかもあるようです。

ちなみに、実働部隊と後方支援要員も含めて、隊員は300名前後といわれています。
近年は、訓練の一部を報道機関に公開していますが、それでも編成や装備、隊員の選抜基準などの詳細は公表されていません。

なお、これまで武装立てこもり事件等に何度か出動していますが、2007年に愛知県長久手で発生した立てこもり事件では、隊員1名が殉職されています。