本日は小ネタ。
先日、大日本帝国における「元帥」について書きました。
日本軍の元帥は、アメリカやソ連/ロシアなどと違って、階級ではなく称号です。特旨(とくし)によって元帥府に列せられた陸海軍の大将が「元帥」となります。よって、正確には「元帥陸軍大将」または「元帥海軍大将」となります。
詳細については上記記事を見ていただくとして、今回はその補足記事、日本陸軍の元帥についての一覧表です。
氏名、親補年月日、死亡年月日を載せてますが、昔の人は氏名の読みが難しいので、ふりがなも設けておきました。
(ただし、氏名については別の読み方がある元帥もいますので、ご注意を。)
大日本帝国 元帥陸軍大将 一覧
以下、日本陸軍の歴代「元帥陸軍大将」です。
氏名 | ふりがな | 親補年月日 | 死亡年月日 |
小松宮彰仁親王 | こまつのみやあきひとしんのう | 明治31.1.20 | 明治36.2.18 |
山県 有朋 | やまがた ありとも | 明治31.1.20 | 大正11.2.1 |
大山 巌 | おおやま いわお | 明治31.1.20 | 大正5.12.10 |
野津 道貫 | のづ みちつら | 明治39.1.31 | 明治40.9.18 |
奥 保鞏 | おく やすかた | 明治44.10.24 | 昭和5.7.17 |
長谷川 好道 | はせがわ よしみち | 大正3.1.6 | 大正13.1.28 |
伏見宮貞愛親王 | ふしみのみやさだなるしんのう | 大正3.1.9 | 大正12.2.4 |
川村 景明 | かわむら かげあき | 大正3.1.9 | 大正15.4.28 |
寺内 正毅 | てらうち まさたけ | 大正5.6.24 | 大正7.11.3 |
閑院宮載仁親王 | かんいんのみやことひとしんのう | 大正8.12.12 | 昭和20.5.20 |
上原 勇作 | うえはら ゆうさく | 大正10.4.27 | 昭和8.11.8 |
久邇宮邦彦王 | くにのみやくによしおう | 昭和4.1.27 | 同日没 |
梨本宮守正王 | なしもとのみやもりまさおう | 昭和7.8.8 | 昭和26.1.1 |
武藤 信義 | むとう のぶよし | 昭和8.5.3 | 昭和8.7.28 |
寺内 寿一 | てらうち ひさいち | 昭和18.6.21 | 昭和21.6.12 |
杉山 元 | すぎやま はじめ | 昭和18.6.21 | 昭和20.9.12 |
畑 俊六 | はた しゅんろく | 昭和19.6.2 | 昭和37.5.10 |
総勢、17名。
なお、西郷隆盛が「陸軍元帥」だったりしたのですが、こちらは一覧に入ってません。というのも、前回書いた通り、この「陸軍元帥」は今回取り上げてる元帥制度とは別ものだからです。
1872年(明治5年)の官制改正で大将が二等官、元帥が一等官と定められた際に元帥となったものなのですが、翌1873年には大将が一等官と改められ、これに伴い西郷隆盛は陸軍大将第一号となっています。
親子で元帥
日本軍には、親子そろって元帥になってる連中がいます。
昭和18.6.21に元帥となった寺内寿一は、大正5.6.24に元帥となった寺内正毅の長男です。
寺内正毅は、陸軍大臣、韓国統監、初代朝鮮総督を歴任、元帥となった後、さらに首相になりました。
寺内は韓国統監時代、韓国併合を強行、さらに憲兵に警察を兼務させる憲兵警察を敷き、武断政治を行います。
息子の寺内寿一は、朝鮮軍参謀長、台湾軍司令官などを経て、陸軍大臣になりました。とはいえ、実権は武藤章(むとう あきら)軍務課長など若手将校が握り、ロボット大臣と呼ばれたとか。
太平洋戦争では、南方軍総司令官をつとめ、在任中に元帥となりました。
なお、敗戦後もそのまま帰ることなく、昭和21年(1946年)マレー半島ジョホール州レンガムにて急逝しています。
他には、元帥陸軍大将たる伏見宮貞愛親王と、その子、元帥海軍大将である伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう)なんかも親子で元帥だったのですが、こちらは皇族ですので、その点を考えると特筆するほどのものでも無いかもしれません。
主な参考資料
本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。
戦時用語の基礎知識
日本陸軍がよくわかる事典