Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦争と医療】ペニシリンとサルファ剤【感染症】

前回、ナチスドイツによるチェコでの戦争犯罪、リディツェ村の虐殺・破壊について取り上げました。

oplern.hatenablog.com

当該事件は、チェコスロヴァキア亡命政府によるナチス高官ラインハルト・ハイドリヒ暗殺への「報復」として行なわれています。
(リディツェ村における虐殺・破壊の詳細については上記記事をご参照ください)
暗殺実行犯はヨゼフ・ガプチイク、ヤン・クビシュの2名ですが、襲撃時、ガプチイクはステン短機関銃がジャミングを起こしたため射殺に失敗、クビシュが投げた手榴弾によりハイドリヒが負傷するという結果に終わりました。
榴弾によるハイドリヒの負傷はそれほど深刻ではなかったものの、感染症を発症し襲撃から8日後の6月4日に死亡しています。直接の死因は感染症であり、襲撃は間接的死因でしかなかったわけですね。

以前、銃弾による人体へのダメージについて書いた記事でも触れたのですが、第二次世界大戦ごろまでは、手足に銃創を受けると、その多くは治療のため切断せざるを得ませんでした。
これは細菌が傷口から体内に侵入し、筋肉など身体の一部の組織が壊死する感染症を引き起こすためです。
細菌に感染すると、急速に皮膚や筋肉に壊疽(体組織の壊死)が広がり、局所に悪臭のあるガスを発生して全身状態を強く悪化させます。この進行は急速であり、早期に壊死部分を切除しなければ死に至る確率が高かったのです。細菌感染症は最大死因の1つに数えられるほどで、重症化すると医者にもなすすべがないというのが実情でした。
(ちなみに、沖縄戦の証言では負傷による四肢切断の話が多く見られます)

なお、第二次大戦後は、抗生物質をはじめとする医学の発展により、戦傷における四肢切断が減少してるのですが、近年は小銃弾の高性能化や戦闘の様相変化などにより、再び四肢切断が増加する傾向にあります。

さて、今回はそんな話を踏まえて、世界初の抗生物質であるペニシリンと、ついでに、現在においては忘れられがちながら、社会に大きな影響を与えたサルファ剤について少々。アメリカの戦争映画なんかでは、負傷者になにやら粉末をふりかけてるシーンがちょくちょく出てきますが、あの粉末がサルファ剤です。
プライベートライアンとか、バンドオブブラザーズの6話目とか)

ペニシリン

ペニシリンは、1928年(学会誌発表は1929年)にイギリスのフレミングが青カビから発見しました。
ペニシリンは病原菌の増殖を顕著に抑制したものの、極めて不安定であり、治療価値を調べることもできないまま長い間放置されています。約10年間経過した1940年、英フローリーらの臨床応用研究により、臨床的に有効なことが報告されました(ペニシリンの再発見)。
1941年よりアメリカが大量生産開発に取り組み、1942年には戦時特別研究として米英の国家機密指定を受けます。
1943年、遂にアメリカが大量生産方式を確立。死亡率第1位を占めていた感染症に対する治療薬の、大量生産・安定供給がなされることとなりました。

ちなみに、日本でも1944年より陸軍軍医学校研究部を中心に研究が行なわれ、同年9月には東北帝大医学部がペニシリン第一号精製を発表しています。
11月には森永食糧工業と萬有製薬が製剤開発に取り組み、12月には液体抽出に成功するものの、アメリカのように大量生産・安定供給の実現には至らず敗戦を迎えることになりました。

サルファ剤

ついでにサルファ剤についても。

1932年、ドイツの病理・細菌学者ゲルハルト・ドーマクが、プロントジル・ルブルムという赤色結晶化合物がマウスの連鎖球菌感染症に対して治療効果を持っていることを発見しました。これにより、感染症に対する化学療法の道が開かれることとなります。
後に、プロントジルの有効成分は体内で分解されて生ずるスルファニルアミドにあることがわかり、1935年、ドーマクは医学系学術誌にスルファニルアミドが化学療法薬として有効であることを公表しました。
スルファニルアミドは、染料産業ではごくありふれたものであり、世界中で数多くのサルファ剤が作られることになります。様々なサルファ剤誘導体が探索され、連鎖球菌疾患だけでなく髄膜炎や肺炎球菌による肺炎、ブドウ球菌や淋菌性疾患にも治療効果を得て、細菌による感染死が激減しました。
米軍では、サルファ剤が戦傷に用いられることとなり、多くの戦傷者の命を救っています。
なお、サルファ剤の作用は殺菌作用(細菌の破壊)ではなく、静菌作用(細菌の増殖を抑制)です。

ちなみに1939年、サルファ剤の業績からドーマクにノーベル生理医学賞が授与されることが決定されたのですが、これはナチスによりドイツ国内での公表を禁じられ、さらにドーマクの海外渡航も禁じられたため、受賞できていません。
ドーマクは、第二次大戦後の1947年に改めてノーベル賞を受賞するのですが、その頃には、ペニシリンの登場でサルファ剤が表舞台から姿を消しつつありました。なんだか切ない話ですね。
ついでの余談。第二次大戦中、チャーチルが肺炎にかかった際にもサルファ剤が投与されています。
(過去にはペニシリンが投与されたという話が出回っていたのですがこれは誤りで、当時、ペニシリンの実績が十分でなかったことから、実際にはサルファ剤が投与されました)

最後に

公衆衛生やらナイチンゲールやらの話も書こうかと思っていたのですが、時間が足りなくてペニシリンとサルファ剤だけにとどめました。公衆衛生やらについては、いつかまた。