Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【広島原爆の日】原爆と熱傷【8月6日】

本日は8月6日、広島原爆の日です。
ここしばらく、あまり時間が取れない状況が続いているのですが、8月6日は可能な限り原爆についての記事を書こうと思ってるので、慰霊の日同様、生存報告も兼ねて更新することにしました。
(時間がないので、短めの記事となります)

なお、過去の8月6日の記事は以下の通り。

oplern.hatenablog.com

oplern.hatenablog.com

広島・長崎への原爆投下は、その被害の悲惨さを中心に取り上げられることが多いのですが、上記記事ではあえて原爆被害から少し離れた視点で取り上げています。
原爆による惨状についてはそれなりの頻度で取り上げられてますので、触れられることが少ない面(原爆の仕組みや投下に至る知識)を補えれば、という思惑でした。

とはいえ、戦争被害の実態について知ることも重要ですので、8月9日の長崎原爆の日には、原爆被害について証言を中心に取り上げています。

oplern.hatenablog.com

今回記事は、去年の8月9日記事と同様に原爆被害について。
戦争中の暮しの記録」に、やけどに関わる印象深い記録がありましたので、今回はやけど(熱傷)にフォーカスして取り上げてみたいと思います。

ちなみに、やけど(熱傷)については以前記事を書いたことがありますので、そちらも併せてお読みいただけると幸いです。

oplern.hatenablog.com

原爆と熱傷

以下、「戦争中の暮しの記録」P.167より記載されている、夫が原爆で大やけどを負ったという方の記録の一部を引用させていただきます。

 八月六日の原爆で、父は死亡。主人は出勤途中、橋の上で原爆を受け、顔手に大火傷を受けてしまいました。私は老人や幼い子供たちと否かへ疎開していて難を逃れることが出来ましたが、この日から一家の苦しい生活がはじまりました。
 夫の顔の皮は、桃の皮でもむく様に、くるっとむけてしまい、赤い生身が痛々しく、次から次と悪臭の膿汁が流れるのです。両手も一皮むけて赤く腫れ上がり、布団の上に置く事も出来ず、蚊帳の天井から紐を下げ、それに両手を吊下げて寝なくてはならぬ様は、見る目も憐れでした。

熱傷は、火炎や熱湯などの熱いものにより負うことが多いですが、放射線によっても引き起こされます(放射線熱傷)。
一番身近な放射線熱傷としては、太陽の紫外線により皮膚が赤くなる「サンバーン」(要は日焼け)がありますが、X線や太陽光以外の放射線を、長時間または高強度曝露することでも生じます。

 全市民が被害者なので、重症の火傷にも施す薬は勿論、手当をしてくれる医師も居ないのです。大部分の人は手当してくれる者も無く、路上で息を引きとっていきました。せめて家へ帰って来た人も、油、醤油等の調味料で傷口を洗う程度の事です。

熱傷の重症度は、面積や損傷の深さ(熱傷深度)が目安となります。
(熱傷深度については、前述の熱傷についての記事をご覧ください)
熱傷深度II度30%以上、または熱傷深度III度10%以上の場合、また特殊部位(顔・手・生殖器など)のやけど、気道熱傷、化学薬品や電気によるものは重症と判断されます。
現代なら、早急な対応が必要なので救急車を……となりますが、当時状況はそのようなことができる状況ではありません。
(余談ですが、日本における救急車は1930年代初めごろから設けられ始めたようです)

ちなみに、熱傷の応急手当としては流水で冷やすことが一般的ですが、冷やしすぎて凍傷を起こしたり、低体温を引き起こす可能性があるので、状況に応じて5分から30分程度を目安とします。
衣服の下に熱傷がある場合、無理矢理脱ぐと皮膚が剥離してしまうので、まずは衣服の上から水で冷却します。
とはいえ、非常時だと、清潔な流水を確保することも困難ということも少なくなかったり。
感染症を避けるため、河川の水などは避けることになります)

蝿を防ぐ為に、熱い日中も蚊帳を吊りっぱなしにし、暑がる病人の為に、母はつきっきりで扇いでいました。一匹のうじも主人の傷口からは出ませんでした。

 

 寺や学校に収容されていた患者は、男女の区別さえわからぬ程に、やけただれ、重症の身を板の間や土間の上に横たえているのです。水を欲しがりながら、みとってくれる人もいないままに、淋しく死んでいくのです。どの人の傷口からも、多くさんのうじ虫が目についた事が、強く印象に残っています。

以前、沖縄戦の記事でも触れましたが、戦時中の負傷の話では、かなりの確率でウジ虫が登場します。
去年の8月9日に書いた記事でもウジ虫が出てきました。

傷口にウジ虫が湧いたほうが治りが早いことが知られているとか、昔からウジ虫を用いたマゴットセラピーなんて治療法があったりしますが、そんな話はさておいて、証言に頻繁に出てくるということは、それだけ衝撃をもって受け止められたということでしょうね。

閑話休題
この方の夫は、後に仮設病院へ入院することができ快方に向かいます。

主人の勤め先の病院が、仮設病院で治療を始めたことを知り、親戚の人々の好意で、大八車に乗せてもらい、十五キロ余の長道を、炎天に見守られて、仮病舎へと移りました。交通機関はストップの状態でした。

 

 現在は、用心に用心を重ねて原爆症と闘いながら、一家の柱として働いています。外傷の方はすっかり快くなりましたが、貧血の方は相変らずで困っています。

 

さて、原爆による熱傷についての記録を取り上げてみました。

この方の夫は働ける状態にまで回復されましたが、言うまでもなく、さらに重い熱傷を負って亡くなられた方も大勢います。
原爆被害について調べていると、胸の皮が垂れ下がり手足は炭のようになって…というような証言が多くありますが、皮膚が黒色というのは、真皮全層を越え皮下組織まで及ぶ熱傷(III度熱傷)と思われます。
III度熱傷では、血管傷害によって皮膚は白色または黒色になり、神経は破壊されます。

最後に

昨日、沖縄地方紙の沖縄タイムスにも、被ばく体験者の記事が取り上げられていました。疎開先から兄の見舞いに行った際に被ばくされたとのことです。

www.okinawatimes.co.jp

原爆は多くの人々に重大な被害をもたらしましたが、残念ながら日本ではこれらの被害者に対する支援が十分ではありません。
去年の記事でも書きましたが、日本政府は、降伏後しばらくはほとんど支援も行わずに放置していました。
社会保障(国家補償ではない)が定められた後も、現在に至るまで、日本政府は原爆被害者に対して抑圧する姿勢を取りつづけています。

そういえば、最近「黒い雨」訴訟の地裁判決で原告勝訴となった話がありましたね。被ばくから実に75年です。

www.chugoku-np.co.jp

日本政府の国民に対する冷淡さについては、昨今のコロナ騒ぎで実感されている方も増えているんじゃないかと思いますが、まあ、これもある意味日本の伝統といえるのかもしれませんねクソが。