Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【世界のマイナー戦争犯罪】ル・パラディ近郊での英軍捕虜銃殺【ナチスドイツ】

以前、こんな記事を書きました。

oplern.hatenablog.com

戦争にはつきものである戦争犯罪から、とりあえず南京事件とかのメジャーどころは脇に置いといて、あまり知られていないものを取り上げてみようという趣旨の記事です。
本日記事はその第二弾。前回取り上げたのは日本軍による戦争犯罪だったわけですが、今回はナチスドイツの戦争犯罪です。
ナチスドイツといえばユダヤ人虐殺が真っ先に頭に浮かぶと思いますが、本事件は、捕虜となったイギリス軍兵士の殺害事件となります。

フランス ル・パラディ近郊における英軍捕虜の銃殺

本事件は、第二次世界大戦における対フランス戦初期の1940年5月27日、ナチス親衛隊の第3SS装甲師団(通称「髑髏師団」)の兵士が、英国兵捕虜に対して犯した戦争犯罪です。

5月25日の午後、イギリス軍ロイヤル・ノーフォーク連隊第2大隊が防衛するベチュヌの北方ル・パセ運河の陣地に対して、ドイツ軍が攻撃を開始しました。
第3SS装甲師団第2歩兵連隊は甚大な損害を受けつつも、5月27日には、英第2大隊の生き残り100人弱を小村ル・パラディ(Le Paradis)の数件の農家に追い込みます。
英第2大隊長のライダー少佐は、抵抗をやめ部下兵士とともに降伏、捕虜となりました。

さて、捕虜となった英国兵らは、ドイツ兵による身体検査を受けますが、その後、ルイ・クレトンの所有していた農場の納屋に連行、独第4中隊の中隊長フリッツ・クネッヒライン大尉の命令により機関銃で射殺されます。
なお、機関銃射撃で死ななかった者に対しては、拳銃による銃殺や銃剣による刺殺が行なわれました。

ただし、英国兵の全員が殺害されたわけではなく、アルバート・プーリーとウィリアム・オカラハンの2名は重傷を負ったものの生き残っています。
彼らは、殺害現場となった農場の主、クレトン一家によって保護されますが、後にドイツ国防軍兵士によって捕らえられ、捕虜収容所に送られました。
しかし、両名とも生き延びて英国に帰還、A・P・スコットランド中佐の戦争犯罪調査部隊の重要証人となり、これにより1946年冬、クネッヒラインが逮捕されます。

1948年10月11日〜25日までハンブルクで軍事裁判が開かれ、クネッヒラインに死刑判決が下されました。
1949年1月28日、ハメルン刑務所にて刑が執行されています。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

世界戦争犯罪事典