よく日本は、狭い小さいせせこましいといわれます。
(いや、国土の話であって、視野とか心とかの人間の性質の話ではありません。)
確かに米国や中国、ロシアなんかの糞でかい国とは比ぶべくもないのですが、世界は小さめの国の方が多かったりしますので、世界各国でのランキング中だと60位くらいとなり思ったよりは広い方に位置します。
(国土の話であって、視野とか心とかの人間の性質の話ではありません。)
とはいえ、山地などの割合が多いし、広々とした生活環境を持つ方も限られるでしょうから、やはり日本国民からすると「狭い」と感じる方の方が多いのではないでしょうか。大体、他所の国と比べてそんなには狭くないよとかいわれても、狭いと感じてる身からすると「知ったことか」としか言いようがないですしね。
(国土の話であって、視野とか心とかの人間の性質の話ではありません。)
さて、そんな「小さな日本」ですが、戦前には現在よりも遥かに広い領土や領土に準ずる地域を有していました。
本日の記事は、太平洋戦争前の日本の統治領域を確認して落ち目の日本から過去の栄光にすがってみようという企画です。
統治領域の種類
日本が統治していた領域は、大まかに2種類に分けることができます。
一つは「領土」。日本の完全な領土として大日本帝国が統治していた領域ですね。北海道、本州、四国、九州などが挙げられます。
もう一つは、「領土に準ずる地域」で、完全な日本の領土ではないものの日本の統治下にある領域です。
これには他国から借りて統治している地域である「租借地」、国際連盟よりの委任にもとづいて統治していた「委任統治区域」があります。
なお、他国の領土内において部分的な統治権を有する「一部統治区域」というのもありました。
では、次節より実際に統治していた地域を挙げていきます。
領土
まずは領土です。
現代日本と同じく、北海道、本州、四国、九州、沖縄は日本領となっていますが、これに加えて、樺太の南半分、朝鮮、台湾も日本領でした。
これら日本領のうち、北海道、本州、四国、九州は明治維新前から日本領と見なされていた地域です。
これらに対し、沖縄は明治維新後に日本に編入。樺太は1875年(明治8年)にロシアから、台湾は日清戦争での勝利により1895年に獲得。朝鮮は1910年に大韓帝国を併合したものであり、日本にとっては「新たな領土」でした。
この「新たな領土」は、「外地」として特別扱いされることが多かったのですが、この点についてはまた後ほど。
また、上記の他にも多数の島々が日本領でしたが、それらについては従来処遇が明確でなかったためか、明治以降に日本に編入されたものが多数見られました。
いくつか例を挙げると、硫黄島は明治24年に東京府編入、沖ノ鳥島は昭和6年に東京府編入、大東島は明治18年に沖縄県編入などなど。そういえば、しょうもないナショナリズムを煽り立てるのに便利なツールとなっている竹島なんかも、明治38年に島根県に編入された島です。それから、ダシにする国が異なるものの竹島同様の煽りツールである尖閣諸島も明治28年に沖縄県に編入(標杭建設を沖縄県知事に指令)されています。
内地と外地
さて、同じ「日本領」でも、大日本帝国の制度的には「内地」と「外地」に区分されました。
内地とは、国家全体のために制定された法規が適用される地域のことをいいます。北海道、本州、四国、九州、沖縄は「内地」とされました。
これに対し、国家全体のために制定された法規が適用されず、その地域のために特別に制定された法規が適用される地域のことを「外地」と呼びます。樺太、朝鮮、台湾などは「外地」であり、法的には別扱いで憲法や内地の法令は適用外だったわけです*1。
このような「外地」という制度が作られた背景には、内地の住民と同等の扱いはしたくない、という日本政府や指導者層の考え方がありました。
(ぶっちゃけ刺激の強い「植民地」という言葉を言い換えただけ、なんて指摘も。)
なおついでの余談ですが、「内地」といえども北海道のアイヌ民族や沖縄県出身者は差別的扱いを受けることが少なくありませんでした。
領土に準ずる地域、その他
次に租借地や委任統治領などの領土に準ずる地域と、それから一部統治区域や租界など「その他」の地域。
租借地
租借地としては、中国の遼東半島に位置する関東州が挙げられます。関東州は、日露戦争での勝利によりロシアから獲得したもので、1997年までという約束で中国から借りていました。
(もちろん、借りていると言っても地代を払ったりしているわけではありません。)
本来、ロシアは関東州を中国から25年間の期限で租借していたのですが、これを引き継いだ日本は、大正4年、いわゆる二十一カ条要求により期限を延長させました(南満洲及東部内蒙古ニ関スル条約)。
委任統治区域
日本は南洋群島について、国際連盟より統治を委任されています。
南洋群島は、北マリアナ諸島やパラオ、マーシャル諸島などの、西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々のことで、第一次世界大戦時に日本がドイツから奪い、大戦後はそのまま国際連盟より委任統治される形で、日本の統治区域に組み込まれました。
もともとの住民は5万人程度だったのですが、委任統治領となってからは、経済的に貧しい沖縄から移住する人が増え、1940年までに5万人の移住者を数えたとか。
一部統治区域
日本は、関東州租借地と同じ経緯で南満州鉄道(満鉄)付属地帯の行政権を獲得しますが、これが一部統治区域となります。
なお、行政権のうち軍事外交裁判警察以外は、日露戦争後に設立した南満州鉄道株式会社に行使させています。同社は単なる民間の鉄道会社ではなく、植民地管理機関としての一面を持っており社長(後に総裁と改称)は政府が任命していました。
ちなみに、同地域の日本人以外の民事刑事の裁判権は中国が持っています。
租界
租界は、他国領でありながら統治権がおよぶ場所です。
当時の日本の場合、中国の天津(てんしん)と漢口(かんこう)にあり、本来は中国の主権下にある地域のはずが、実際の行政は経済活動に対する徴税なども含めて日本によって行われました。
また、中国有数の大都市である上海にも共同租界(日本を含む列国が共同で管理)がありました。
最後に
さて、落ち目の日本から過去の栄光にすがって大日本帝国時代の統治区域を振り返ってみましたが、なかなか広大な領域を有していたといえそうです。
もちろん、これらの統治区域は「内地」以外の地域は太平洋戦争の敗戦により喪失、「内地」でも一部の地域は喪失することとなります。
なお、上記には書いてませんが、満州事変後には「満洲国」なんてものも出来上がります。これについては、いつか機会があれば。
主な参考資料
本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。
昭和史
事典 昭和戦前期の日本―制度と実態