Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【大日本帝国】陸軍衛生部と衛生システム【衛生兵・野戦病院】

前回記事では、戦争との関係が深い薬剤、ペニシリンとサルファ剤について書きました。

oplern.hatenablog.com

第二次大戦ごろまで、戦傷者が感染症により死亡するケースは少なくありませんでした。
傷口から細菌が体内に侵入・感染すると、急速に皮膚や筋肉に壊疽(体組織の壊死)が広がり全身状態を悪化させます。手足に受けた銃創でも、早期に壊死部分を切除しなければ死に至る恐れがあるため、切断することが多くありました。
ペニシリンとサルファ剤はこういった感染症に大きな効果を発揮する薬剤であり、多くの戦傷者の命を救っています。

感染症ペニシリン・サルファ剤を例にあげるまでもなく戦争と医療・衛生は切っても切れない関係にあるのですが、それにも関わらず、軍事関係の話題において戦時医療が語られることはあまり多くありません。
軍隊・戦争における衛生管理は、倫理的・人道的な面だけでなく人員や士気の維持といった戦力管理の観点からも非常に重要なものです。近年、様々なメディアで軍事……というか兵器やら軍隊やらの話題が取り上げられることが増えましたが、その割に傷病・医療・衛生について語られることが少ないのは片手落ちと言えるのではないでしょうか。戦時医療ガチだかんな。

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ゴンゾくん

……などと、さも「俺は違う」みたいにオラついたことを言ってしまいましたが、実は当ブログも戦時医療そのものを取り扱った記事はありません。

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衛府の七忍より

一応、戦時医療に関係する記事は以下が挙げられるでしょうか。

oplern.hatenablog.com

oplern.hatenablog.com

oplern.hatenablog.com

後は、日本陸軍の生活を語る「ぐんたいぐらし!」というシリーズ記事での、衛生関係のもの(風呂とか洗濯とかトイレとかごみ処理)くらいですね。とはいえ、これにしても、衛生自体が中心の記事ではありません。

イキっといてなんですが、今回記事も戦時医療そのものではなかったりします(とはいえ割と関連性は高いんじゃないかと)。
本日は、日本陸軍の衛生部と衛生システムについて。

日本陸軍 衛生部

日本陸軍では、兵科以外の職種(各部)として、経理部・衛生部・獣医部・軍楽部・技術部・法務部がありました。これらのうち部隊が存在するのは、衛生部と軍楽部のみです。

今回取りあげる衛生部の兵は衛生兵と呼ばれますが、改称されるまでは看護兵(1931年までは看護卒)、磨工兵(磨工卒)、補助看護兵(補助看護卒*1)でした。
看護兵、補助看護兵は、多くの方がイメージする「衛生兵」なわけですが、これに対し磨工兵は衛生材料・機械の修理を行ないます。看護兵、磨工兵とも、後に衛生兵とひとまとめに改称されました。

衛生部の下士官准士官は、看護長、磨工長という名称でしたが、後に衛生准尉/下士官、療工准尉/下士官となります。看護兵、磨工兵はひとくくりにされましたが、衛生軍曹やら療工曹長やらと、こちらは別区分のままだったわけですね。

衛生部の将校/将校相当官*2には、軍医、薬剤、看護の区分があり、後には軍医、薬剤、歯科医、衛生の区分となっています。階級については、軍医、薬剤は中将まで、歯科医は少将、衛生は少佐まで(看護官のころは大尉相当まで)でした。

さて、衛生部はどのような組織だったかというと、各地(主に連隊所在地)に衛戍(えいじゅ)病院(後に陸軍病院)が置かれていた他、師団司令部には軍医部がありました。
ちなみに、平時の衛戍病院(陸軍病院)の看護婦は、陸軍の採用する「陸軍看護婦」です。陸軍看護婦は軍属であり、軍属区分では「雇員(こいん)」となります。

陸軍病院や師団軍医部は平時より置かれているわけですが、戦時では、動員により師団衛生隊や野戦病院、防疫給水部などが臨時に編成されました。
その他、戦時、師団に属さない衛生部隊に、兵站衛生隊・兵站病院・患者輸送隊・防疫給水部・防瘧部(ぼうぎゃくぶ)・野戦衛生材料廠・船舶衛生隊・病院衛生班などがあります。

以下、衛生隊と野戦病院についてもう少し詳しい話を。

衛生隊

衛生隊は本部・衛生部・担架中隊3個、車輌中隊から成り、このうち衛生部は軍医・薬剤官・衛生下士官で構成されますが、他は兵科の将校・下士官・兵で構成されます。
師団の作戦は歩兵連隊ごとに分かれることが多いため、担架中隊1個をそれぞれの歩兵連隊につけました。また、衛生部、車輌中隊も三等分して担架中隊と行動を共にさせます。

戦闘が開始されると、配属先の歩兵連隊の直後を続行して、後方に衛生部員が仮繃帯(ほうたい)所を開設しました。
担架中隊は、仮繃帯所を警備し、また、前線に出て患者を仮繃帯所へ後送。仮繃帯所で応急手当を受けた患者をさらに車輌中隊の位置まで送ります。車輌中隊は患者車を用いて患者を野戦病院兵站病院まで送りました。

戦闘が終わると、衛生部員は患者療養所を開設し、担架・車輌中隊は警備や討伐に参加します。

例として、1941年に臨時編成された第二師団衛生隊を上げると、隊長の陸軍少佐以下490名で構成され、兵科将校13、下士官兵347、軍医14、薬剤官3、衛生下士官25、衛生兵88でした。

野戦病院

師団野戦病院は複数個編成されます。病院というと建物があって、そこで恒久的に活動するようなイメージを持たれるかと思いますが、野戦病院は「病院」という名の部隊であり、部隊に従って移動します。
前線の、適当な場所で治療を行なうことになるので、屋根があれば良い方です。

野戦病院の組織構成について、またも第二師団を例に取ると、セクションとしては本部、発着部(患者の受付・退院関係)、治療部、病室、薬剤部があり、さらに本部の下に庶務、経理、輜重がありました。
部隊長の軍医少佐以下243名で構成され、将校25、下士官37、兵181となっています。

日本陸軍の衛生システム

次に、陸軍の衛生システムについて。
日本陸軍では、戦傷者を仮繃帯所、野戦病院兵站病院、陸軍病院の順に後送します。もちろん、患者の状況によりどこまで後送されるかは異なるわけですが、ともあれ、日本陸軍では、前線に野戦病院、中間に兵站病院、後方には陸軍病院というラインが形成されているわけですね。

以下、各病院の役割について。

まずは野戦病院から。
戦地における傷病者は衛生部員、補助担架兵によって隊の仮繃帯所に収容され、初期治療を受けた後、野戦病院へ後送されるわけですが、野戦病院は戦場における主要衛生機関であり、完全な治療を施すことを目的としていました。
患者収容能力は500名とされ、また、2個に分割しうると規定されています。

次に兵站病院
兵站病院は、野戦病院など前線の衛生機関の治療を補足し、兵站管区にある軍の患者の収容、治療することを目的としています。
患者収容能力は1000名で、こちらも2個に分割しうるとされていました。

最後に陸軍病院(衛戍病院)について。
陸軍病院は、後方の機関として特殊な処置を要する患者の治療や看護を担います。一等〜三等に区分され、三等はさらに甲・乙に区分されました。
患者収容能力は以下の通り。

一等:2000名
二等:1000名
三等(甲):200名
三等(乙):70名

外地の陸軍病院は、その地域でも堅牢で大きな建物が徴用されて使用されました。
兵站病院も、それに準じて現地の建物を徴用して使用しています。とはいえ、ビルマなんかでは、空爆を避けるためジャングルに病棟を点々と開設するケースもありました。竹を用いた骨組みに、アンペラという植物で屋根や壁を作ったので、通称アンペラ病棟と呼ばれます。患者があちこちに点在することとなるため、その看護は非常に非効率なものとなりました。

なお、外地の陸軍病院兵站病院の看護婦は、その大部分が日本赤十字社から動員されています。日赤看護婦となったものは、養成所卒業後20年間は戦時召集を受ける義務を負っていました。
婦長1、看護婦20、書記1で戦時救護班を編成し、戦地で陸海軍軍医の指揮下に入ります。軍属としての宣誓を行い、軍律に服しました。

ちなみに、陸軍の規定では、衛生要員が不足する場合に、現地人を教育し雇用することが認められています。
一例を挙げると、ビルマでは看護婦の不足により、現地のハイスクール出身の婦人80名を募集、3ヶ月程度の教育を施してから簡単な試験を経て、看護婦として採用しました。

最後に

冒頭にて、戦時医療について語られることは少ないと述べましたが、日中戦争や太平洋戦争、あるいは現代のイラク戦争アフガニスタン紛争などの戦争証言では、軍人・軍属・民間に関わらず傷病、医療、衛生に触れられることはけして少なくありません。
それにも関わらず日本において取り上げられることが少ないのは、これらには戦争の実態を伝えるものが多く、「娯楽」として成立しないためじゃないかと邪推しています。
(日本軍やら米軍やらのたまの「美談」だけは別で、その時だけは、殊更にもてはやしたりしますね。)

近年は、やれ国防だ安全保障だと声高に軍備増強を訴える人が増えましたが、その大多数は愛国者気取りを楽しんだり、国士気取りを楽しんだり、はたまた軍事通ぶって優越感やマウンティングを楽しみたいだけで、別段、真剣に憂いているというわけではないでしょう。娯楽コンテンツとしての軍事、国防ファンタジーですね。
戦前日本では、これと権威主義的感覚が結びついてエラいことになったりしたわけですが、それも過去の話ではなかったというか、思ったほど日本は成長していなかったようです。

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衛府の七忍より

……などと、てめえもろくすっぽ戦時医療について書いたことがない分際で、最後にまたイキっちゃったりしましたが、今日のところはこのへんで。

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ゴンゾくん

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

事典 昭和戦前期の日本―制度と実態

戦争と看護婦

 

 

*1:看護輸卒という俗称もありました。これは、看護卒業務を行なう輜重輸卒を前身としたためです。輜重輸卒と同じく平時短期教育を行い、戦時の所要に充てました。階級は二等兵のみですが、看護兵の業務との差異はありません。

*2:1936年(昭和11年)に将校相当官という呼称が廃止されるまで、兵科の将官・佐官・尉官を「将校」、各部の将校に相当する階級を「将校相当官」と呼んでいました。詳しくはこちら