Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【警察系特殊部隊】ロシアの特殊部隊 アルファ【スペツナズ】

今日は、脈絡なく唐突にロシアの特殊部隊「アルファ」のお話を。

当ブログでは、過去に特殊部隊について、いくつか記事を書いてきました。

【警察系】日本の対テロ特殊部隊SAT(特殊急襲部隊)【特殊部隊】 - Man On a Mission

【警察系】ドイツの特殊部隊 GSG-9【特殊部隊】 - Man On a Mission

【フランス】国家憲兵隊治安介入部隊 GIGN(ジェイジェン)【特殊部隊】 - Man On a Mission

いずれも主に治安維持を目的とした特殊部隊であり、「警察系」特殊部隊なんて分類されることがあります。ちなみに、そういった分類の場合、軍事作戦に従事する特殊部隊は「軍事系」特殊部隊と呼ばれます。

本日取りあげる「アルファ」も、過去に取り上げた特殊部隊同様に、治安維持、特に対テロを主任務とする「警察系」特殊部隊です。
その歴史は割と古く、ソ連時代までさかのぼれます。
ソ連時代に「国家保安委員会」すなわち「KGB」所属の特殊部隊として設立されたのですが、ソ連崩壊後も部隊解散を免れ、現在はKGBの後継機関の一つである「ロシア連邦保安庁FSB)」の「憲法体制擁護およびテロ対策局(SZKS-BT)」特殊任務センター所属となっています。組織が多くてややこしいですね。この後もちょっとややこしいです。

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神聖モテモテ王国より。

スペツナズ

さて、アメリカの特殊部隊と違って、ロシアの特殊部隊はあまり知られていません。
アメリカの特殊部隊の場合、グリーンベレーやらデルタフォース、警察系だとSWATといった部隊は、映画などフィクションへの登場も多く、軍事関係にさほど興味の無い方でも、名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
2011年のビン・ラディン殺害作戦により海軍の「DEVGRU(デヴグル)」なんかも結構知られるようになりました。

これに対して、ロシアの特殊部隊については、名前だけでも挙げられる人は少なく、また、こういう方面に興味がある人でも大抵「スペツナズ」という言葉が出てくる程度に留まります。
ところが、この「スペツナズ」も実は「特殊任務部隊=ポドラズジェレーニヤ・スペツィアーリナヴァ・ナズナチェニーヤ」の略称であり、特定の部隊を指す言葉では無かったりします。

ロシアには、多数のスペツナズ=特殊部隊が存在します。
その多くは参謀本部情報総局(GRU)に所属していますが、海軍や空挺軍、対外情報庁やロシア連邦内務省(MVD)などにもスペツナズが置かれています。
今回取りあげる「アルファ」は、冒頭で述べた通りロシア連邦保安庁FSB)に所属するスペツナズです。

アルファの来歴

冷戦時代の1974年7月29、旧ソ連KGB議長ユーリ・アンドロポフと、KGB第7局長アレクセイ・ベスチャスヌイ将軍は、対テロ特殊部隊として「アルファ」を創設させました。

アルファ創設の背景には、1972年のミュンヘン・オリンピック事件があります。
ミュンヘン・オリンピック事件は、パレスチナ武装組織「黒い九月(ブラック・セプテンバー)」のメンバー8名が、ミュンヘンオリンピック開催中に選手村を襲撃、イスラエル選手団を人質とした事件です。
対テロ訓練など受けたこともない警察がこの事件の対応にあたったわけですが、その結果、イスラエル選手団11名(人質全員)の犠牲者を出すこととなりました。
こういった対テロ戦に備えて、専門の訓練を積んだ部隊としてアルファが創設されたわけですが、来るべきモスクワ・オリンピックでも同様の事件が発生することを危惧していたようです。

さておき、創設されたアルファは、過激派・テロリストからの重要施設やインフラ防護、自国民の保護・救出などを任務としており、これらの活動はソ連領内のみでなく国外でも行なわれます。
とか言いつつも、1979年12月にはアフガニスタン・アミン大統領排除作戦に参加してたりもしますが、まあ、その後のアフガニスタン紛争では都市部における諜報や密輸組織摘発、ソ連大使館員の警護などに留まり軍事作戦には関わっていませんので、例外的な活動と考えて良さそうです。たぶん。

なお、1980〜1990年代のソ連では、各地でテロや暴動が頻発しました。アルファはこれらへの対応に追われるはめになりますが、そういった状況において数々の人質立てこもり事件に対処しています。

ソ連からロシアへ

さて、1991年8月の「8月クーデター」をきっかけにソ連が崩壊しましたが、アルファはこの激変下でも部隊を存続しています。
(クーデターで一時実権を握った守旧派が、エリツィン大統領逮捕命令を出したものの、アルファはこれを拒否しました。これによりエリツィンの信任を得たのだといわれてます。)

政情の激変の中、アルファの管掌機関は何度か変わっていますが、1993年に新設されたFSBの隷下へと移動しました。
1998年10月8日には、アルファと同じFSB隷下の対テロ特殊部隊「ヴィンペル」と統合・再編成され、特殊作戦部局「特殊任務センター」が設立されます。
アルファは、この特殊任務センター「A局」として、交通機関乗っ取りや爆破事件、暗殺などに対応するロシアきっての対テロ特殊部隊としての地位を確立しました。ちなみに、ロシアンマフィアらの組織犯罪にも出動しています。
ちなみに、特殊任務センターA局となった後も、部隊呼称は「アルファ」のままです。

ノルト・オスト事件とベスラン学校占拠事件

アルファは、あまり知名度が高いとは言えないロシアの特殊部隊にしては、比較的よく知られている部隊です。
知名度が高まったきっかけは、2002年のノルト・オスト事件でしょう(アルファにとっては不本意かもしれませんが)。

ノルト・オスト事件は、2002年10月23日、モスクワ市内の劇場で起きた人質立てこもり事件です。チェチェン独立派の武装勢力により劇場が占拠され、900名以上にも上る人質が取られました。
アルファは、ヴィンペルと共にこの事件の対処に当たり、劇場内へ麻酔ガス(鎮痛剤フェンタニル)を散布後、強行突入を行いました。
ガス散布は突入30分前に行なわれ、ホール内部の武装勢力のメンバーにはガスが効いたものの、廊下にいたメンバーには効かず銃撃戦となっています。
武装勢力41人を射殺、突入後約15分という短時間で制圧に成功しましたが、ガスが強力すぎたために人質129名を窒息死に追いやる大失態も起こしています。

さらに2004年9月には、ロシア南部の北オセチア共和国チェチェン独立派を中心とする武装勢力がベスラン第一中等学校を占拠した事件が起きていますが、武装勢力31人全員を射殺したものの、380名以上の人質が死亡する大惨事となりました。
なお、この事件の際には、テロリストの銃弾から子供を救うために3名が戦死したそうです。

アルファの装備

最後のおまけで、アルファが使っていた装備について少しというか、名前だけ触れておきます。
まず、銃器類。イジェメックMP-443自動拳銃、AS消音アサルトライフルドラグノフ狙撃銃、みんな大好きVSS消音狙撃銃など。
防護装備として、STSh-81"SPHERA"ヘルメットやMASKA-1Shヘルメット、KAZAK6タクティカル・ボディ・アーマーやKORUND-BM/BM-K野戦用ボディ・アーマーなど。