【戦前用語の基礎知識】治安警察法とは【治安維持法以前】
最近、大日本帝国の特別高等警察(特高)および治安維持法についての記事を書きました。
悪名高き特高は、これまた悪名高い治安維持法に拠って「活躍」することとなるわけですが、特高の誕生は1911年(明治44年)*1、治安維持法の公布は1925年(大正14年)と、先に特高が誕生しており治安維持法はそれよりだいぶ後に制定されています。
では、治安維持法が制定されるまで、特高はなにを拠り所としていたのでしょうか?
以前の特別高等警察の記事でも触れたのですが、治安維持法による後ろ盾を得るまで特高が主な活動根拠としていたのは、政治的集会および結社、言論活動などを取締るために制定された治安立法である「治安警察法」でした。
今回記事は、この治安警察法について。
ただし、あまり時間がないので深くは突っ込みません。
治安警察法
治安警察法は集会、デモ、結社などによる市民の政治活動を規制し、また、労働・農民運動の抑圧を目的に、1900年(明治33年)に制定されました。
治安警察法は第二次山県有朋内閣時に制定されたのですが(法律第三六号)、当初は政治活動の規制と、労働・農民運動の規制という二つの面をもっていました。
しかし、労働・農民運動については、大正15年(1926年)法律第五八号による改正で、労働関係の条文(17条)が削除され、以降、もっぱら「政事」に関する集会および結社を制約する法規となります。
17条は、労働者の団結や争議行為のために「他人ニ対シテ暴行、脅迫」することや、ストライキのために「他人ヲ誘惑若ハ煽動スルコト」を禁じており、労働者からの強い反発を受けていました。第一次世界大戦以降、改正運動が勢いを増したことにより適用の制限がなされ、1926年の第51議会で同条削除に至ることとなります。
集会に関する制約
さて、そんなわけで17条削除後の治安警察法において対象となる集会は、公開の政談集会と公開の屋外集会です。
これらの集会については、開会前に警察署に届け出なければなりません。
また、政事以外の屋内集会でも、治安のため必要があるとされるときは、命令により届出義務を定めることができるとされています。
公開の政談集会には、制服警察官を臨監させ、警察官が違法と判断すれば演説の中止や集会の解散を命じることができました。
どのような内容が「違法」になるかというと、刑法その他の法律の禁止する事項にわたること、予審中の事件、傍聴を禁じた訴訟に関する事項、犯罪の扇動、犯罪人の賞賛などが該当します。
なお、集会に参加する自由は誰にでもありますが、ただし未成年者については公開の政談集会への参加は認められていませんでした。
結社に関する制約
結社については、政事結社以外は原則として自由とされています。ただし、秘密結社は禁じられていました。
秘密結社とは、政府に対する秘密ではなく社会に対する秘密を意味しています。すなわち、結社の事実を社員のみの秘密として、社員以外に漏らさないことを規約上の義務としている場合です。
政事結社については、主幹者から警察に対して社名・社則・事務所・主務者氏名等を届け出る必要がありました。
なお、政事結社には現役軍人および召集中の予備役/後備役軍人・警察官・神官僧侶・教員・学生生徒・女子・未成年者・外国人の加入は禁じられています。
その他
多人数が共同の目的で道路等で共同の運動をなす「多衆運動」(例えばデモ)を行なうことは、すべて屋外集会に準じて取り扱われました。群衆に対して、警察官はこれを制限・禁止・解散を命じることができます。
最後に
過去の記事でも触れたのですが、、大日本帝国憲法下においては、国民というか「臣民」の権利は、「法律の範囲内」という制限つきでした。
一応、言論や思想の自由、居住や職業の自由など一通りの権利が認められている…という体になってたわけですが、実際には様々な法律によって制限がかけられており、治安警察法による制限もその一つだったわけです。
大日本帝国憲法では臣民の自由や権利をかなり好き勝手に制限できるのですが*2、後に制定される治安維持法なんかはその到達点といえるかもしれませんね。。
なお、治安警察法は、治安維持法などと同様にGHQの命令で廃止されます(1945年(昭和20年)11月21日)。
主な参考資料
本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。
事典 昭和戦前期の日本―制度と実態