Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【世界のマイナー戦争犯罪】グアテマラ内戦の戦争犯罪【中米グアテマラ】

昨日の記事に引き続き、あまり知られていない「マイナーな」戦争犯罪について取りあげるシリーズ記事第3弾です。

なお、当シリーズの今までの記事は以下の通り。

oplern.hatenablog.com

oplern.hatenablog.com

今回取りあげるのは、中米グアテマラの内戦における戦争犯罪について。
実のところ、これを「マイナー戦争犯罪」シリーズで扱うのかは少し迷ったのですが、日本では思ったより知られていないようだったので、色々飲み込んで取り上げてみることにしました。

グアテマラ内戦の戦争犯罪

1960年代から90年代にかけて、中米諸国中のグアテマラエルサルバドルニカラグアの三カ国では苛烈な内戦状態にあり、これにより多大な人的・物的被害がもたらされました。

内戦までの経緯

今回とりあげるグアテマラに内戦の種がもたらされたのは、1954年のことです。
1945年から1954年までのグアテマラでは、改良主義的なアレバロ政権、次いで51年に同政権を継いだアルベンス政権により、自由進歩的な政策が行なわれていました。
グアテマラはかつてアメリカの旧ユナイテッド・フルーツ社(現ユナイテッド・ブランズ社)の影響力の強さから「バナナ共和国」と呼ばれていましたが、1954年、アルベンス政権が着手した土地改革により、同社は所有の土地を接収されることとなります。
これを契機に、アメリカはアルベンス政権と対立するようになり、1954年6月、米国の支援を受けたカスティージョ・アルマス大佐率いる武装勢力ホンジュラス国境から侵攻、アルベンス政権は崩壊しました。同年9月には、カスティージョ大佐が大統領に就任、以来、軍事政権が続くこととなります。
1960年からは反政府ゲリラの活動が活発になり、グアテマラは1996年までつづく内戦に突入しました。

内戦における戦争犯罪

グアテマラ内戦では、農民の土地回復闘争なども行なわれていますが、政府軍は、これら農民をゲリラ勢力またはその支持者とみなして虐殺しており、また、拷問、遺体への辱め、性暴力を用いた見せしめなども多く行なわれました。
国連の推計によれば、この内戦により626の村落が破壊され、死者、行方不明者は20万人以上、難民150万人といわれています。また、死者の90%は非戦闘員であり、かつ、83%は先住民のマヤ民族でした。

内戦のピークは1982年で、この年、軍事政権を樹立したホセ・エフライン・リオス・モント将軍は、焦土戦術を含む徹底的な討伐作戦を実施しています。
作戦は軍事的には成功を収め、反政府ゲリラ幹部は隣国へ逃散しましたが、政府軍兵士による無差別大量虐殺、集団レイプ、強制徴兵、拉致、拷問などが行なわれました。
さらには、ゲリラ側も報復的に同種の非行を行っており、1982年だけで7万5000人の死者が生じたとされています。

ゲリラは、その後も密林山岳地帯に解放区を作って抵抗を続け、カトリック教会の聖職者も巻き込まれるケースがありました。

1996年12月、冷戦終焉による米・ソの政府・ゲリラ両勢力への支援途絶と国際社会からの圧力により、グアテマラ政府・ゲリラ間での最終和平合意が成立することとなります。

ちなみに、前述のホセ・エフライン・リオス・モント将軍*1は、2013年5月10日、グアテマラの裁判所により、ジェノサイドおよび人道に対する罪で禁錮80年の有罪判決が下されました。

www.afpbb.com

これは、国家元首が、ジェノサイドの罪で自国の司法制度により裁かれた初の事例となります。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

世界戦争犯罪事典

 

 

*1:2018年4月1日、心臓発作により91歳で死亡したようです。