Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【大日本帝国】植民地法制を(ちょっとだけ)知ろう【植民地の法律】

ここ最近、治安維持法についての記事を書いてきました。

oplern.hatenablog.com

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上記、二つめの記事で書いたのですが、治安維持法は植民地でも施行されています。

しかし、治安維持法を日本本土で制定しても、それが自動的に植民地でも適用されたというわけではありません。
以前の戦前日本統治領植民地についての記事でも書いたのですが、植民地は日本本土とは異なる「法域」となっており、各地域のために特別に制定された法規が適用されていました(外地)。

そんなわけで、本日の記事は、簡単ながら植民地における法制についての記事です。

植民地(外地)における法制

大日本帝国では、本国のために制定された法規が適用される地域を「内地」、憲法の効力が及ばずその地域のために特別に制定された法規が適用される地域のことを「外地」と呼んでいました。
「外地」はぶっちゃけ植民地で、朝鮮、台湾、樺太*1などを指しています。

「法律」の施行区域は、原則として内地に限られ外地には及びません。
植民地に拘束力を及ぼすものは、特に植民地に施行する目的をもって制定した法律(台湾拓殖株式会社法朝鮮銀行法など)と、勅令によって植民地に施行することを定めた法律に限られます。
ただし、属人的効力を有するもの(例を挙げると昭和2年法律第四七号兵役法)は植民地に在住する内地人にも効力を有するとされていました。

朝鮮・台湾の法制

朝鮮・台湾では、内地の法律に相当する命令を、天皇の勅裁を経て総督が定めました。

朝鮮においてはこれを「制令」といいます。
総督の発する制令は法律の効力を持つものとされ、これを中軸に法制度が形成されていきました。
総督は、内閣総理大臣昭和18年以降は内務大臣)を経て勅裁ののち自らの命令として制令を公布するのですが、緊急の場合には、命令を発したあとに勅裁を請うことが許されています*2

台湾については、「はじめてのしょくみんち」ということもあって、総督の立法権について議会でも紛糾したようです。
ともあれ、台湾総督は朝鮮の「制令」に相当する命令である「律令(りつれい)」を発することができました。
律令は、朝鮮の制令と同様、主務大臣(昭和4年まで内閣総理大臣、18年まで拓務大臣、以後は内務大臣)を経て勅裁ののち発するものとされています。
朝鮮では、内地の法律は特別のもののみ適用される形だったのですが、台湾では、内地法延長主義と称して、なるべく内地の法律を直接台湾に施行する方針がとられていました。
台湾総督は立法権を持っているものの、これは台湾特殊の事情ある場合に限るものとされています。
(当初、立法内容に制約はなかったのですが、明治39年に法律勅令に違背してはならないとされ、次いで大正10年に台湾に施行すべき法律がないもに関してのみ総督の立法権を認めるものとされました。)
実際に律令で定めるものは、内地の法律をそのまま適用するものと、台湾独自の規定を盛ったものとなります。
なお、朝鮮の制令と同じく、緊急命令権に基づく律令(事後勅裁)もありましたが、これは明治40年以降は出されていません。

以上の制令・律令とは別に、朝鮮・台湾の総督は、職権または特別の委任により広く総督府令を発することができました。
総督府令は、内地の勅令・閣令・省令に相当しますが、罰則限度は勅令並となっています*3
すなわち、総督府令に違反したものには、1年以下の懲役や200円以下の罰金を付することが可能でした。
(閣令・省令は3ヶ月以下の懲役・100円以下の罰金)

その他植民地の法制

樺太および関東州(租借地)の法制についても少し触れておきます。

樺太の場合

樺太には樺太庁が設置されたのですが、樺太庁長官には、法律に代わる命令を発する権限はありませんでした。
他の植民地に比べて、樺太では内地の法律が直接施行されるケースがはるかに多かったのですが、施行するためには勅令で定めることが必要でした。
なお、樺太昭和18年法律第八五号樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル権廃止により、法律上「内地」に編入されます。

関東州の場合

これまで述べた朝鮮・台湾・樺太は「日本領」だったわけですが、ここで取りあげる関東州は「租借地」となります。
(これらの違いについては、こちらの記事をどうぞ。)
政府は、租借地である関東州には憲法はまったく施行されないと解釈し、内地の法律は当然適用されず、勅令をもって内地の法律を依用するという形式をとっていました。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

事典 昭和戦前期の日本―制度と実態

 

 

*1:1943年に「内地」に編入されました。

*2:「朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル件」第3条。一般の制令は「内閣総理大臣ヲ経テ勅裁ヲ請フ」という手続きを踏んで発布されますが、「臨時緊急ヲ要スル場合」には朝鮮総督が「直ニ」これを発し、その勅裁を請うものとされていました(緊急制令)。

*3:勅令の詳細についてはこちらを参照ください。