Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【誰もそこまで】まだまだ軍法会議OverDose【聞いてない】

当ブログでは、2019年11月から延々と軍法会議(軍事裁判所)関連の記事を書いています。
当初は2、3回書いて終わるつもりだったのですが、少し深入りしてしまったようで今回で15回目です。
記事数が多くなってしまったので、カテゴリーも設けました。

oplern.hatenablog.com

大抵の事柄はそうですが、軍法会議も相当に奥深く、未だ語りきれないことや私の勉強が追いついてない点が大量にあります。
とはいえ、このまま続けていくと、永久に軍法会議のことを勉強しつつ記事にしていくだけのブログになってしまいますので、そろそろ終わりにしようかと思います。なにか書きたいものが出てきたらまた記事にするつもりですが、次回で一応のまとめをやって、一旦終了のつもり。たぶん。

さて、終了間際の今回記事は、今までの記事で書けなかったものからいくつか適当にピックアップして、気の向くままに書き散らしていこうという、お気楽な趣旨のものです。
細かい話やニッチな話が多いのですが、さらに、私の趣味範囲の関係で、いずれも日本軍に絡む話となっています。内容は以下。

  • 日本軍の高等軍法会議
  • 国民義勇戦闘隊と軍法会議
  • 軍人のようで軍人じゃないいずれ軍人になる陸軍法務官の制服
  • 捕虜収容所での「軍法会議

どこに需要があるんだと思わなくもないのですが、まあ、当ブログではいつものことなので。
ちなみに、前回記事もどこに需要があるのかわかりません。

oplern.hatenablog.com

閑話休題。気を取り直して、次章より需要のない話をひっそりと語ります。

日本軍の高等軍法会議

高等軍法会議について、今までの記事で触れられなかった点の補足を。

高等軍法会議は陸軍、海軍それぞれに設けられてます。
高等軍法会議の長官は、陸軍は陸軍大臣、海軍は海軍大臣でした。

以前の記事で触れた通り、軍軍法会議や師団軍法会議鎮守府軍法会議などでの判決に不服がある場合は、高等軍法会議に上告できるのですが、もう少し正確に言うと、法令の判断、適用に誤りがあることのみを理由として上告できます。
ちなみに、高等軍法会議の長官は、下級の軍法会議の判決確定後に、非常上告*1を為さしめることができました。これは、当該判決で、犯罪を構成しない行為に刑罰を言い渡してたりとか、本来言い渡すべき刑よりも重い刑を言い渡している場合の救済措置となります。

なお、海軍の軍法会議の記事でも触れましたが、将官、勅任文官、勅任文官待遇者といったおエライサンの犯罪については、そもそもから高等軍法会議で裁かれます。
これは、軍法会議裁判権が指揮権の一部とみなされ、そのため、階級が下の者が上の者を裁けないという性格によるものです。高等軍法会議の長官は陸軍/海軍大臣ですので、おエライさんの裁判はそっちでやろう、ということですね。
ちなみに、この場合は上告先がないので、必然的に一審制となります。

国民義勇戦闘隊と軍法会議

2019年末に、福井県で国民義勇戦闘隊の具体的な動員計画などをまとめた資料が発見されたというニュースがありましたね。

www.nhk.or.jp

国民義勇戦闘隊は、太平洋戦争末期に組織された軍事的国民動員組織「国民義勇隊」をベースとする戦闘組織です。
(国民義勇「戦闘」隊と国民義勇隊という紛らわしい名前で、かつ密接な関係を持ちますが、両者は別物ですのでご注意下さい。)

国民義勇隊(戦闘がつかない方)の任務は、食糧増産、輸送支援、災害復旧、陣地構築などで、隊員は非戦闘員です。
しかし敵上陸に際しては、状況に応じて、国民義勇隊をベースに、国民による戦闘組織「国民義勇戦闘隊」を編成することが考えられていました。
国民戦闘義勇隊への改編については、1945年6月23日公布の「義勇兵役法」に拠ることとなります。
ちなみに、この新たな兵役「義勇兵役」は、男子15歳から60歳、女子17歳から40歳までが対象とされました。
実際に編成までされた例は少ないのですが、樺太では一部の部隊がソ連軍と交戦しています。また、沖縄では同兵役を先取りしたともいえる「義勇隊」が組織され、後方任務から夜間斬り込みや対戦車特攻などまで参加させられ多くの犠牲者を出しました。

さて、国民義勇戦闘隊の詳細についてはこちらの本などお読みいただくとして、この国民義勇戦闘隊についても陸軍/海軍刑法、陸軍/海軍軍法会議法が適用されることとなっています。
これは、「法律第四十号」の「国民義勇戦闘隊員ニ関スル陸軍刑法、海軍刑法、陸軍軍法会議法及海軍軍法会議法ノ適用ニ関スル法律」にて定められました。
そのまま、フルに適用されるのではなく、陸海軍刑法の一部は除外されてたり、刑の軽減措置があったり、軍法会議においては「裁判官中判士一人ヲ減ジ法務官一人ヲ増スコトヲ得」とされてたりと、いくらか違いがあります。

本記事ではこれ以上触れませんが、こちらでその内容を見ることができますので、気になる方はどうぞ。

軍人のようで軍人じゃないいずれ軍人になる陸軍法務官の制服

日本軍の法務官が微妙な立場に置かれていたことについては、以前の記事で触れました。
さらに、法務官は、その立場だけでなく、制服までもが微妙感を醸し出していたようです。

以下、印象的な愚痴を残してくれた小川関治郎法務官の三女、長森光代氏による述懐。

「帽子も襟も白い軍服が, 道ゆく人の眼に奇異に映らないはずはなかった」

少し説明を。

1942年に武官化するまでは、軍法務官は文官でした。よって、軍人と同じ軍装ではなく、軍服に似た制服を着用しています。
陸軍法務官の定色は白と定められており(理事理事試補及陸軍監獄長服制中改正ノ件「定色絨及緋絨ハ白絨トシ」)、「軍人っぽいけどなんか違う」制服が衆目を集めてしまうということですね。

ちなみに、1942年4月1日に施行された改正陸/海軍軍法会議法により法務官は武官となりますが、同日施行の「陸軍服制中改正ノ件」にて法務部の定色は白とされました。

捕虜収容所での「軍法会議

どれだけアレなことをしても、「軍の規律を守るため」とか言って正当化されがちな軍法会議ですが、降伏して捕虜収容所に入った後でも軍法会議が行なわれることがありました。

花園一郎氏によると、豪軍捕虜収容所内で日本軍将校らが特設軍法会議を開き、上官に反抗した部下や戦中に離隊していた兵を次々に起訴し裁判にかけたそうです。
(ちなみに、戦中離隊の理由としては、食糧が尽き飢餓状態に陥ったため、隊を離れて食糧を探したというものが多いようです。)
当然ながら収容所内は、日本の法域に当たりません。なんら権限を持たないものが勝手に裁判を行ない刑を執行したということになります。

ちなみに、死刑となった兵士の刑執行では、豪軍から銃器を借りたこともあったようです。
このような不法な裁判に対し、なぜ豪軍が銃器を貸し出したのかという点について、田中利幸氏は、軍の法務と警務は、どこの国でも「軍の規律」を究極の目的とし、「公平な裁判」という裁判本来の目的が軽視される傾向にあるため、その共通性を見出した豪軍人が日本軍の軍事裁判を尊重してしまったのではないかと推察されています。

彼らにとっては、軍の「規律維持」のため将校が下級のものを裁くことは当然であり、その権限の根拠とかを深く考えることもなく、処刑に手を貸してしまった、という感じでしょうか。

最後に

さて、軍法会議について、書こうと思いつつも書きそびれていたことを書いてみました。
軍法会議について書くことにも、そろそろ飽きてきた満腹感が出てきてますので、冒頭で述べた通り、次回で一旦締めとなります。

次回は、一応今までの記事のまとめを書くつもりなのですが、従来記事へのリンク+内容案内みたいなものになりそうです。

 

 

*1:刑事訴訟の判決が確定した後に、その事件の審判で法令違反があった場合に、その是正のために行なわれる申立のことです。