Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【世界のマイナー戦争犯罪】陽高事件【日本軍】

今日も今日とてマイナー戦争犯罪。などととりあえず言ってみただけで、深い意味はないのですが、前回、前々回と「世界のマイナー戦争犯罪*1」シリーズの記事を書きました。

oplern.hatenablog.com

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「世界のマイナー戦争犯罪」シリーズは、日本軍による南京事件ナチスドイツのユダヤ人虐殺といった、有名どころの戦争犯罪は脇に置いといてあまり知られていないものを取り上げてみようという企画なのですが、本日の記事もしつこく同シリーズを。今回で第8回目となります。
「世界の」と言いつつ、今回取りあげるのは日本軍による戦争犯罪ですので、前回、前々回に比べると少しは身近に感じられないでしょうか?感じたいかどうかはともかく。

なお、上記記事より前の当シリーズ記事は以下の通り。

【世界のマイナー戦争犯罪】メリッソ村民虐殺事件【日本軍】 - Man On a Mission

【世界のマイナー戦争犯罪】ル・パラディ近郊での英軍捕虜銃殺【ナチスドイツ】 - Man On a Mission

【世界のマイナー戦争犯罪】グアテマラ内戦の戦争犯罪【中米グアテマラ】 - Man On a Mission

【世界のマイナー戦争犯罪】ピノチェト政権下の「反体制派」弾圧【南米チリ】 - Man On a Mission

【世界のマイナー戦争犯罪】鴨緑丸事件【アメリカと日本】 - Man On a Mission

なにやら日本の登場頻度が高いようですが、これは私の趣味範囲によりますので致し方ないものだと思って下さい。
今回取りあげるのは、日中戦争初期に起こった「陽高事件」。皆さんご存知の東條英機が深く関わっています。

チャハル作戦と陽高事件

陽高事件は、日中戦争初期の1937年9月、内モンゴルの陽高にて、関東軍*2の察哈爾(チャハル)派遣兵団(以下、チャハル兵団といいます)が引き起こした中国人虐殺事件です。

1937年7月7日の盧溝橋事件をきっかけに日中間の戦火は拡大していきますが、中央・現地含めて、日本軍でもっとも強硬論を主張していたのはソ連軍を主敵とするはずの関東軍でした。
関東軍の中でも東條英機参謀長は、対ソ戦準備の前にまず国民政府(南京政権)に一撃を加え、背後の脅威を除去すべきと考えていたようです。

関東軍は、華北での戦闘が始まると8月14日にはチャハル兵団を編成しますが、参謀長と部隊指揮官は兼務しないという陸軍の伝統を破り、兵団長に東條英機中将が就任しました。
関係者によれば、チャハル作戦*3は「東條の戦争」であり、チャハル作戦も参謀長・指揮官兼務も東條の発意だとのことです。

チャハル作戦の推移については、8月27日に張家口、9月11日には大同を占領して内モンゴル全域を制圧しました。
陽高事件が起こったのは9月9日です。
9月8日夜、大同の東北にある陽高で、本多旅団が南城門から、篠原旅団が北城門から城内へ突入しました。この際、中国側守備兵の激しい抵抗により、日本側に約140人の死傷者が出ています。
これに日本軍は激高。夜が明けて占領が終わると、城内の男性を狩り出して拘束し、機関銃の集中砲火を浴びせて殺害しました。
殺害されたのは350人とも500人ともいわれていますがはっきりしていません。処刑を実施した部隊も定かでなかったりしますが、一説によると、中国側は本多旅団の歩兵第三連隊と野砲兵第四連隊が犯人ではないかと見当をつけ訴追を要求したそうです(結局取り上げられなかったようですが)。
ちなみに、東條は首相時代の1943年2月に、秘書官との雑談で「不穏な支那人等は全部首をはねた。1人しか捕虜はいなかった。」と語っています。
陽高事件については東條兵団長の責任が問われそうなものですが、この事件は東京裁判で裁かれることはありませんでした。
秦郁彦氏は、陽高事件における東條の責任が追求されなかったことについて、出先限りの人事発令であったチャハル兵団長の経歴が知られなかったことが一因ではないかと推察しています。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

世界戦争犯罪事典

 

 

*1:実のところ、一口に「戦争犯罪」といってもその定義はあまり明確ではありません。狭義の戦争犯罪としては、ハーグ陸戦規定などの戦時国際法規に違反する民間人や捕虜への虐待・殺害・略奪、軍事的に不必要な都市破壊などが挙げられますが、一般的には、これに含まれないユーゴスラヴィアルワンダ内戦での虐殺、ナチスドイツのアウシュヴィッツなんかも戦争犯罪とされています。当ブログではあまりこだわらず、一般的イメージとしての「戦争犯罪」を扱いますのでご承知おきください。

*2:中国東北部に駐屯していた日本陸軍の部隊。旅順、大連などのいわゆる「関東州」とそこを拠点に北方に伸びる南満州鉄道(満鉄)を警備することを目的としていましたが、満州事変を起こした後巨大化し、日本の大陸政策において重大な役割を果たすことになります。ちなみに戦中派の人には、関東軍=独走するものというイメージがあり、組織のなかのあるセクションが周囲の意向を無視して暴走する場合に「関東軍」と揶揄したりも。余談ですが、週刊少年サンデーで連載していた「神聖モテモテ王国」でも、「配下にしても関東軍ぐらいあつかいにくいんじゃよ」と国王ファーザーが述べるシーンがありました。どうでもいいか。

*3:ここは自分向けの覚書ですので、気にしないで下さい。戦史叢書86巻 支那事変陸軍作戦1のP.241。7月30日に関東軍が北支方面の作戦に連係して、平地泉、大同方面に進出する作戦準備を意見具申したとあります。参謀本部はこれを控制しますが、8月5日、関東軍は、満洲国防上中国中央軍の察哈爾省侵入は放置できないとし、多倫の堤支隊を張北に前進させるよう強く具申しました。これに対し、石原莞爾第一部長は強く反対するも、武藤章第三課長は熱心に支持、8月7日には参謀本部もこれを容認しました。8月9日、参謀本部は察哈爾作戦の実施を決定します。