Man On a Mission

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【海軍階級】特務士官とは【役割・差別・階級章】

以前に日本海軍の階級についての記事を書きました。

oplern.hatenablog.com

今回はその際に予告した「特務士官」についての説明です。

特務士官ってなに?

特務士官は海軍特有の制度で、下士官出身の士官です。

以前の海軍階級の記事で述べた通り、海軍は士官と下士官・兵を画然と切り離す傾向にあり、士官は、初めから士官候補者として募集し海軍兵学校など所要の教育を施して士官任用、というのが基本的な路線でした。
この路線により、兵出身者の出世の上限は低い階級に止められており、明治30年(1897年)に定められた制度では、少尉と同格である「兵曹長*1」まででした。

特務士官制度は、大正9年1920年)4月の改正により誕生したもので、これにより海軍兵学校等を出ていない兵出身者にも、大尉(特務大尉)までの道が開けることとなります。
(ちなみに、このとき「兵曹長」を特務少尉ならびに特務中尉に、准士官である「上等兵曹」を「兵曹長」に改称しました。)
戦時中には、さらに佐官に進級した人も多く出ました。

選抜により、優秀な准士官が特務士官へ進級できるわけですが、特務士官になるには、准士官を最低5年、普通は7〜8年ほど務める必要がありました。
准士官の実役定年(階級ごとの最低勤務年限)は5年とされており、実際に進級するには実役定年より2〜3年ほど長くかかります。)

特務士官への進級に特段の試験などはありませんでしたが、専修学生という課程を卒業していることが優先条件となっていました。
専修学生制度は、准士官と古参の上等下士官からとりわけ優れた人材を選りすぐって勉強させる制度で、下士官兵出身者の最高学府と言えます。
教育機関は1年8ヶ月(戦時中は1年2ヶ月)で、この専修学生課程に入ったものは特務士官になることを約束されたも同然でした。

特務士官は、海軍兵学校などの出身者と違い、兵から昇進する叩き上げですので、当然ながら任官時の年齢も高くなります。
そのため、現役定限年齢(現役として軍にとどまることが出来る年齢上限)は一般士官よりも高く設定されていました。
特務少尉が48歳、特務中尉が50歳、特務大尉が52歳で、一般士官よりも7〜10歳ほど高くなっています。
(一般士官の現役定限年齢については、こちらを参照ください。)

特務士官は昭和の初めには1000人程度でしたが、太平洋戦争中には6000人を超えることとなります。

特務士官の役割と差別

特務士官の役割

海軍において、准士官、特務士官は各術科のオーソリティーとして実務の元締めを務めます。
海軍には、掌砲長、掌航海長、掌通信長、信号長、電信長等々の実務レベルの最高責任ポストがありましたが、これらには准士官か特務士官が就きました。
特務士官は、長く海軍で職務を務めてきた経験者で、その専門分野においてはまさに「権威」というべき存在です。

差別的な位置づけ

しかしながら、特務士官には一般の士官より明らかに格の低い差別的位置づけがなされていました。

海軍では、士官のうち、艦船・部隊の戦闘指揮に直接関わる人員を「将校」、それ以外の士官を「将校相当官」と呼びますが、将校相当官には戦闘指揮権はありません。
(陸軍にも将校・将校相当官の別がありましたが、昭和11年以降、すべて将校と称すようになりました。)
「将校」は、兵科将校と機関科将校が当たるのですが、特務士官は兵科だろうが機関科だろうが「将校」ではなく、戦闘指揮権を持ちませんでした。

また、階級ごとの最低勤務年限である実役定限にも一般士官との差があり、一般士官の場合は少尉1年、中尉1年6ヶ月のところを、特務士官の場合は少尉2年、中尉3年となっています。
(ただし、戦時中は士官不足に陥ったため、進級が早くなりました。)

ちなみに、昭和17年に官階名称から「特務」が除かれて、「特務xx」から単に「大尉」「中尉」「少尉」といった名称に変わりますが、これは名称だけの変更で、特務士官であることに変わりありませんでした。

特務士官の階級章

一般士官と特務士官では、階級章にも違いがあります。
海軍の階級章では、襟章・肩章が基本的に同じ表示方式となっており、金のラインの太さと桜花章の数で階級を識別するのですが、特務士官の場合、金のライン幅が一般士官の半分となっていました。
また、袖章には、3つの桜花章がついています(一般士官には無し)。

特務士官の経歴例

最後に、特務士官の進級経歴例を挙げておきます。

明治37年に海軍に入り、昭和13年に機関少佐となった特務士官の例。
明治37年、16歳で海軍に入り、明治41年20歳のときに機関兵曹、大正5年29歳で上等機関兵曹(准士官)となっています。
大正9年には改正により「機関兵曹長」に改称、その後、大正12年に36歳で機関特務少尉に任官し、晴れて「特務士官」となりました。
その後、昭和3年41歳で機関特務中尉、昭和8年46歳で機関特務大尉と進級し、昭和13年には51歳で機関少佐に進級しています。

概ね、各階級に5年ほど要していますね。
ちなみに、戦時中だと、昭和16年に特務少尉、昭和17年に特務中尉、昭和19年に特務大尉なんて例があり、かなり昇進が早くなったようです。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

日本海軍がよくわかる事典

戦時用語の基礎知識

事典 昭和戦前期の日本―制度と実態

 

 

*1:後の階級制度では兵曹長准士官ですが、当時は准士官が「上等兵曹」、その上が「兵曹長」で少尉同格となっています。