前回記事は、「世界のマイナー戦争犯罪*1」シリーズ12回目、太平洋戦争におけるアメリカの「名もない戦争犯罪」について、初の大西洋単独横断飛行で有名なリンドバーグの日記から取り上げました。
「世界のマイナー戦争犯罪」シリーズは、日本軍による南京事件やナチスドイツのユダヤ人虐殺といった有名どころの戦争犯罪は脇に置いといて、あまり知られていない戦争犯罪を取り上げてみようという企画です。
太平洋戦争におけるアメリカの戦争犯罪といえば、東京大空襲や原爆投下などの無差別爆撃なんかがよく知られてますが、捕虜の拷問や殺害も結構な頻度で起こっていました。
沖縄戦なんかでは、米兵による現地住民のレイプが多発しています。ジョージ・ファイファー氏は、沖縄戦のレイプ被害者数は1万人以上に達すると推定しています。
戦争には(割と)戦争犯罪がつきものですが、これは国や民族に関係なく普遍的なものです。最近というかここしばらく、日本はキレイな軍隊でキレイな戦争しかしない、なんて信じたい方が増えているようですが、当然そんなわけもなく、日本軍も南京事件のような有名どころから名もない戦争犯罪まで、あちこちで大量にやらかしてます。
前回記事の冒頭では、日本軍のやらかした「名もない戦争犯罪」例として、憲兵による拷問について少し触れました。
具体例として、日本の傀儡国家であった満洲国での拷問についての過去記事を挙げています。
憲兵は、軍組織内の法秩序維持をおもな任務とし、本来、軍内部の犯罪捜査や防止を行なう存在でした。しかしながら、敗戦後、アジア各地の対日戦犯裁判においては、軍の不法行為を取り締る側であるはずの憲兵に対する告訴が多発しています。
中国やフィリピンなど戦地に派遣されて活動する憲兵は、作戦要務令や野戦憲兵隊勤務令という軍令に服して活動するので軍令憲兵と呼ばれました。
(野戦憲兵とか外地憲兵と呼ばれることもあります。)
軍令憲兵は、軍事警察としての活動以外にも、作戦要務令に示される憲兵任務として、軍機保護、間諜の検索、敵の宣伝および謀略の警防、治安上必要な情報の収集、通信および言論機関の検閲取締り、敵意を有する住民の抑圧、非違および犯則の取締りなども行います。
こうした任務は、植民地や占領地において必然的に独立運動や「抗日運動」の取締り・弾圧としてあらわれることとなりました。取締り・弾圧では、やはりというか当然というか、憲兵による拷問や虐待が常態化しています。
前述の憲兵に対する告訴も虐待・拷問などの違法行為によるものが多いのですが、それらにより死に至らしめることもままあり、そのケースだと中国法廷では死刑または無期の判決が下されることが多かったようです。
さて、今回はその日本軍憲兵による「名もない戦争犯罪」について、裁判資料からいくつか取り上げてみます。
なお、日本軍憲兵については、過去にいくつか記事を書いてますので、憲兵自体について知りたい方はどうぞ。
【大日本帝国の憲兵】憲兵とは【勅令憲兵】 - Man On a Mission
【大日本帝国】日本の憲兵隊組織【勅令憲兵】 - Man On a Mission
【大日本帝国】憲兵になるには【陸軍憲兵学校】 - Man On a Mission
【大日本帝国】軍令憲兵とは【戦地の憲兵】 - Man On a Mission
中国法廷の事例
まずは、中国国民政府による対日戦犯裁判から北平憲兵隊の事例をいくつか。
憲兵少佐の事例
当時警務課長だった憲兵少佐が、部下に中国人20名の逮捕を命じ、拷問後に司令部の軍法会議に送ったものです。
なお、拷問により、1名が死亡しています。
憲兵少佐自身は拷問に加わっていないと一貫して主張したものの、無言の答弁が多く、また、住民の告訴が多数に上ったこともあってか、1947年3月8日に死刑判決が下されました。
憲兵大尉の事例
曹長の時に中国人2名を逮捕、拷問したこと、うち1名が釈放後3ヶ月後に死亡したことを罪に問われました。死亡者については拷問で受けた重傷が原因であるとされています。
(なお、逮捕後の虐待・拷問により体を壊し、釈放後に死亡したというケースは、さほど珍しくありません。)
憲兵大尉は、逮捕、拷問の事実は認めたものの、釈放後の死亡は無関係であると主張しています。
この裁判では死刑判決が下されたものの、国民政府国防部により、死亡原因が拷問であることは事実だが殺意は無かったものとして、無期刑に変更されました。
憲兵准尉、憲兵軍曹の事例
憲兵准尉が憲兵軍曹に盗難事件の調査を命じ、軍曹は中国人容疑者4名を逮捕します。うち3名は釈放するものの1名は勾留、水責めによる拷問を行った際に死亡しました。
元憲兵によると、水責めは長椅子に縛り付けて鼻と口に水を注ぎこむだけでいい、責めてる側が疲れない「効果的」な拷問ということですが、加減を間違えると死に直結することになるようです。
終戦後、准尉・軍曹2名は被害者の妻により告訴されました。被告2名は起訴事実をほぼ認め、准尉は有期刑7年、軍曹は死刑判決が下されました。
その他の事例
戦争犯罪裁判概見表からも少し。
アメリカ法廷:憲兵上等兵の事例
1945年3月末頃、フィリピンのセブ島セブ市付近にて、憲兵上等兵と船舶工兵上等兵らが12名のフィリピン人を殺害、5名のフィリピン人婦人を強姦し、さらに前記市民私有の財産とフィリピン共和国有の財産を焼却破壊したとして罪に問われました。
船舶工兵上等兵は起訴取り下げとなりましたが、憲兵上等兵は絞首刑となっています。
オーストラリア法廷:憲兵軍曹の事例
1944年10月末頃、マツサバ椰子園において中国人婦人を樹木に縛り付けて数百の蟻を振りかけ、2時間にわたり放置。翌日、自室にて強姦、12月頃まで数回に渡り強姦を繰り返したことを罪に問われました。
絞首刑の判決が下されています。
蘭印法廷:憲兵少佐ら15名の事例
ジャワ島バンドン憲兵分隊勤務の憲兵少佐、大尉、中尉、准尉、曹長、軍曹、伍長ら15名が、1942年4月より1945年9月に至る期間中、一般市民男女を逮捕拘禁して拷問・虐待を加えたとして罪に問われたものです。
拷問・虐待の内容は、手拳・棍棒による殴打、煙草の火の押しつけ、水責め、電気責め、婦女の強姦、食糧や飲料水の供与拒絶、炎天下に長時間立たせるなどが挙げられています。
これらの行為により、多数の被拘禁者に身体的精神的苦痛を与え、また死に至らしめました。
伍長1名は無罪とされましたが、軍曹2名に死刑判決(うち1名は有期刑20年に減刑された模様)、残る12名には有期刑判決(うち1名は後に無罪となった模様)が下されています。
最後に
さて、日本軍憲兵にフォーカスして、いくつか戦争犯罪裁判の事例を見てきました。
憲兵の裁判は、比較的移動が少なく住民との接触が多かったことから、多数の告訴・証言が得られやすいという特徴があります。
それでも、誤認逮捕や誤審もあったであろうことは想像に難くなく、今回は取り上げてませんが、例えば中国法廷では、別人が行った拷問・拷問致死について、同姓であったために誤認され起訴・有罪となったんじゃないかと思われるケースもみられました。
とはいえ、ずさんな裁判と思われるケースで、図らずも、憲兵らの証言により違法行為が日常的なものだったことが明らかとなる面もあります。もちろん、誤認された当人にとってはとんでもない不幸なのですが。
ついでというのも変ですが最後に付け加えておくと、これらの戦犯裁判の起訴数は実際の戦争被害数と比較すると本当にごく僅かなもので、多くの残虐行為・犯罪行為は裁かれないままです。
加害者が裁かれないだけでなく、謝罪も補償も受けることなく「放置」された被害者が相当数存在していることに、日本国民は留意する必要があるでしょう*2。