Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【戦前用語の基礎知識】金鵄勲章(きんしくんしょう)とは【終身年金】

前回、日本陸軍将校の退職後の収入について書きました。

oplern.hatenablog.com

軍退職後に再就職する割合は低く、多くの者は恩給による収入で暮らしていたようです。
恩給額は、退職時階級と在職年数により異なるのですが、前回は一応のモデルケースとして大尉から大将までの恩給額の例を挙げてみました。

今回記事は、前回の補足的なものです。

前回取り上げた恩給法による支給とは別に、人によっては金鵄勲章(きんしくんしょう)による終身年金をもらっていました。
この金鵄勲章について、終身年金(後に一時賜金に変更)を中心に少し。

金鵄勲章とは

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功四級金鵄勲章

金鵄勲章とは、1890年(明治23年)2月11日、「金鵄勲章創設の詔勅」により制定された勲章です。
1894年(明治27年)11月の「金鵄勲章敍賜条例」で細部が規定されました。

ちなみに、2月11日は紀元節神武天皇即位の日をもって祝日としたもの)であり、かつ、1890年は皇紀*1では2550年にあたりました。
金鵄勲章は、皇紀2550年を記念して神武天皇東征の故事にちなんで制定されたものです。長髄彦(ながすねひこ)討伐の折、天皇の弓に金色のトビ(鵄)が止まったなんて伝承によってるわけですが、そのため、勲章のデザインにもトビがあしらわれています。

前述の「金鵄勲章敍賜条例」によれば、旭日章瑞宝章などが広く一般を含み国家の功労者を表彰し栄誉をたたえるために与えられるのに対し、金鵄勲章は武功抜群の陸海軍将兵ならびに軍属にだけ賜るものとされていました。

旭日章瑞宝章が勲一等から勲八等まで区分されているのに対し、金鵄勲章は功一級から功七級の7区分とされています。

金鵄勲章には、階級に応じた初叙、極限功級が定められていました。
すなわち、兵が功績を挙げて最初に叙賜される時は原則、初叙として定められた功七級となります。その後武功を重ねることで、極限功級まで進級できます。兵の場合は功六級までです。
同様に、下士官准士官の初叙は功七級(昭和13年4月20日改正後は功六級)から始まり、極限功級は功五級(昭和13年改正後は准士官功四級)となります。
以下、尉官の初叙が功五級、極限功級が功三級、佐官の初叙が功四級、極限功級が功二級、将官の初叙が功三級、極限功級が功一級でした。
武功の大きさだけでなく、階級による格差があったわけです。

ちなみに、旭日章瑞宝章などでは同種上級の勲章を授与された場合、下級の勲章を返納しますが、金鵄勲章では1941年6月27日の勅令により併佩できるようになりました。
これは、重ねた武功を表すためということです。

金鵄勲章の終身年金

さて、名誉なんかよりもお金の方が好きだという方は多いかと思いますが、金鵄勲章では、名誉だけでなくお金をもらうことができました。

1894年(明治27年)9月29日の「金鵄勲章年金令」によって、終身年金が支給されることとなっています。
年金額は何度か改正されたのですが、ここでは1927年(昭和2年)5月18日改正での金額を挙げておきます。一応、だいたいの現代換算額もつけておきました。

功一級:1500円(現代換算約300万円)
功二級:1000円(現代換算約200万円)
功三級:700円(現代換算約140万円)
功四級:500円(現代換算約100万円)
功五級:350円(現代換算約70万円)
功六級:250円(現代換算約50万円)
功七級:150円(現代換算約30万円)

功級が高いと結構な額になりますね。
ちなみに、年金受領者が死亡した時は、1年間遺族に賜与されました。さらに、1920年大正9年)6月19日の改正で、本人遺族を通して支給が5年に満たない時は、5年を満たすまで遺族に賜与されるようになります。

ところが1941年(昭和16年)6月27日、戦争拡大で国庫が負担に耐えられなくなったため年金制度は廃止されることになり、1940年(昭和15年)4月29日以降の叙勲者は一時賜金に切り替えられました。一時賜金の支給は国債で行なわれています。

金鵄勲章の授与者数

途中で一時賜金に切り替えられたとはいえ、それより前の受章者にはなかなか大きい収入となっていた金鵄勲章ですが、授与者数はどの程度だったのでしょうか。

金鵄勲章の授与者数は、日清戦争で約2,000人、日露戦争で約109,000人、満州事変で約9,000人、日中戦争で約190,000人、太平洋戦争で約620,000人、その他戦役等でも受章者がおり、合計で約940,000人に達しました。
ただし、これには戦死後に授与されたものも含まれます。1940年4月29日以降については、どんなに功績があっても生存者へは金鵄勲章は授与されていません。生存者へは感状のみに留まり、金鵄勲章授与は戦死者、戦病死者に限られることとなりました。

最後に

1940年4月29日以降は一時賜金となったとはいえ、それ以前の受章者にとっては結構な収入源となっていた金鵄勲章ですが、1947年(昭和22年)に廃止されました。
金銭の支給だけでなく、佩用も禁止されています。
これに対し、受章者からの名誉と年金復活を求める運動が起こり、1981年6月に名誉回復を求める請願が衆議院内閣委員会で採決され、佩用は認められるようになりました。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

戦時用語の基礎知識―戦前・戦中ものしり大百科

 

 

*1:皇紀」とは、初代天皇と「される」神武天皇の即位した年を紀元とする紀年法のことです。神武天皇が実在したかは言わぬが花ですが、気にせず言うと神話・伝説上の人物です。モデルとなった人物くらいはいたのでしょうか…。