Man On a Mission

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【戦争と兵器を知ろう】嗚呼栄光の零式艦上戦闘機【零戦/ゼロ戦】

さて、時事ネタ(?)のアップが済みましたので、通常営業にもどってしつこく軍用機の話を。
今日取り上げるのは、日本海軍の超有名戦闘機、ゼロ戦こと零式艦上戦闘機です。

ゼロ戦のプロフィール

零式艦上戦闘機は、日本海軍の戦闘機で、「艦上」とついている通り、空母での発着艦が可能です。
以前、日本軍航空機の命名の記事で書いた通り、皇紀2600年(1940年)に制式採用されたことから末尾の0をとって「零式」となりました。
なお、戦時中には「ゼロせん」とは呼ばれず「れいせん」と言われていたなんて話をされる人もいますが、これについてはこちらの記事をどうぞ。

oplern.hatenablog.com

さておき、零式艦上戦闘機は太平洋戦争の序盤から中盤にかけて大活躍しました。
主な特徴としては、航続距離が長く、格闘性能に優れること、強力な武装(20mm機銃2挺)を備えることが挙げられるかと思います。
反面、これらは徹底した軽量化により成し遂げられているため、ほぼ防弾装備が皆無だったり(後期型ではある程度改善)、機体強度の関係上、急降下性能が貧弱だったりといった弱点がありました。

ゼロ戦の開発

世界の航空機史上に燦然と輝くゼロ戦(言い過ぎ)ですが、その開発は、日本海軍による三菱重工業中島飛行機への無茶振りから始まります。
昭和12年(1937年)、海軍は現行の九六式艦上戦闘機の後継となる十二試艦上戦闘機の試作を三菱と中島に命じました。
海軍の要求は、九六艦戦の性能を大きく上回るもので、高度4000メートルで500キロ以上の最高速度、増槽*1をつけた過重状態で6時間以上の航続力、20mm機銃2挺の武装など、当時の常識では考えられない性能でした。どのくらい考えられないかというと、この仕様書をみた中島飛行機が、到底無理と判断して辞退しちゃうくらい。

しかしながら、三菱重工堀越二郎技師を中心として難題に取り組み、様々な工夫をもってほとんどの要求をクリアする試作機を完成させました。
主な工夫としては、主翼の桁に住友金属の超々ジュラルミン(ESD)を採用したり、肉抜き穴を多数開けたり*2、従来は胴体に近い中央翼と外翼の二つで構成されていた主翼を一枚化したり、沈頭鋲を用いて空気抵抗を低減したりといったことが挙げられます。

昭和14年(1939年)3月、「瑞星」一三型エンジンを搭載した一二試艦戦の試作1号機が完成、4月1日の初飛行と飛行試験結果を受け、採用を前提とする生産指示が出されました。
試作3号機からは、「栄」一二型エンジンを搭載することになり、昭和15年(1940年)7月24日には零式一号艦上戦闘機一型(後、零式艦上戦闘機一一型)として制式化されます。

零式艦上戦闘機一一型
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なお、ゼロ戦の初陣は日中戦争での重慶上空でした。
当時、海軍は重慶に対し大掛かりな爆撃を繰り返していましたが、日本軍機発進基地の漢口から重慶までの距離900キロを往復できる戦闘機がなく、護衛なしの爆撃行を強いられていました。そのため味方爆撃機の被害が大きかったわけですが、そこで長い航続力をもつ一二試艦戦が注目され、制式採用前に中国戦線に派遣されます。試作機の前線配備は異例の措置でした。
(初陣直前に零式艦戦として制式採用)
1940年9月13日、4度目の出撃でゼロ戦は初の戦闘に突入、重慶上空でI-153、I-16などの中国軍機27機と交戦します。約30分の戦闘で敵機のほとんどを撃墜破*3、損失0という鮮烈なデビューを飾りました。

その後のゼロ戦(太平洋戦争前半)

中国戦線で活躍した零式艦上戦闘機一一型は、その後、翼端折り畳み機能を備えた二一型に発展します。
航空母艦への収納を容易にするための措置。空母ではエレベータにより昇降させますが、その際に両端を50cmずつ折りたためるようにしたことでスペースに余裕をもたせました。)

零式艦上戦闘機二一型
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軽量化による機体への負担から、昭和15年3月に試作2号機が、翌年4月に二一型が空中分解事故を起こし、外板を厚くし急降下制限速度を低くするなどの措置もありましたが、昭和16年(1941年)12月の太平洋戦争勃発時には、二一型が海軍の主力戦闘機の座についていました。

太平洋戦争前半期において、ゼロ戦は世界で最も強力な戦闘機の一つとして活躍します。
高い運動性、大航続力、大火力により米P-40やP-39、F2A、英ハリケーンなどを圧倒し、制空や護衛、地上襲撃などで大きな戦果を上げます。真珠湾攻撃やフィリピン攻略、ニューギニアやソロモンなどの南方侵攻作戦でも多くの敵機を撃墜破し、これらの戦いの中、坂井三郎少尉(64機撃墜)や笹井醇一*4中尉(54機撃墜)といった伝説的エースを輩出しました。

その後のゼロ戦のその後

しかし、太平洋戦争中盤からはゼロ戦の活躍に翳りがみられることとなります。
このあたりの成り行きと、三二型、二二型、五二型、六二型についてのお話はまた次回。

 

 

*1:機外増設の燃料タンク

*2:肉抜きは割と一般的な技法ですが、ゼロ戦開発においては、部材の形状などによる強度計算を行い、構造部分ごとで徹底的な肉抜きを行いました。

*3:中国側記録によると、中国軍戦闘機13機が撃墜され、11機が撃破されたとのこと。

*4:ささい じゅんいち