Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれを記録していくブログです。情報処理技術者試験の話題多し。高度試験の攻略なども。最近はやや歴史づいてます…。

【梁山泊】大砲と水滸伝【大砲の誕生と発展】

本日は、水滸伝とそれにかこつけた大砲についての記事です。

以前、二本ほど、水滸伝に関する記事を書きました。

oplern.hatenablog.com

oplern.hatenablog.com

で、その際なんの気無しに水滸伝カテゴリを作ったのですが、それ以降、水滸伝がらみの記事は書いてませんので上記二つだけのカテゴリとなっています。
どうでもいいといえばどうでもいい話ではあるのですが、なんか寂しいので、水滸伝記事を拡充することにしました。

 水滸伝はよく知らない…という方は、よろしければ上記の記事などご覧ください。よく知らないし興味もないという方は…まあ致し方なし。

梁山泊ごろつき好漢ども

梁山泊に集う好漢には、様々な人物がいます。元軍人や腕自慢の連中、前王朝の皇帝末裔やドジっ子軍師、果てはただの色ボケまで。
そんな中、他の連中とは違った活躍を見せる好漢達がいます。彫刻の名人や書家、船大工などといった、特殊技能者達*1です。
彼らはその特殊技能がフィーチャーされるエピソードで活躍しますが、それらの「見せ場」以外にも、裏方として梁山泊の屋台骨を支える仕事をしているものが多いです。
特に事務処理を担当する蒋敬(しょうけい。算術が得意)や裴宣(はいせん。法学に詳しい)などは、元々ただの山賊集団である梁山泊が軍事組織として機能するためには、不可欠な人物だったと推察されます。小説に対してこんなこと言ってもしょうが無いのですが、序列が上なだけのゴロツキどもより、よほど重要な「好漢」じゃないでしょうか。

なお、特殊技能者の中には、上記に挙げたような「技術」の域に留まらない、いわば「超能力」の持ち主もいました。
公孫勝(こうそんしょう)や樊瑞(はんずい)といった妖術使い*2。神行法という高速移動の術を使う戴宗(たいそう)*3といった連中です。
即死でもない限りどんな怪我でも直してしまう「神医」安道全(あんどうぜん)も、もはや「超能力」の部類としていいでしょう。
で、今回取り上げるのは、それら「超能力」的な特殊技能者の一人である、轟天雷こと凌振(りょうしん)です。

梁山泊 第五十二位 「轟天雷」凌振さん

轟天雷」という物々しいアダ名を持つ凌振は、元々は朝廷側の軍人でした。
(ちなみに、水滸伝は宋(北宋。西暦960年-1127年)の時代を舞台とした小説です。)
凌振は、官軍による梁山泊討伐のエピソードにおいて登場します。

囚われた仲間を救うために梁山泊軍が高唐州を攻め落とした事件を受けて、朝廷は呼延灼(こえんしゃく)を総大将とする梁山泊討伐軍を起こします。
呼延灼は野戦において梁山泊軍に大勝し、続けて梁山泊の水寨を攻め落とすため援軍を要請しますが、その援軍の指揮官として指名したのが凌振でした。
なぜ凌振を指名したのか?それは、凌振が大砲の第一人者であったからです。呼延灼は周囲を湖水で囲まれた梁山泊の砦を攻め落とすには、大砲による支援が必要と考えたわけです。

到着した凌振軍は、梁山泊水寨の対岸に布陣し砲を設置、梁山泊の砦に向けて砲撃を開始します。
梁山泊の好漢達は、大砲の威力にビビリつつも、即座にドジっ子軍師呉用の立案による凌振生け捕り作戦を実施。呉用の作戦としては珍しく計画通りに凌振を捕らえ、大砲を無力化することに成功します。

捕らえられた凌振は、その後、説得を受けてあっさり梁山泊に寝返りました。
一応、「宋の首都、東京(とうけい)に母と妻がいるから、梁山泊入りは出来ない」と渋ってみせますが、梁山泊幹部の宋江が、必ず保護して梁山泊に連れてくると約束するとあっさりOKを出します。そんな口約束で大丈夫か?*4
ともあれ梁山泊に加わった凌振は、以降、砲兵隊を率いて活躍することとなります。

ちなみに、水滸伝では割とあっさり寝返る軍人が多いです。董平、索超、黄信らがその典型ですが、前述の梁山泊討伐軍に至っては、凌振だけでなく副将の韓滔・彭玘、しまいには総大将の呼延灼も大して悩みもせず寝返っており、朝廷軍のブラックぶりが察せられるストーリーとなっております。

なんで「超能力」扱い?

さて、以上が凌振の経歴です。
上記を読まれれば「大砲」という特殊技能を持っている人物であることには、特に疑問を抱かれないかと思います。
しかし、前々節での記述、その技能が「超能力」的である、ということには納得いかない方が多いのではないでしょうか。

なぜ「超能力」なのか?その理由は、そもそも梁山泊の舞台である北宋の時代においては、大砲なんて兵器は無かったからです。

大砲の基礎知識

ここらで、大砲のごくごく基本的な知識を。

大砲は、火薬の爆発を利用することにより砲弾を発射し、砲弾の衝撃力または砲弾自体の爆発により目標を破壊する兵器です。

火薬の爆発は、火薬を構成する物質が酸素と結びつくことにより(極めて短時間のうちに)大量のガスに変化する現象です。
大砲では、砲身内部で火薬を爆発させ、これによって生じたガスの圧力(腔圧、こうあつ)を利用して砲弾を飛ばします。
このため、大砲には火薬の爆発で破壊されないだけの強度が必要となります。また、砲弾の飛距離や衝撃力はガス圧による運動エネルギーの大きさに左右されます。
飛距離や衝撃力を向上させるには、火薬を増やすというのが簡単に思いつく手段ですが、これだと、より大砲の強度が必要となり、大砲重量の増加を招くなど利便性が損なわれてしまいます。
そこで、大砲を筒状にすることでガスの圧力を持続的に砲弾に加え、運動エネルギーへの変換を効率化する、という手段が取られるようになりました。また、筒状の砲身を持つことで、砲弾の運動制御(要は照準)も向上しています。
(ちなみに筒状砲身を備える前のごく初期の大砲は、壺のような形状をしていたことが判明しています。)

なお、大砲の基本的な構造は、3つの部位に分けることができます。
まず、火薬を爆発させる部位である「薬室」、ガスの圧力を持続的に砲弾に加えつつ運動を制御する「砲身」、そしてそれらを据え付けるための「砲架」です。

大砲の誕生と発展

大砲は、13世紀末から14世紀にかけて中国(というか元)で誕生したと言われています。
中国で誕生した大砲は、シルクロード経由でイスラム世界やヨーロッパ世界に伝来し、主にヨーロッパにて発展を遂げました。

ヨーロッパにおける主要な改良点としては、ガス漏出を防ぐことで、ガスの圧力をより効率的に運動エネルギーに変換できるようにして砲の威力や射程距離が増大したこと*5、砲の仰角を制御するための「砲耳*6」が開発され(15世紀末)照準調整が容易となったこと、車輪付きの砲架が登場し(15世紀半ば)機動性が向上したこと*7などが挙げられます。

ちなみに、当初、砲弾は切り出した石を丸く加工したものが使われていましたが、16世紀末には鉄弾に置きかわりました。18世紀後半には、榴散弾やキャニスター弾など、様々な砲弾が開発されるに至ります。

逆に、大砲発祥の地である中国ではなぜかほとんど発展が見られず、17世紀にはヨーロッパから大砲を輸入したり模倣製造するようになっていました。
豊臣秀吉による朝鮮半島侵攻(文禄・慶長の役 16世紀末)では、中国軍(明軍)や朝鮮軍が、ヨーロッパではとっくに廃れていた椀型砲口・樽型砲身の大砲を多く使用していたことが記録されています。

「超兵器」大砲の擬人化としての凌振

さて、前述の通り、実際の歴史では13世紀末ごろにようやく初歩的な大砲が現れますが、水滸伝北宋末、12世紀初頭あたりが舞台となっております。
そもそも、その時代に大砲があることがおかしいのですが、それだけでなく凌振の操る大砲は、凌振が高い技量を持っていることを差っ引いても、かなりの性能を発揮しています。
初期の大砲は威力、射程距離、命中精度などにおいて極めて限定的な性能ですが、凌振の大砲は、ヨーロッパで発展した大砲と同等の性能を持っていると推測されます。

水滸伝という書物の成立時期は明代16世紀頃と推定されてますが、当時の作者*8が、舞台設定を無視して大砲を作中にいれこんだのでしょう。多分。

そんなわけで、水滸伝に登場する凌振の大砲というのは、超兵器以外の何者でもありません。
喩えていうならば、ナポレオンの時代に戦車(TANKの方)が登場するようなものです。
シヴィライゼーション レボリューションより
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しかも、この超兵器は凌振率いる部隊以外には誰も使うことができず、凌振の個人技であることが強く位置づけられています。いわば、公孫勝や戴宗の道術と同じ扱いなわけで、凌振は超兵器を作成・運用する「超能力」を持つ特殊技能者である、と言ってよいかと思います。

凌振の特徴として、大砲以外の個性に乏しい、という点があるのですが、そもそも凌振は水滸伝に大砲を出すために登場したわけで、その存在意義は大砲です。それ以外の個性があまりないのも仕方ないのかもしれません。

いわば、大砲=凌振。ある意味、大砲の擬人化です。
無理を承知で断言しますが、凌振は近年の擬人化ブームの魁なのです。「戦場の女王」と呼ばれることもある大砲なのに、擬人化した結果が、萌えキャラでも女性キャラでもBL的美形キャラですらなく、ろくに容貌描写すらないおっさんなのは残念(?)なところですが。
(まあ、萌えキャラにされても困るのですが…。)

 

 

*1:梁山泊水軍の好漢達も、特殊技能者と言ってよいかもしれません。

*2:正確には道術。公孫勝、樊瑞とも道士であり、仙人修行者です。

*3:こちらも道術

*4:大丈夫だ、問題ない…といったかは知りませんが、後に無事保護されたと書かれています。

*5:砲身の形状を工夫したり、砲弾や砲身内部を滑らかに削って砲身・砲弾の密着度を上げる工夫がされました。また、15世紀後半には青銅製の鋳造砲が登場、砲身内部の加工が容易なためガス漏出の低減により、さらに砲弾威力が向上しています。また、それまでの錬鉄砲と比較して、青銅製鋳造砲は耐久力も向上しています。

*6:砲身を支えるための、砲身両側にある突起。これを軸に砲身を上下させて仰角を決める。

*7:それまでの砲架は箱型の枠や板に乗せられているだけで、車輪なども無かったため、基本的に攻城兵器として使用されました。野戦で使用され始めるのは、車輪付き砲架が登場してからです。

*8:施耐庵とも羅貫中とも言われてますが不明。施耐庵はそもそも実在したかも怪しい。ちなみに高島俊男氏は、羅貫中というのは「グループ名」じゃないかとも言ってます。