Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【大日本帝国】共同炊事と隣組【戦時中】

年が変わり2019年になりました。なったのですが、当ブログにおける年中行事は、12月8日とか、6月23日とか、8月6日とか、8月9日とか、8月15日あたりになりますので、正月ごときは何事もなかったようにスルーして、いつもどおりのローテンションな内容でお送りいたします。
本日の記事は、戦時中、盛んに行なわれた共同炊事について。

隣組

しばらく前になりますが、当ブログでは、戦時中の国民総動員体制末端組織といえる隣組について取り上げたことがあります。

oplern.hatenablog.com

隣組は、簡単にいうと国の都合に国民を従わせる(思想統制・経済統制)ための制度/組織です。
大体、10戸内外を単位として結成され、定期的に会合が開かれる(定例常会)ほか、地域の消防、灯火管制、警報伝達、防護といった「家庭防空」、出征兵士の見送りや遺族・留守家族への救援活動、食糧増産、貯蓄推進、国債の割当といった銃後後援や経済面での活動が行なわれました。
よく知られている通り、私生活の相互監視も行なわれ、常会などで漏らした不満を密告したり密告されたりしています。

こんな組織には参加したくないと思っても、生活に関するあらゆる情報は隣組に回される回覧板で通知されましたし、配給品の切符支給も隣組を通じて行なわれたため、関係を疎にして逃げるなんてことも出来ませんでした。非協力的な態度を取っていると、配給が回ってこないことも考えられるのです。
戦時中の大日本帝国は、私のようなぼっち個人主義者が生きるにはとても辛い社会だったわけですが、いや、ホント、この時代に生まれなくてよかったなあ、と思ったり。とはいえ、現在、日本は絶賛全体主義回帰中なので、今後は生き難くなってくのかもしれませんけどね。クソが。

共同炊事

さて、共同炊事は、こうした隣組制度を背景に盛んになった炊事法です。

太平洋戦争の戦況悪化のなか、食料の配給状況も次第に悪化していきます。質の悪化はもちろんですが、量も不足した食料品をできるだけ有効に活かすため、炊事を当番制にして何世帯分もの食事を一度に作るという工夫がなされるようになりました。

共同炊事のメリットとしては、配給材料の無駄を少なくできること、炊事の手間が減ること、一度に煮炊きすることで燃料が節約できることが挙げられます。
政府も共同炊事を推奨しており、また根こそぎ動員により特に人手不足となった農村では、都会の女学生らが「農村報国」の名で炊事班として応援に来るなんてこともありました。

共同炊事は週に3〜4回、3〜4世帯で15人前〜20人前を作ることが多かったようです。大人数の料理を作るので、カレーや豚汁など各食材をいっぺんに煮込む料理が中心となりました。
ただし食料品配給の悪化に伴い、段々と切ないメニューに変化していったようです。
1943年の東京田園調布でのメニュー例を挙げると、貰い物ののしいか、配給品のじゃがいも、自家菜園のかぼちゃ・たまねぎを使った「のしいかと野菜の塩煮」に、配給のきゅうりを使った「きゅうりあんかけ」といった具合でした。
配給食材の他に自家菜園で取れた野菜、貰い物や余っていた食材なども活用していたようです。ちなみに、近海で取れるイカは、戦時中、最も多く配給された魚介類でした。戦後の食糧難ではイカ釣り船が激増し、漁獲高が戦中の5倍以上に跳ね上がったなんて話も。
1944年あたりになると配給の食料はあてにならなくなり、都会の駅では、農村へ食料の買い出しに行く人々があふれかえるようになります。1944年の米のヤミ価格は公定価格の10倍に達し、さらに同年暮れには50倍にもなったとか。
戦中戦後の料理として有名な「すいとん」も隆盛することになりました。
この頃のすいとんは、入手出来た豆やら雑穀類を粉にして、水でこね団子状にしたものを汁で煮たものです。すいとんの団子は小麦粉で作るものだと思ってる方が多いでしょうが、戦時中はそんなことにこだわる余裕はないので、とにかく乾燥大豆やら乾燥とうもろこしやらをなんでも粉にして使用しました。

隣組の替え歌

共同炊事は、メリットはあるものの、複数の人間が集まって密に関わることになりますので、いろいろ面倒なことも発生したと思われます。
以前の記事で取り上げた「隣組」の歌も、共同炊事に限定したものではないでしょうがすぐにネガティブな替え歌ができていました。この替え歌の歌詞も掲載しておきましょう。

まずは、本来の歌詞。

とんとんとんからりと隣組
格子をあければ顔なじみ
まわしてちょうだい回覧板
知らせられたり知らせたり

で、こちらが替え歌。

どんどんどんがらりと怒鳴り組
あれこれめんどう味噌・醤油
まわしてちょうだい買いだめ品
ああ情けない腹減った

ちなみに、現代の感覚では「腹減った」という言葉はとても軽いもので、ゲーム風にいうと一時的なステータス変化といった風情ですが、当時の「腹減った」は割と持続的な辛いものでした。
小学6年生男子の、昭和12年(1937年)と昭和21年(1946年)の平均身長、平均体重を比べると、昭和21年の方が身長が低く(-4.8cm)体重も軽く(-2.3kg)なってたりします。
これは、国民の間で栄養失調が蔓延していた結果なわけですが、戦争ってイヤですね。

…とか言いつつ、近年の日本でも貧困の広がりにより、満足に食事が取れない世帯が増えています。
この国はどうなってくんでしょうね…。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

戦下のレシピ――太平洋戦争下の食を知る