Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【イギリス軍軍事司法】フィンドレイ事件【軍法会議】

以前、イギリスの軍法会議制度について取り上げたのですが、その際、こんなことを書きました。 

イギリスの軍事司法制度は、第二次大戦後、大きな改革はされてなかったのですが、1990年代後半から、軍事裁判制度の独立性、公平性を確保するべく改革が重ねられました。
これら改革には、軍事裁判所で裁かれた者の、欧州人権裁判所への提訴が影響を与えています。
例えば、以前の記事でも触れた通り1996年軍隊法には、フィンドレイ事件の影響が見られます。
フィンドレイ事件の内容について、今回記事では触れませんが、いつかそのうち取り上げるかもしれません。
どんな事件か一応知りたいけど自分で調べるのはめんどくさい…という方がもし居られましたら、頃合いを見て当ブログまでご来訪ください。そして、その時も書かれてなかったら諦めて下さいごめんなさい。

【英国】現代の軍法会議制度 イギリス編【軍事裁判所】 - Man On a Mission

 何やら無責任なことを言ってますが、一応というか、遅まきながらというか、今回はこのフィンドレイ事件について取り上げたいと思います。
なお、めんどくさいから概要程度にとどめますので、その旨ご承知おきください。

フィンドレイ事件

まず、フィンドレイ事件の発端から。

発端

英陸軍に所属する軍人フィンドレイは、1982年にフォークランド紛争により、心的外傷後ストレス障害PTSD)を発症しました。
これにより精神的に不安定な状態にあったのですが、1987年には、訓練中に背中に重傷を負うことで、さらなる精神的打撃を受けます。

1990年、フィンドレイは陸軍伍長として北アイルランド連隊に配属されますが、同地にて、飲酒の上発砲事件を起こし逮捕されました。

軍法会議(軍事裁判)

フィンドレイは、一般軍事裁判所で審理されます。
裁判では、フィンドレイが有罪を認めたため、量刑判断のみが行なわれ、禁錮2年および兵への降格が申し渡されました。
しかし、フィンドレイはこれを不服として、確認官に減刑の請願を行ないますが、決定は修正されず、そのままの判決となります。

フィンドレイはさらに審査機関および高等法院の合議法廷(Divisional Court)に審査を申し立てますが、手続に違法性は見られないとして棄却されました。

当時の英軍法会議(軍事裁判所)制度

ここで少し、当時のイギリス軍軍事裁判所制度についての補足を。

イギリス軍の軍法会議(軍事裁判所)制度については、以前の記事で取り上げています。

oplern.hatenablog.com

しかし、上記で述べた制度は2006年軍隊法に基づくものであるのに対し、フィンドレイが審理された一般軍事裁判所は1991年10月31日付で招集が行なわれたものです。
なので、当時の英軍事裁判所について、フィンドレイ事件に関わる部分を補足しておきます。

当時のイギリス陸軍の軍事裁判所には、一般軍事裁判所(Generarl Court-Martial)、地区軍事裁判所(District Court-Martial)、野戦軍事裁判所(Field Court-Martial)の3種類がありますが、いずれも常設機関ではありません。
必要に応じて設置されるわけですが、平時に設置されるのは一般軍事裁判所、地区軍事裁判所で、戦時、迅速に犯罪者を処罰する必要があるなど、前2つの軍事裁判所が開けない場合には、野戦軍事裁判所が設置できるとされています。

以下、フィンドレイ事件で特に関わりが深い点について。

これら軍事裁判所は常設されていませんので、設置にあたっては招集手続きが必要となります。
当時、招集は、招集官(Convening Officer)により行なわれました。
裁判所構成員である将校、将校らに法律や裁判手続に関する助言を行う法務官(文官)を招集し、また、証人の出廷や裁判日時、場所などを設定します。

注意すべき点として、当時の法務官は軍事裁判所に参画するものの裁判所構成員ではありませんでした。
法務官は法曹資格を有する法律の専門家なのですが、この時点の軍事裁判所では、将校らへの助言は行うものの決定に加わることはできません。
判決は、法律の専門家ではない将校らの領分だったわけです。

また、軍事裁判所で下された決定は、そのまま無条件に通るものとは限りません。
前述した招集官は、確認官(Confirming Officer)として軍事裁判所の決定を確認します。この確認官が確認を付与することにより、始めて軍事裁判所の決定が有効なものとなりました。
招集官は、訴因の決定や、裁判所構成員や訴追官などの任命、証人の出廷確保など非常に重要な役割を果たしているわけですが、加えて、確認官として軍事裁判所の決定に効力を与えるという権限までも持っていることになります。
極めて大きな権限を持っているわけですね。

欧州人権委員会欧州人権裁判所

さて、フィンドレイにとって不本意な判決が下されたわけですが、ここで事件が終わるわけではありません。

1993年5月28日、フィンドレイは、自身の軍事裁判が、独立のかつ公平な裁判所による公正な審理を受ける権利を保障する「欧州人権条約」第6条1項に違反していると主張し、欧州人権委員会に申立を行ないます。

欧州人権委員会は、欧州人権条約*1に規定された人権保護を確保するために設けられた常設機関の一つです。

欧州人権委員会は、国家内の人権侵害に関して、他の加盟国、被害者個人、民間団体、個人集団からの申立を受理し審査・調停を行う権限を持っていました。
(1998年11月1日、欧州人権裁判所に統合)

フィンドレイの申立に対し、欧州人権委員会は、1995年2月23日に受理決定、同年9月5日付で報告書を作成します。
報告書では、以下が問題点として指摘されました。

  • 軍事裁判所で訴追の中心的役割を果たす招集官が、確認官として判決に効力を与える権限も持っている
  • 軍事裁判所構成員は全て招集官より下位の階級である

上記により、フィンドレイは独立かつ公平な裁判所で公正な審理を受けられなかったとして、欧州人権条約第6条1項の違反ありと表明されました。

本事件は、委員会により1995年12月8日に欧州人権裁判所に付託されます。
欧州人権裁判所も、欧州人権条約に規定される人権保護確保のための機関です。
(1998年より常設機関)

欧州人権裁判所でも人権委員会決定と同様の判決が下されました。

  • 訴追側と密接な関係を有する招集官が、確認官としても機能している
  • 軍事裁判所構成員が招集官より下位の階級である

上記により、裁判の独立性と公平性に対する申立人(フィンドレイ)の疑義は客観的に正当なものと認められる、としています。

また、当該軍事裁判は、非司法機関によって変更され得ない拘束力ある決定を行う権能を有するものでなければならないという、裁判所の原則に反しているとし、これは、法務官の関与をもってしても修復されないとしました。
法務官が裁判所構成員ではなく、また、その助言も公開の場では行なわれないためとしています。

イギリス軍法会議制度への影響

上記、人権委員会/人権裁判所の決定は、1996年1月から始まっていた1996年軍隊法特別委員会の審議に大きな影響を与えました。

特別委員会では、以下のような軍事裁判制度の改革案を提示しています。

  • 指揮命令系統と軍務公訴局の分離をさらにすすめる
  • 軍事裁判に関与する将校は、被告の指揮命令系統とは無関係なものから選出する
  • 法務官の役割に関し、ただの助言ではなく拘束力を持つものに強化する
  • 略式命令に関わる全ての事件において被疑者が軍事裁判所による裁判を選択できるようにする
  • 刑罰を「確認」する制度を廃止する

1996年軍隊法には、これらが盛り込まれる形となりました。

最後に

イギリスはフィンドレイ事件の後も、欧州人権裁判所でフド事件、モリス事件と立て続けに敗訴します。
(モリス事件については、以前の記事で少しだけ取り上げました。なおモリス事件における、欧州人権裁判所の判決が適切なものだったかについては、非常に微妙なものとなっています。これについて、私の能力では明確な説明ができませんので、興味のある方はご自身で調べてみて下さい。)

イギリスは、上記を受けて軍事司法制度の改革を行なってきました。軍事上の必要性を満たし、かつ人権保護を確保するというのは、なかなかに難しいようですね。
とはいえ、困難であろうとも人権保護を放棄するわけにはいきませんので、軍事司法制度においては、慎重に検討を重ねつつ、さらに継続的改善も必要と思われますなどと、月並すぎる結論を吐いてみたり。

以下、余計な余談。
日本では近年、「自衛隊にも軍法会議が必要」なんて話がちらほら見られるようになってきました。しかし、(個人的所感ですが)どうも軍法会議必要派には、非常に単純な考え方の人が多いように思います。
(もちろん、ちゃんと考えてる人もいますので、皆が皆というわけではないのですが…。)
青山なんたらさんのように、「日本を除くすべての先進国の軍隊には、当然ながら軍法会議があります」なんて、平然と事実と異なることを仰る方も目に付きますので、この問題に興味がある方は、まずはご自身で色々調べてみることをお勧めいたします。迂闊に信じちゃうと、あらぬ方向に誘導されちゃうこともありますので。

 

 

*1:正式には、「人権と基本的自由保護のための条約」で、世界人権宣言における自由権を保障する地域的人権条約。1950年11月4日にローマにおいて欧州審議会加盟国によって調印され、1953年9月3日に発効しました。自由権以外にも、財産権、教育権、移動の自由、追放の禁止などが追加議定書により補充されています。