Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【大日本帝国】元帥とは【元帥府】

最近、前々から書こうと思いつつも、めんどくさくて先延ばしにしていた日本海軍階級について、ようやく完了させました(一応)。

oplern.hatenablog.com

だいぶ遡りますが、過去には日本陸軍の階級についても記事にしています。

oplern.hatenablog.com

で、これらの記事でも触れているのですが、日本軍には「元帥」がいます。ただし、この「元帥」はアメリカやソ連/ロシアのそれと違い、階級ではありません。
以下、前に書いた海軍階級の記事より抜粋。

「元帥」は階級ではなく称号で、特旨(とくし)によって元帥府に列せられた海軍大将が「元帥」となります。よって、正確には「元帥海軍大将」です。
一応、特典?として元帥になると現役定限年齢が終身となります。
陸軍の階級の記事でも書きましたが、元帥は、先輩将官として軍内部に睨みを利かし、天皇の補佐や陸海軍間の調整を行なうことが期待されました。しかし、実際には陸海軍それぞれの利益を主張する代弁者となることが多かったようです。 

 アメリカやソ連/ロシアの元帥は、大将より上位に位置する「階級」なわけですが、大日本帝国の元帥は陸海軍大将に与えられる称号であり、「元帥府」とやらに列せられた大将が、「元帥陸軍大将」だの「元帥海軍大将」となったわけですね。
本日記事は、この日本の元帥制度についてもう少し詳しい話を。

元帥府と元帥

さて、改めまして、大日本帝国の「元帥」制度について述べていきます。
元帥は、「元帥府」に列せられた陸海軍の大将に与えられる称号と述べましたが、では、元帥府とはなんでしょうか。

元帥府

1893年明治26年)5月22日、日清戦争を控えて戦時大本営条例が制定公布されましたが、この制定をめぐり、陸軍が参謀総長を幕僚長として陸海軍の統一的運用を行なうことを主張したため、海軍と激しく対立することとなりました。一応、「大本営ニアッテハ帷幄ノ機務ニ参与シ帝国陸海軍ノ大作戦ヲ計画スルハ参謀総長ノ任トス」(第二条)と陸軍の主張が通った形となりますが、海軍は海軍軍令部条例を制定(5月20日公布)して海軍の作戦については海軍軍令部長の専管事項とすることを定め、実質上は海軍の作戦について独立性が保たれることとなります。
(戦後は、この改正をめぐってふたたび陸海軍が対立。双方の主張は折り合わず、結局は1903年明治36年)12月18日、陸海軍の幕僚長を並立することになりました。)
このような背景のもと、陸海軍の意見を調整する機関が必要となり1898年(明治31年)1月20日、明治三一年勅令第五号元帥府条例により、元帥府が設置されます。
元帥府条例では、元帥府を設けて、陸海軍大将の中から「老功卓抜」な者を元帥として置き、天皇に対する軍事上の最高顧問であると定めました。
同日、小松宮彰仁親王山県有朋大山巌陸軍大将、西郷従道海軍大将が元帥府に列せられます。

なお、元帥府は役所ではなく、建物やら出勤する場所やらもありません。あくまでも官制上の存在だったわけです。
(陸軍の区分では「官衙」ではなく「特務機関*1」に該当します。)

明治大正時代は、かなりの程度の国家政策や軍事政策に元帥が関与し、調整の任も果たしていたのですが、昭和に入ってからの元帥府・元帥の作用は極めて形式的なものとなります。
陸軍では、山県有朋が存命中は天皇から作戦について下問があったりしましたが、山県死後は数名の元帥がいたにもかかわらず下問しない習慣となりました。
海軍では、上奏の前には元帥に了承を得る習慣がありましたが、東郷元帥1人になってからはそれもなくなります。
ちなみに、1902年(明治35年)に西郷従道が亡くなると、陸海軍の意見調整機能も無くなってしまったようです。

元帥

さて、元帥は「称号」であり階級ではないわけですが、一応、ただの称号にすぎないというわけではありません。
まず、元帥になると予備役編入や退役がなくなり、終身現役の大将となります。死ぬまで陸海軍大将の給料がもらえるようになるわけです。
また、元帥徽章を佩用し、元帥刀を賜り、副官として佐官・尉官各1名が付随しました(ただし兼職)。

元帥には陸海軍の区別はありませんが、大将としては陸海軍の別ははっきりしており、陸海軍を超越して発言・行動したりすることはありえませんでした。元帥には、先輩将官として軍内部に睨みを利かし、天皇の補佐や陸海軍間の調整を行なうことが期待されましたが、実際には陸海軍それぞれの利益を主張する代弁者となることが多かったようです。
なお、元帥は軍事参議院(陸海軍両者の調整を目的とする特務機関)に加わることとなっており、しかも軍事参議院の議長は最長老が務めるため、元帥がその任にあたることとなりました。

元帥府に列せられた陸軍大将は17名、海軍大将は13名となっています。ちなみに、元帥陸軍大将のうち5名、元帥海軍大将のうち3名は皇族でした。
海軍では、死後に元帥の称号を送る例が多く、例えば山本五十六、古賀峯一が該当します。死後あるいは死の直前に元帥となったものは海軍6名、陸軍1名でした。

ちなみに、西郷隆盛が「陸軍元帥」に任ぜられてるのですが、これは、今回取り上げてる元帥制度とは別もので、1872年(明治5年)の官制改正で大将が二等官、元帥が一等官と定められた際に元帥となったものです。翌1873年に大将が一等官と改められ、これに伴い陸軍大将第一号となっています。

元帥制度は、太平洋戦争敗戦後、1945年11月30日公布の「元帥府条例等廃止ノ件」により廃止されますが、このとき元帥であった存命者は、陸軍では梨本宮守正王(なしもとのみや もりまさおう)、寺内寿一、畑俊六、海軍では伏見宮博恭王(ふしみのみや ひろやすおう)、永野修身の計5名でした。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

戦時用語の基礎知識

事典 昭和戦前期の日本―制度と実態

よみがえる戦前日本の全景

 

 

*1:軍において軍隊・官衙・学校の三区分いずれにも属さない制度のこと