Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【日本軍の階級】陸軍将校の出世道【進級・昇進】

当ブログでは、以前に旧日本軍における階級についての記事を書いています。

oplern.hatenablog.com

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陸軍階級の記事なんかは、だいぶ前に書いたものですが、今回は今更ながらその補足記事です。
上記記事では、日本陸軍の階級について大ざっぱな説明を行いました。そのなかでも少しは触れてるのですが、今回は陸軍将校の階級昇進(進級)について、もう少し突っ込んでみます。

将校の進級

軍人がある階級で勤務した年数を「停年」といいます。さらに、「停年」のうち、休職や停職を除いた年数、すなわち実際に現職として勤務した年数を「実役停年」といいました。
下士官以上では、階級ごとに進級に必要な実役停年が定められており、それを満たさなければ進級できません。例えば、少尉から中尉に進級するには、平時だと少尉で1年の実役停年が必要と定められています。
以下にそれぞれの階級の進級停年を掲載します。階級の右にある実役停年を満たさないと、次の階級に進級できません。例えば、大尉に進級するには、中尉で2年の実役停年を満たす必要があります。

少尉:1年
中尉:2年
大尉:4年

少佐:2年
中佐:2年
大佐:2年

少将:3年
中将:4年
大将:なし

さて、進級に規定の実役停年が必要とは言いましたが、しかしながら実際には、定められた実役停年を満たせばめでたく進級できるかというと、そうではありません。
上記の実役定年は、あくまでも最低年限です。規定通りの実役停年で進級できるのは皇族の将校くらい*1で、陸大優等のエリートでも、1、2年増しから倍の年数で進級するのが普通でした。
また、この規定とは別に、尉官で3年以上、佐官で2年以上の隊付勤務に服さなくてはならないとされています。

日中戦争前のわりかし一般的な進級速度は、少尉で3年務めた後に中尉、中尉で6〜7年務めた後に大尉、大尉で6〜9年務めた後に少佐、といった具合でした。20歳で陸軍士官学校を卒業、少尉任官した場合なら、23歳で中尉、29歳くらいで大尉に進級するわけですね。
ただし、戦時においては少尉を半年務めた後に中尉、中尉を1〜2年務めた後に大尉、大尉を3年務めた後に少佐、というように短縮されるケースも珍しくありません。これは、戦争激化による将校、特に尉官の不足を背景としています。とはいえ、それでも中大佐クラスでの進級停滞は著しいものがありました。

先任進級と抜擢進級

進級、と一口に言ってますが、これには「先任進級」と「抜擢進級」があります。
先任進級とは、主に年功による序列の順によって進級させることです。これに対し、抜擢進級とは、序列にとらわれず優秀者を進級させることを指します。

平時では、時期によって少し差異があるものの概ね尉官と将官の進級は先任進級、佐官の進級は抜擢進級によるものとされていました。
(戦局が激しくなると、中少将への進級に抜擢を加味しています。)

尉官の場合、士官学校同期の将校は、少尉から中尉へ同時に進級します。中尉から大尉への場合は、各兵科別に定員が定められていたため、欠員が生じた兵科なら早く進級できましたが、そうでなければ遅れることになりました。同期間で1年ほどの差が生じたようです。
(「兵科」については、こちらを参照下さい。)
しかし、満州事変以降、軍備拡張による要員確保が必要となったことや、運次第の進級による感情問題の懸念もあって、昭和8年以降、同期は同時に大尉に進級させる制度に変わりました。
さらに昭和16年以降は、少佐へも同期が同時進級することになります。

以上の経緯により、優秀者を進級させる抜擢進級は、昭和7年以前は大尉から、昭和8年以降は少佐から、昭和16年以降は中佐から適用されました。
軍隊で「優秀者」といわれれば、普通は「戦功のあったもの」だと思うかもしれません。しかし、日本陸軍の抜擢進級における「優秀者」というのは、実際には陸軍大学校を卒業しているかとか、陸軍士官学校の卒業序列の上位者の順だとかを指しています。一般にイメージされる「抜擢」では無かったわけです。
「抜擢」の順番は、まず陸大卒と砲工学校高等科優等、員外学生と派遣学生卒、昭和8年から設けられた陸大専科卒、陸士卒業序列上位者の順となっていました。
(員外学生とは、主に砲工学校高等科を出て東京帝国大学理工学部に定員外の学生として送り込まれた者です。後には他の帝国大学も対象となりました。派遣学生は同じく東京帝大の文科系に送り込まれた者を指します。)
この仕組みについては、平時ならまだ理解できるのですが、戦時になっても戦功がストレートに人事に反映されたなんて話はあまり聞きません。
さらには、内規ながらも厳格に守られていたルールとして、「うしろの期の一選抜(先任)は、前の期の一選抜を追い抜かない」というものがありました。つまるところ、前の期の一選抜が中佐だったとしたら、後ろの期の一選抜はそれを飛び越して大佐になったりはできないのです。そのため、各期ごとに序列上位者だけを抽出して階級を並べると、期ごとに整然と階級が並ぶこととなりました。

なお、太平洋戦争中は、大佐までの階級で二階級特進制度が設けられており、これの適用により前の期の一選抜を追い抜いて進級したケースもあります。例えば、加藤隼戦闘隊で有名な加藤建夫中佐(陸士37期)が、二階級特進で少将となりましたが、これにより陸士30期の一選抜を追い抜いています。
また、二階級特進とは別に、26期の栗林忠道中将が昭和20年3月、特旨により大将に進級。20期の一選抜を追い抜いたという事例もありました。
などと言いつつ、実は、加藤中佐の少将特進は戦死後のものですし、栗林中将の大将進級も戦死認定後のものです。日本陸軍の抜擢進級というのは、なんとも微妙な「抜擢」だったわけですね。
余計なことを言うと、米軍では平時より将官クラスの二階級特進があったりします。

大将への進級

中将から大将への進級は、実役定年4年という条件の他にも、内規にて停年6年、師団長などの親補職経験2年以上を有することとされていました。
ちなみに、大将への進級についてはほぼ完全に先任順となります。すなわち、先に中将へ進級したものが全て大将に進級するか、予備役になったりして軍を退くかしない限り、新しい大将が親任されることはありませんでした。
しかしながら1回だけ例外があり、それは東條英機中将が総理に就任した際、陸士同期で先に中将に進級していた篠塚義男中将を追い抜いて大将になったことです。
余談ですが、東條さんは好き嫌いが激しい人柄で、しかも自分と見解を異にするものを排斥する傾向が強い人でした。ついでに東條さんが嫌いなタイプの代表は頭脳明晰な人物で、石原莞爾との衝突は特に知られていますが、篠塚義雄も意思決定中枢から遠ざけたりしてます。これを踏まえて東條さんの大将進級を眺めてみると、なかなかの味わいが出てきますね。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

陸軍人事―その無策が日本を亡国の淵に追いつめた

図解・日本陸軍歩兵

事典 昭和戦前期の日本―制度と実態

 

 

*1:とはいえ、皇族でもいつも規定の実役停年だけで進級できるわけではありません。規定の実役定年ですいすい進級していくのは皇太子くらいでした。