Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【太平洋戦争】海と爆薬【圧抵傷と水中爆傷】

前々回、爆発による人体の損傷について取り上げました。

oplern.hatenablog.com

上記記事では、太平洋戦争にて、敵の攻撃を受け船外へ脱出して海中を泳いでいる時に、爆発の衝撃を受けて腸管破裂(水中爆傷)を起こした事例があることを書いています。
今回は、この水中爆傷についてもう少し詳しく取り上げます。ついでに、船舶への攻撃による海没死と、海没時の圧抵傷についても少々。

なお、今回の記事タイトルは「海と毒薬」のパクりオマージュなのですが、内容は特に関係ありません。
(ちなみに、海と毒薬九州大学生体解剖事件をモチーフとした小説です。)

輸送船撃沈による海没死

太平洋戦争では、連合軍の航空機や潜水艦の攻撃により、多数の艦船が撃沈されています。
艦船の沈没に伴う死のことを海没死といいますが、多数艦船が沈没したことから、海没死者数も相当数に上ります。具体的には、海軍軍人・軍属が18万2000人、陸軍軍人・軍属が17万6000人で、実に陸海軍併せて35万8000人が海没死しているわけです。
ちなみに、日露戦争時の日本陸海軍の戦没者数は8万8133人ですので、太平洋戦争では海没死だけでこれを大幅に上回っているのですね。

海没死の多くは船舶輸送中の撃沈ですが、日本軍が用いた輸送船の大部分は徴用した貨物船です。
こういった貨物船では船倉を改造して居住区画とし、そこに多数の兵員を押し込めており、沈没の際に脱出することが困難でした。ちなみに、定員以上の兵を詰め込んだ船倉の異常な温度/湿度上昇により、熱射病を引き起こして死亡する兵が多発した、なんて話も残っています。

また、太平洋戦争中、日本では船舶需要の急増に対応するため、設計の簡易化や資材の節約を図った「戦時標準船」なんていう低性能の船舶を多数建造しました。
戦時標準船にはいくつかのタイプがありますが、航海速度の低い貨物船が多数建造されており、これらは船舶被害の増大につながりました。

さて、輸送船が攻撃を受け、魚雷や爆弾が命中すると、当然ながらその爆発により戦死者・負傷者が出るのですが、その一方で、船内はパニック状態となります。前述の居住区画の問題に加えて、パニックが引き起こされた状況下では船外への脱出は一層困難なものとなりますが、運良く脱出に成功できたとしても、今度はボートや筏、すがりつくことのできる浮遊物の奪い合いが起きたりしました。
大本営陸軍部の戦訓報でも、浮遊物の争奪戦となって両者ともに命を落とす事例が多いとしています。

圧抵傷

冒頭で述べた通り、海没時の圧抵傷について少し。
圧抵傷は、高所から脚を下にして墜落した際、その衝撃によって引き起こされる損傷のことを指すのが一般的ですが、輸送船が撃沈された時にも、同様の事象が起こっています。
これは機雷や魚雷などの爆発で船底など下からの衝撃が発生し、艦上や海上に跳ね飛ばされて引き起こされたものです。沈没後に収容された戦傷者のうち、圧抵傷を生じているものが44%に上ったとか。

水中爆傷

前々回の記事で少しだけ触れた水中爆傷について。

水中爆傷は、海中や海上浮遊中の時に、爆雷の爆発による衝撃を受けて引き起こされるものです。
海軍軍医らの記録によれば、身体外部には損傷がないにもかかわらず、次第に腹部がはれてきて腹痛がひどくなり、徐々に憔悴して死亡します。原因は、爆発の衝撃による腸管破裂ということなのですが、腹壁を介しての衝撃による損傷ではなく、肛門からの水圧が腸内におよび内部から腸壁を破ったものだそうです。

最後に

戦争ってイヤですね。
などと普通すぎる感想を漏らしつつ、おまけの余談。
艦船が撃沈された後、運よく浮遊物を確保できれば、漂流状態ではあるものの助かる見込みが出てきます。ところが、漂流中に敵の攻撃を受けて死亡することもありました。ダンピール海峡での漂流者に対する機銃掃射なんかが有名でしょうか。

さらに余談。太平洋戦争では、連合軍の捕虜を輸送中に連合軍潜水艦や航空機の攻撃を受けて、捕虜が海没死するという皮肉な事例も多々あったりします。
1944年12月の鴨緑丸(おうりょくまる)事件では、連合軍捕虜を日本本土へ移送中の鴨緑丸が米軍機の爆撃を受け、約300人の捕虜が死亡。生き残った捕虜は江ノ浦丸およびブラジル丸に転乗しますが、江ノ浦丸も空襲により沈没し、692人の捕虜が死亡しました。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実