Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【大日本帝国】軍事参議院とは【陸海軍の調整機関】

前回記事は、大日本帝国における元帥について書きました。

oplern.hatenablog.com

そのついでに、前回も少し触れた「軍事参議院」についても取り上げておきます。

 軍事参議院ってなに?

1903年明治36年)、陸海軍対等が実現(陸海軍の幕僚長が並立)された際、両者の調整を目的として、同年12月28日に軍事参議院が置かれることとなります。
(それまでも軍事参議官制度はあったものの、専任者はいませんでした。)

軍事参議院条例(勅令第二九四号)によると、「帷幄ノ下ニ在リテ重要軍務ノ諮詢ニ応スル所トス」とされ、元帥・陸海軍大臣参謀総長・海軍軍令部長・専任軍事参議官がメンバーです。
陸海軍全体の会議はまれで、通常は陸・海別々に開かれました。ちなみに、昭和来の陸海軍全体の会議は1回だけです。
陸軍・海軍間の調整が目的とかいいつつ、上記のとおりの体たらくとなってますが、案の定、実質的には陸海軍の調整機能を発揮することはなく、有名無実の存在でした。

専任軍事参議官とは

軍事参議院メンバーの専任軍事参議官ですが、こちらは親補職*1であり定員はなく、制度発足のときも日露戦争に備えて、軍司令官や艦隊司令長官の要員を確保温存するためのものだったとか。後には、親補たる師団長や軍司令官の経験者を、親補職でない陸士校長や参謀次長に異動させるときに格下げ感を出さないために軍事参議官兼職とする、なんて使い方をされたりしたようです。

陸軍には、俗に非公式軍事参議官会議なるものがあり、陸相官邸で陸相が世話役になり、正式会議の下打ち合わせのほか、陸軍に関する重要事項、その他国際情勢の説明や、単なる懇親会などを行いました。専任者は暇だったので、これの開催を希望し、多い時には週1回ほど行なわれたそうです。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

事典 昭和戦前期の日本―制度と実態

 

 

*1:宮中で親補式をもって補せられ、親任官の待遇を受けました。親補職は、他に参謀総長や師団長、軍令部総長なんかが該当します。