Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争と都市伝説】大高先生をおそったほんものの亡霊【オカルト】

前回の予告通り、今回記事は戦争に関連する都市伝説(オカルト含む)である、『大高先生をおそったほんものの亡霊』について。

前回、以下の本を紹介させていただきました。

上記書籍に掲載されていた話のうち、戦争に関連する怪異として気になったので、少し取り上げてみることにしました。

以下、同書より引用。

昭和27年8月20日午前3時半頃、青森県下北半島陸奥市(現むつ市)のある病院にて大高という名前の医師の前に現れたという怪異。
友人が勤務するその海辺の業院に一泊させてもらっていた大高氏は、夜中「寒いんです……とても、寒いんです……」という声を聞いてその声の主を部屋へ招いたところ、氷のように冷たいものがベッドの中に入り込んできたため、一喝すると目の前に首に穴を穿たれ目が釣り上がり、口が裂けているような姿をした兵隊の亡霊の姿が現れたという。
村松定孝著『わたしは幽霊を見た』に載る。「昭和27年、大高博士をおそったほんものの亡霊」というタイトルとともに掲載された、幽霊が去ってからすぐに描いたというイラストが有名。またこれの正体については日本テレビの番組「東芝ファミリーホールとくダネ登場!?」にて兵庫県明石市内に済む女性がこの亡霊は自分の夫であると証言しており、その女性によれば太平洋戦争中に第六青函丸に警備兵として乗り込んでいたところ、米空軍に襲撃に遭い、喉元を撃ちぬかれて死亡した、という情報もあるが、現在番組の映像が残っていないため確認できない状態にある。ちなみに第六青函丸は実際に1945年7月14日にアメリカ軍機の襲撃を受け、乗組員76名中35名が亡くなっている。

この『大高先生をおそったほんものの亡霊』は、もともと「わたしは幽霊を見た」という書籍に掲載されていたものらしいです。

なんか、プレミアがついてえらいことになってるみたいですね。1979年の発売だそうです。
「幽霊が去ってからすぐに描いたというイラストが有名」とありますが、こんな感じの、なかなかインパクトの強い一品だったようで、昭和50年代くらいに少年時代をすごした方には、結構知られたものだったようです。
インパクトは強いものの、怖いかと言われるとピンとこない感じではあるのですが、森羅万象なんでも怖がることができる時分の子供らが、おっかなびっくりページをめくって突如このイラストに遭遇したら、震え上がったのかもしれないですね。

さておき、私が上記の話で気になるのは、どちらかというと後半部分。
なんでもこの話がテレビに取り上げられたのをきっかけに、この亡霊が自分の夫であるという女性が現れたということで、いわく第六青函丸に警備兵として乗り込んでいたところを米空軍*1の襲撃にあい死亡されたとか。

日本現代怪異事典からの引用にもある通り、第六青函丸は1945年7月14日に米軍機の襲撃を受け、戦死者35名を出しています。
(残る41名は救助されました。)

第六青函丸は青森・函館間を運航する青函連絡船で、8隻造られたW型標準船の2番めです(ちなみに第一船は第五青函丸)。
W型標準船は新しい船ほど機関やボイラーなどの部品の質が悪くなったそうですが、第二船の第六青函丸から早くも定時運行確保が困難になってたとか。

14日の米軍機襲撃の際には搭載した機銃で応戦したようですが、米軍機の投下した爆弾により左舷側煙突が倒壊。沈没を避けるため浅瀬に向かい岩礁座礁しますが、戦闘はその後も続き、ロケット弾・爆弾などにより炎上しました。
しかし、終戦直後に輸送力の不足を補うために修理することが決定され、客載車両渡船として利用されたようです。

そんなわけで、第六青函丸が米軍機襲撃を受け犠牲者を出したことは事実なわけですが、とはいえ、「大高先生をおそったほんものの亡霊」が、その女性の夫であったかどうかは誰にもわかりません。まあ、こういった話では人それぞれの「真実」があったりしますので、むやみに追跡するのは野暮かもしれませんけども。

 

 

*1:無粋なことを言って申し訳ないのですが、太平洋戦争時の米軍にはまだ空軍がないため(陸軍航空隊を基礎として1947年に空軍独立)、この表現は正確じゃないと思います。ただ、実際にテレビで空軍と言ってたのかどうかはわかりません。米海軍第38機動部隊による攻撃だったようです。割とどうでもいいとこですが…。