Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【大日本帝国憲法】明治憲法上の日本軍【日本国憲法】

昨日は5月3日、憲法記念日でした。

本当は昨日のうちに憲法にちなんだ記事の一つも書こうかと思っていたのですが、とある講演会を聴講した後、本屋をうろついたり、食事をしたり、本屋をうろついたりしてる間になぜか時間がなくなっていたので、「みどりの日」とやらである本日書くこととなりました。
ちなみに、ブリタニカ国際大百科事典によれば、「みどりの日」という命名の趣旨は、「昭和天皇が在位中たびたび全国各地の植樹祭に出席し、緑化事業に関心を示したこと、および現在における環境問題の重要性を強調すること」だそうです。
昭和天皇ではないのですが、学生時代に友人らとドライブしていたところ、「天皇が植樹祭へご臨場」とかで付近に警備体制がしかれてて、我々も職質?を受けたことがありました(怪しかったのか?)。警官と二言三言、言葉を交わしてその場を後にしたのですが、去り際、友人の1人が「ご苦労様です」などと口にしたため、他の友人らと「こいつ権力に媚びやがった」と一頻りイジった青春の思い出があります。うん、どうでもいいですね。

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衛府の七忍より。

くだらない話はさておき、去年の今頃は、憲法についての記事を2つ書いています。

oplern.hatenablog.com

oplern.hatenablog.com

憲法といっても、メインは現行憲法ではなく明治憲法についての記事でした。
今回も、同様にメインは明治憲法について。

最近、アレ首相が憲法自衛隊を明記するなどと言ってるようですので、では、明治憲法には日本軍のことがどう書かれているのか見てみよう、という記事です。

日本国憲法における軍事力

明治憲法を見る前に、まずは現行の日本国憲法における軍事力関連部分を見てみましょう。
もちろん、みなさんご存知の第9条となりますが、政府見解では他にも第13条が関係してきます。まずは9条から。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

普通に読む限りでは、第9条1項で、「自衛戦争」も含めて戦争や武力行使を放棄、2項で、そのために戦力不保持とする、という内容に見えます。とはいえ、1項に「国際紛争を解決する手段としては」なんて文言があり、これをどう解釈するかで見解が変わってきたりします。
1954年の政府見解(鳩山内閣)では、「1項は独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限の武力を行使することは認められている」としました。これにより、2項にいう「戦力」とは、「自衛のための必要最小限度を超える実力」を指すとされています。

さらに、1972年の政府見解(田中内閣)では第13条も持ちだされました。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

この時の政府見解は、第13条で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については」「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定められているので、「わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らか」であり、よって第9条が「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」という理屈です。
ちなみに、この時点では「武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」とされていました。

その後、アレ政権が憲法解釈をアレして集団的自衛権がアレになるわけですが、まあ、最近のことでもありますので、この辺の成り行きは多くの方がご存知でしょう。本題から大分ズレますので割愛します。

余談ですが、憲法施行前の1946年6月28日、共産党野坂参三戦争放棄を「侵略戦争の放棄」に限定するよう要求しています。これに対し吉田茂は「近年の戦争の多くは国家防衛権の名に於いて行なわれたることは顕著なる事実」であり、「ゆえに正当防衛権を認めることが戦争を誘発する所以である」などと返しています*1

大日本帝国憲法における日本軍

では、本題の大日本帝国憲法に書かれた日本軍について。シンプルに考えると、明治憲法では第11条、第12条が日本軍関連部分です。

第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

以降、簡単ながら説明を。

まず、第11条について。
「統帥」は、英語だと「Supreme Command」ですが、これは現代の訳だと「総指揮」となります。「統帥権」という言葉もありますが、これを現代風にいうと「最高指揮権」となりますので、こっちの方がわかりやすいでしょうか。
すなわち、日本陸海軍の最高指揮権は天皇が持っていたわけです。
話が大きくなるため当記事では深入りを避けますが、大日本帝国において統帥権は政府から独立しているものとされていました。かなり乱暴な言い方になってしまいますがわかりやすさ優先で述べさせてもらうと、どのような作戦でどのように戦争するかについては、陸軍の参謀総長や、海軍の軍令部総長の管轄事項であり、これが内閣や議会から独立していたということ、すなわち、割と好き放題に軍事力を行使できたということです。
統帥権の独立」は、軍部大臣現役武官制や帷幄上奏権などと併せて「活用」され、これにより軍部専横が引き起こされることになりました。
ところが、明治憲法においては「統帥権」が独立しているなどという明示的表現はありません。どうも明治憲法制定以前に確立した「既定事実」として黙示的に扱われたようです。
伊藤博文の「憲法義解(明治憲法の解説書)」の解説にも統帥権の独立などという表現はなく、また、その後刊行された解説書や研究書でも、歴史的経過や慣習などを書くだけに留まり、独立の理由や根拠について述べられたものは見られません。

なお、軍事に関する諸制度を総称して「軍制」と言いますが、軍制には軍を編成してこれを維持管理する「軍政」、軍を指揮運用する「軍令」、軍の秩序を維持する「軍事司法」があります。
上記「統帥」については一応、軍令とみなされます。
日本の陸海軍では軍政と軍令の区分を特に意識して、それぞれを掌る機関を別に置いていたのですが、あまり明確に区分できないことも多々ありました。

次の第12条ですが、こちらは「陸海軍ノ編制」と「常備兵額」の2点について述べられています。
編制と常備兵額は軍政事項とされました。なお、第12条にいう「編制」は、軍政あるいは軍隊管理という意味であって、軍事用語としての「編制(部隊や艦隊の組織)」とは異なりますので注意が必要です。
一部には、「編制」について統帥事項に属すると主張する向きもおり、また、そもそも軍政・軍令の境界が判然としなかったこともあって、1930年には「統帥権干犯問題」なんてのが起こりました。
これはロンドン海軍軍縮条約について、軍が「統帥大権と編制大権とは密接不可分のものであり内閣が一方的に決定したのは統帥権を犯している」などと主張したものです。まあ、言いがかりに近いのですが、「統帥権干犯」は、北一輝により政党・右翼・陸海軍青年将校らを扇動するキーワードとして広められることとなりました。

最後に

さて、明治憲法上の陸海軍についての記述を見てきました。
たった2条のごく短い条文でしたが、軍部専横の道具にされたり、自分たちの主張を通すために(妙な解釈をして)使われたりしています。
当たり前ですが、憲法の影響というのは侮れませんね。

以下、余談。
一応、改憲に対する私のスタンスなど述べますと、本来「本当に必要でかつ適切なものであれば」改憲もやぶさかではないと考えていますが、正直なところ、現在の日本では改憲してほしくないと思ってます。日本の現状をみるに、憲法に関する知識があまり行き渡ってませんので改憲論議ができる状態ではないと考えているからです。
天然か故意かは不明ですが、現在のJ党議員は立憲主義憲法を全くわかってないような無茶苦茶なことを言う傾向がありますしね。最近は現政権では改憲させたくない、と考えている方も増えてるようです。

さておき、冒頭で述べた通り、最近はアレが憲法自衛隊を明記するとか言ってますが、この自衛隊加憲について、アレらが提示してきた案を見てみましょう。現行の9条1項と2項を「9条の1」とし、これに「9条の2」を新たに付け加える形となっています。

9条の2 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
2 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

一読して、「問題ないんじゃない?」と思う人が多いのではないでしょうか。
問題ないように見えるのは「問題ないように見える」文言を作ってきたからなのですが、それはさておき、この加憲案をあまり考えずに「普通」に読んだ場合、現状と特に変わらないように思えます。逆にいえば、わざわざ、現行憲法に加える必要性などないように感じられるかもしれません。
アレ首相も、自衛隊加憲を行ってもなにも変わらない、などと「じゃあ、変えなくていいじゃん」と即座に突っ込まれるようなことを言うくらい、現状からの変化が少ない改憲であると思わせたいようですが、当然そんな訳はなく大きな影響があります。

この条文を加えると、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つため」なら(あるいはそのように理由付けすれば)現行9条は無視して構わないということになります。他に制限がないこともポイントですね。なお自衛隊の保持も現行9条の2の例外規定とされます。
(ちなみに、もとの加憲案では「必要最小限度の実力組織」となってたのですが「必要最小限度の」という文言は削除されました。)

1972年の政府見解では「武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」としていました。
近年の集団的自衛権容認とこれを法的に担保する安保法制においては、かなり攻勢的な武力行使の要件が設定されましたが、それでも現行9条による制限下にあります。
しかし、加憲案では今まで歯止めとして機能してきた現行9条が事実上無効化できるので、集団的自衛権容認など問題にならない変容となるでしょう。
ここで、現行9条を再掲しておきます。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

上記が無効化されます。
そう考えた場合に加憲案を「問題ない」と思える人は、どのくらいいるのでしょうか。

アレ首相が真っ向切って「こういう国にしたいんだ」と言ってくるならまだ議論できるのですが、国民から意図を隠してこっそり変えようとしてくるのですから、卑劣という他に表現が見当たりません。まあ、アレ首相らしいというか、非常に安倍政権っぽいやり口ではあるのですけどね。

 

 

*1:吉田は他にも「交戦権放棄に関する条項の期せるところは、国際平和団体の樹立にある」とかも言ってますが、興味のある方は調べてみて下さい。